誰かの説明書_皿洗いは、調理中しかしない。
1人くらしを始めて、毎日料理をしている。料理は自分にとっての薬のようなものらしい。何かを自分で作るというのが好きだから、絵をかくことやピアノを弾くことが出来なくても、料理という強制クリエイティブがあるので助かっている。
ただ、皿洗いをするのは嫌いだ。食洗器を購入して自動化をしようと思えば出来るが、本チャンの住む場所でないから、購入に手が伸びない。ただ、やらないと溜まるし、それが不快だと感じる感性はわずかには、ある。
基本、自分はめんどくさい事をやる時は、「マイナス×マイナス=プラス」という考えで攻略しようとする。言葉にすると、「めんどくさいことをどうせするなら、ついでに他のめんどくさい事も終わらせておこう」という感じだ。
例えば、寝れない日は(マイナス)めんどくさいタスク(マイナス)を行う事で、疲れるか、頭がすっきりするかで眠りやすくなる(プラス)みたいな感じだ。
本当に、めんどくさい事をやらないので、意図的にバスの時間を見ずにバス停に行って、待ち時間を増やしたりすることもある。その時間にやる事を終わらせる。
人間楽しむことが出来る可能性がそこにあるのに、めんどくさい事をあえて好んでする奴なんていない。少し引き籠った時があったが、そのときに作品を描こうなんて思わなかった。なぜなら、YouTubeみてお菓子食べて寝る方が、断然楽しいということをしっているからだ。このように、楽しむことが出来るという選択肢を無くすという事をしてから、やるべき事をやるので、知っている楽しみより、やるべき事が楽しくなければ、私は損したと感じ、より次やる時に嫌々度が増す。
今回の洗い物に関しては、調理中の時間にしか洗わない事にした。何かを煮込んでいる時でもいいし、米を炊いている時間(炊飯器ないので鍋で炊いてます)とかを利用する。その待ち時間に間に合わない時は、次料理をするときにやる。ひとまずは、洗剤の入った桶のなかに放り込んでおく。朝昼晩チャンスがあるのでどこかしらでやるだろう。
やらないというのを先に決めたので、気分的にも楽でよい。調理中にやるという事だけ決めているので、その時にやるという選択肢しかない。仮に溜まって、のみものが飲めなかったら、調理中に洗っていなかったからだと反省が出来る。要は、しない事による具体的な苦を経験すると、それを防ごうと自分は行動するらしい。負の動機づけというやつだ。逆に、経験しないと他人ごとのようにふるまうので、まず一度嫌な経験をする事が自分事化する為のトリガーになる。それが、他者が関わる強制的なルーティンであれば尚よい。
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