2022/03/24
太宰治の『チャンス』という作品が面白いので、一部抜粋して紹介したい。
「恋愛至上主義」など、まあなんという破天荒、なんというグロテスク。「恋愛は神聖なり」なんて飛んでも無い事を言い出して居直ろうとして、まあ、なんという図々しさ。「神聖」だなんて、もったいない。口が腐りますよ。まあ、どこを押せばそんな音が出るのでしょう。色気違いじゃないかしら。とても、とても、あんな事が、神聖なものですか。
(中略)
自分たちの助平の責任を、何もご存じない天の神さまに転嫁しようとたくらむのだから、神さまだって唖然とせざるを得まい。まことにふとい了見である。いくら神さまが寛大だからといって、これだけは御許容なさるまい。
これを読んだ私は、結婚式での誓いの言葉が思い浮かんだ。恋愛と婚姻はまた異なるだろうが、確かに、私が神様なら、「は?知らんよ。」と思う。
私が新婦なら、よく通る声で「誓います。」と言いながら、この作品を思い出し、気味の悪い薄笑いをしてしまうところまで想像して、気が付いた。
新婦に向き不向きがあるとは考えたことがなかったが、私は向いていないんじゃないか?誓いの言葉を口にする予定はないので問題は無いけれど、私のような人は他にも居るのでは?
気になって既婚の上司に訊ねたところ、予行練習というか、式の流れを確認する工程が本番前にあるらしい。なるほどね。そこで慣れるのね。え、慣れるか?
うっかり本番で笑っちゃった新郎新婦、居るのかな。居るよな。居てほしいな。その方が素直でハッピーで素敵な気がする。
神様にとって人間の恋愛なんてどうでもいいだろうし、私達だって神様の意志なんて気にせずに恋愛してるもの。
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