心変わり
利があって付き合うものだと思ってた。一緒にいるものだと思ってた。
なぜそんなに良くしてもらえるのか、無条件に愛してもらえるのかいまだに全く分からない。
付き合う目的が自分の本質以外だってわかっても苦しいと思うけど。
私にとっての利は、色々あるけど相手が一緒にいるにあたって家事とか苦手なことをカバーして貰える性格であること。
今の私を構成するにあたって柱となるような要素が彼にはたくさんある。
私ばっかりもらってばっかなのに返せる物なくね?って不安になるんだったら何が返せるのか考えて実行に移すほうが良いのにそれをせず甘え続けて愛想つかされるよ。
高校の頃に逆の構図で友達に無償の愛みたいに尽くしたことがあった。
その頃はちょっと不幸なその子が笑顔になってくれたらそれでよかった。
目の前で不幸がられるのが辛かったからそれを消したかった。
根本的解決がしてあげたかった。
でもそれは叶わなかった。高校生の小さな私が思うよりも家庭環境の複雑さというのは人間の心に闇を与えるものだった。
でも逆の立場からしたら底なしに傷ついてる心になんでも癒してくれる存在が近くに現れたら頼って依存したくもなる。その場凌ぎでも表面の引っ掻き傷を優しく洗って欲しくなる。泥沼だ。
大学生になり好きなことに没頭できる環境に身を置くことができ、周りも同じような環境で万物を創作の肥やしとしてしかみていなかった。それで許された。少し自分勝手になろうと思った。周りを気にしていたので疲れた。
ちょっと自分勝手が行き過ぎちゃって今があるんだけど。
全ては反動でバウンドしてできている。その振り幅が人によって大きいか小さいかだな〜と思う今日この頃。
悲しい過去があったからそれを言い訳にトガったって仕方ない。それをどこまでなかったことにして笑えるかがその人の芯の強さなのではないだろうか。
前されて嫌だったこと、今の彼氏にもしちゃってるな〜と思う。
優しく優しく注意してくれてるのに直さないとかやるって言ったのにやらないとか。虚しくなるよ相手も
人付き合いは8割ぐらいが良いって樹木希林が言ってたのを彼に言ってみた
俺はいつもそうしてるよって言われた。そういえばそうかもと思った。
私はベチャベチャに全部オープンにしているけどいつも彼はちゃんと大人だった。感情を飲み込んでいた。
彼が私のことを可愛いって言ってくれるのが、小さな他人の事を見下ろして手元で飼っていたかったあの感覚だったらどうしようと思う。
でもその方が良いのかもしれないとも思う。
私の甘えが彼の自尊心の糧になっているとしたら。。
私がきちんと努力してもらった分返せないと彼もきっと今に気付く。というかそう考えてしまう。
これは利用されているだけだ、と
そこに愛などないと。
愛とはなんだろうか
私にとって彼は既に離れ難い人間である。(依存しているので)
それが全てかもしれない。
私にとっての愛は親への愛着一種類しかない
十分お金をかけて育まれ愛されてたはずなのにどこか虚しさを感じていた。
「愛してる」その一言によって自分がここに生まれるべくして生まれたのだ存在なのだという自信、自己肯定感が欲しかった。
彼はそれを与えられ育って、今も持っているように見える。
きっと人の生まれ育った環境に応じて愛の形は人それぞれ。
欲しい愛と与えたい愛、その質はどうあれ形が一緒ならパズルのピースはハマるのだ。
今は私が周りが見えなくなってるので彼のことがよく見えない。
ただ無条件に降り注ぐ愛に溺れて頭が麻痺していくだけだ。
大仏のような慈悲を讃えた彼を前に私はどこまで彼のために健闘できるだろうか。彼は何が欲しいのだろうか。私は何を与えられるのだろうか。
見ものだ。
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