見出し画像

タコピー

いやあ、曇らせって良いですね。

以下、『タコピーの原罪』を中心にエヴァとかのふわっとしたネタバレあり。

***

近年のジャンプ漫画って『Dr.STONE』と『推しの子』だけ買ってるんですけど。『タコピーの原罪』が始まってから「おっ絵柄良いし、ハッピーなだけでストーリーなんて作れるはずないから絶対闇深いやん」と読み始めて嵌りましたね。

でも結構捉え方が違うんだなと思うことがあり、なるほどねと思った次第。

私の場合、被虐待児だったので「あ~やっと自分がリアリティを持って読める漫画が供給された」って感覚なんですけど。まりなママと東ママを足して二で割・・・割るよりもっと味付けを濃くした感じでした。

『進撃の巨人』のライナー曇らせとかも好きだったんですけど、性的とかそういうんじゃなくて「わかるわかる」って気持ちの延長なんですよね。

被虐待児って自分が生まれてしまったこと自体が罪だと思っちゃうので、自傷や自嘲で罰を受けたってホッとしたいんですよね。幸せな漫画に感情移入するのも「現状を幸せと感じられない自分への罪悪感」とかに変換しちゃうので、同じような精神状態で苦しんでいるキャラクターを見ることでやっと同じ温度感になるんすね。エレンよりジークというか。

私の場合は、自分が女性であり小学生の頃に悩んでいた内容も熱量も同じか漫画以上だったので「こういう漫画が流行ることで、見えづらい虐待にも焦点当てられていいな」と思ってたんですけど。

結構「小学生」「殺人」「曇らせ」みたいな、クジラックス的な話題になっていて「タコピーで児童虐待を語る奴w」みたいな風潮にちょっと驚きましたね。

それだけ恵まれた家庭がマジョリティになっているということは嬉しい限りなんですけど、個人的には「みんなタコピーじゃん?」って感覚ですね。

***

タコピーの「原罪」って何を指すの?というのは公式PVでも提起されていましたが、13話を見る限り文字通りの原罪なのかなと思います。

旧約聖書でアダムとイブは、蛇に唆されてエデンの園に生えていた「知恵の実」を食ってしまい、それによってエデンを追放されてしまいますね。

ここら辺も考察されつくしてると思うんですが「ハッピーフルーツ=知恵の実」説も出てましたけど、13話で大量のタコピーの仲間がハッピーフルーツを食べている様子から直喩ではないんだろうなと思います。

そもそも、何故「知恵を得ることが原罪なのか」という話になってくるのか、というのがこの漫画のテーマなんじゃないのかなと。

13話でタコピーのママが「殺すってなに」「どうしてそんなに強く触るの」と言っている辺り、ハッピー星での殺人や暴力という概念の欠如が強調されていますね。

では、タコピーが地球に来て何を学んだのかというと「恋愛感情」からの「殺人」や「反抗」なのかと。「好きな人に笑ってもらうためには何でもする」という洗脳的で共依存的な思考回路に陥っていますね。

でも善悪の概念がないのでしょうがないです。ここで「知恵がなぜ原罪か」に結び付くのではって話で「知恵や感情を抱くことで善悪の基準を設け出して、人が人を断罪するようになったこと」が一因だと思うんですよね。

安楽死や自殺幇助罪なんかがわかりやすいですかね。法で悪と定められていても、紐解いてみると「理不尽」っていうのはあるなあと。『JOKER』とか『マレフィセント』とかわかりやすいですね。ノワール物の小説とかだとよくあります。東野圭吾の『白夜行』とか。

一方で、法の抜け穴をすり抜けて、開き直って迷惑しかかけていない命というのも残念ながら存在します。すり抜けれなくても法の目がある場所では「人権」というのが適切に作用するので、虐待家庭なんかより監獄生活のほうがよほど楽なのが現状ですね。

少し話は逸れましたけど、人が人を断罪するのって、どこかで理不尽や遣る瀬無さの割を食う人ってのがどうしても存在するんですよね。小さいレベルだとイジメもそうだし、エヴァのゼーレの人類補完計画だって個々が他者を断罪し合う世界に疲れたってのもあると思います。

タコピーの原罪の本当のスタートは13話なのかなと思いました。というより「原罪」という考え方自体が「知恵」が無ければ及ばない発想なので。

13話で、まりなとの記憶、しずかとの記憶を天秤にかけて「善悪とは何か」で混乱しはじめた辺りから「無垢」を卒業した=「人間の思考パターンに近づいた」「原罪を背負った」たんかなと。

