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恋人が食生活を心配してごはんを作りに来てくれる話

大好きだった彼女が死んだ。以来、私の口はまたしても味を感じることをやめてしまっている。


 私の実家は共働きだったが、母だけが料理をしていた。母は非常にこだわりが強く、家族の誰も自分の管理するキッチンへ入れたがらなかった。そして週に一度だけ、大きな鍋に野菜も肉もぶつ切りに切って入れ、魚で出汁をとった熱湯で煮込んだ。それをタッパーに小分けして冷蔵庫へ入れており、家族はそれを随時加熱して食していた。いついかなる時であろうと、残すことも吐き戻すことも許されなかった。それが幼少の私にとっての料理だったし、食事だった。

 食が苦でしかなかった私の感じ方を変えてくれたのが彼女、ナコだった。薬剤とウィダーに頼った私の食生活を心配して、難の多い私でも食せる料理を工夫して作ってくれて。ナコの料理は、呼吸しやすい香りに、飲み込みやすい食感 目にも楽しい彩り。私が食べれるように工夫して、気遣ってくれる。

 だんだんと抵抗感が薄れ、物心ついてほとんど初めて、おいしい、と味を感じた時の衝撃は、忘れられない。

 私が「おいしい」という度に「ありがとう」って、目を細めて潤ませる、ナコの笑顔が大好きだった。

 そんな彼女が死んで以来、私の口はまたしても味を感じることをやめてしまっている。

 …テーブルに食べかけの粥を置く。

 食が苦痛だ。

 ナコは私が一人暮らしの自宅でも自力で食事ができるよう、料理を教えてくれていた。だから、今の私は料理ができる。彼女が教えてくれた、彼女の料理。でも、それでも、食事は苦痛になった。ナコの料理なのに、味が感じられないと そのことも、悲しみに拍車をかけた。

 ナコに会いたい。

 会社からの帰り道、私は空腹を抱えて でも何も食べる気になれず、気づくとナコの住んでいたマンションに向かっていた。

 まだあと一月ほど、彼女の部屋は引き払われてないはずだった。葬式でナコのご家族が話していた。それが事実なら、合鍵を持っている私は、彼女の部屋に入れる。

 そんなことをしたら 余計に苦しくなる予感もした。ナコの名残があるだろう、ナコの部屋。何度も泊めてもらったこともある部屋だ。愛し合ったこともある。二人で過ごして 一緒に食事をした部屋だ。

 一度居てしまえば いつまでも帰りを待ってしまうかも。

 ドアを開けた。

「おかえり」と 彼女がいつものように、笑顔で振り返った。

「…」
 え。

 …ナコは 手に菜箸を持っていて、髪は後ろで束ねていた。
 綺麗な黒髪
 腕まくりした袖から 細い腕が伸びて 鍋の蓋を取る。

「もうすぐできるよ」

 夢じゃない。
 明るい室内、水滴の散ったシンク 火のついたコンロ 換気扇の唸る音と、焦げる時のジューという音 ほのかに熱を含んだ空気 …彼女の笑顔。

「… いい におい」

 私が呟くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。「君のお口に合うといいな」

 テーブルに料理が並べられた。このところずっとサボっていた私の胃にも優しそうな 白だしのお粥と、卵焼き。

「いただきます」

 お粥には柔らかく煮られた鶏肉と、細かい水菜と大根が入ってた。
 おいしくて、いつかの時のように私は泣いた。

 翌日、彼女は居なくて 食器も整然と片付いており
 やはり夢だったのかと気落ちして会社へ出たものの、
 その日 もう一度部屋に帰ってみると また笑顔の彼女に会うことができた。

 それから毎日彼女の家から会社に行って 会社から彼女の家に帰った。

 日を追うごとに少しずつ料理は凝ったものになっていき、量も増え、私は以前彼女と過ごした時のようにしっかりと食事が摂れるようになった。
 この生活はまるで、私と生前の彼女とが望んでいたことが叶ったようでもあった。「いつか一緒に暮らしたいね」って
 毎日一緒に、ご飯を食べようね、って…

 でも きっと、彼女とこうして過ごせるのは、あの部屋が取り上げられてしまうまでのひと月程度しかない…。

 そう気付いた私は、その日から1ヶ月間、まとめて有給を申請した。通らなくても、欠勤してしまおうと思っていた。たとえクビになったとしても、この瞬間は今しかないんだ、あの部屋で過ごせる限られた時間を、どうしても彼女と居たかった。
 さいわい有給の申請は、通った。






 約一月後のこと。
 木本凪湖の部屋で遺体が発見された。

 死因は栄養失調からの餓死。まるで食事中のように食器を並べて、ダイニングテーブルについた姿勢で亡くなっていたという。

 故人の同僚は、彼女が恋人を亡くしたストレスで味覚障害を患っており、満足に食事を摂れなかったのではないかと供述した。






『よもつへぐい』

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