夏の国について

皆様こんにちは、つなぐです。
前回の投稿からかなり間隔が空いてしまい申し訳ありません。何を書こうかと考えて何も手についてないのは私の悪い癖です。改善のため善処したいところです。
前置きが長くなりました。

今回の話題については題名の通りの国について書いていきます。
皆様は歴史についてどのような認識をお持ちでしょうか。
学校の授業では苦手だった、わからないことが多い、などの認識をお持ちの方も、好き、得意だった、といった方も様々だと思います。
その時の認識は貴方自身のものですから、静かに受け止めてもらえると幸いです。
なるべく私もできるだけわかりやすく、楽しく感じられるように書いていきます。

なお私は趣味で知ったことを書いているので間違いなども含まれる可能性もあります。寛容な方はこのまま読み進めてください。

の国は、古代中国史に分類されるもので、”幻の王朝”や”伝説の国”などと長い間言われていた王朝で、私が使っていた高校の教科書でも書かれてはいませんでした。
ですが最近の研究ではは実在していた説が有力になりつつあります。
司馬遷の『史記』には中国で最初の誕生した王朝と記され、初代の王は””で、彼は治水事業の功績を認められ王になりました。
具体的に書くと紀元前2079年に黄河の洪水を防ぐための堤防を作ったことで評価された、ということですね。
その後は世襲制になり約500年は続きましたが、代を重ねるごとに弱体化していきます。
ここで何となくお察しの方もおられると思いますが、顛末に行きましょう。

始まりがあれば終わりが来るのは必定です。それが国のことになれば尚のこと。平家物語にも似たようなことが記されていますね。

端的に言うと美女によって滅びました。
日本史でもたまに見ますが中国史ではあるあるだったりする美女による国の滅亡。
どんなふうに滅んでいったかというと、の最後の王”ケツ”は武力で国を支配しそれどころか末喜マッキという美女を侍らせ、末喜が喜ぶからと高価な絹を引き裂いた音をよく聞かせていたといいます。
こんなだったら人心も離れていきますよね…
そして殷の湯王とうおうに攻められ滅びました。

この滅び方から妲己に溺れた紂王と並び称され『夏桀殷紂かけついんちゅう』といわれることもあります。

このケツ、臣下の忠告を無視するどころか殺したので王としての能力は皆無だったんでしょう。いわゆる”酒池肉林”も作らせていたようで散財ぶりもわかります。
ちなみに、紂王妲己や周幽褒姒のエピソードに似ているのは足りない部分を他から流用したと推定されておりこういう流れは中国史の神話的典型になっています。

…といったところで今回の話はひとまず終わり、とさせていただきます。楽しめていただけたなら幸いです。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
口頭で話すときとこういう風に文章にまとめる時では違った難しさがあり、これからも試行錯誤して読みやすく楽しい読み物が書けるようにしていきたいです。

またどうぞ、よろしくお願いいたします。
つなぐでした。

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