***

プラス、記憶を消すことになった罪について「殺人目的でハッピー道具を使ったこと」ではなく「一人でここに来たこと」を咎めていることも注目点なのかなと。

「一人ではなく二人で来る必要があった」ということ、1話にて「しずかちゃんも遊びに来るといいっピよ!」という部分から、「ハッピー星=エデン」「タコピー=報われない魂を天国に連れていく存在」だったのかなって。

というのも、まゆりの死を阻止できない岡部状態の一方、シュタゲほど優しい世界ではないあたり、シュタインズゲート世界線を見つけるみたいな友情努力勝利みたいなのは多分ないですよね。

なので、多分タコピーが何しようがしまいが、誰がどう死ぬかがちょっと変わるだけで誰かしらが「親が原因な中で子供たちが理不尽に」死んでしまうのは多分変わらないんですよね。

じゃあなんでタコピーが来たかと言えば「宇宙にハッピーを広めるため」と言っているんですよね。1話のタイトルと12話のタイトルが対応していること、13話で原罪と対峙していることから、新約聖書の方も混ぜてきてるのかなと。そう思うと、天使であり使徒の意味合いもあるのかなと。

***

キリストの弟子であり使徒は12人いて、ユダがイエスを売ってから補填されて名前は13人分あるんですね。

で、ユダって良いやつなの悪いやつなのって議論はここ数年されていて。「ユダが売らなければ処刑されなかった=生き返らなかった、からキリスト教の確立に一番必要な役割であり、イエスの真の理解者だった」という考えとかが主流ですかね。

13という数字はイエスの処刑日だとか13日の金曜日とかで不吉とされる数字なんですけど、ユダを裏切り者と排除しなければ使徒は13人だったことになるんですよね。

で、シンエヴァのイスカリオテのマリアはイスカリオテのユダから来てることと、カヲル君は1番目の使徒であり13番目に堕とされているんですよね。(新劇場版だと使徒が13人)

で、1話からは「しずかの死を回避するためにまりなを殺すタコピーの話」、12話は「まりなとの記憶」13話で「まりな母・まりなの死を回避するためにしずかを殺しにいくタコピーの話」「それを思い出して善悪に苦しむタコピー」が描かれるんですよね。

これよくできてるよね。多分、タコピーってカヲル君ポジションでもあり、ユダ的な役割なんですよね。

「神のような知性ある何か」が人間と関わることによって「人間に感情移入して堕天のような羽目になる」、ディズニーだと『ヘラクレス』とかなのかな。

***

構造としてそうだったとして、何を描いているの、と言えばマジで東野圭吾じゃないかなあと思うわけです。

「ハッピー星のハッピーはHappyじゃないんじゃないか説」とかも見ましたけど、私としてはHappyの方が意味が通るなと思っていて。どうしてかといえば、テーマとしては幸福論的な所を描いているんじゃないかなと。

構造やストーリーとしては、前述した通りの読み方をしているんですけど。テーマとしては「いや、そもそも幸せかどうかって各々の価値観によるじゃん」「ハッピーって自分自身の口から出すもので、他者が推し量ったり押し付けるもんじゃない」って皮肉なんじゃないかなと。

***

13話で、母親を殺したまりなは「こんなことなら名前くらいつけとけばよかった」そして「ねぇ」と言いながらタコピーに手を伸ばしているんですよね。それを遮ってタコピーが「(しずかを)殺せばいいんだっピね!」とタイムトラベルの為に去っちゃうんですね。

その直後に「やっぱ名前くらいつけてやれば良かった」と言いながら、まりなが自殺するようなシーンが描かれます。

(ここで「”タコピー”とか」って言ってるんですが、去ってしまったはずのタコピーがなんでそれを知っているのかは、この先の布石ですかね)

個人的には、これはしずかの強さの根幹の拠り所が「チャッピーと名前が付けられた犬」だったことを表して(覚えて)いるのかなと。「名前をつけて可愛がればきっとずっと自分の味方でいてくれる」。

まりなとまりなママの共通点は沢山描かれてますが、これもそれですかね。東家と対照的に、まりな家はしきりに「まりちゃん」と呼びますね。2話の「まりちゃんはママの味方だよね・・・」とかも顕著な例ですね。

まあこの辺に関しては今更言うまでもなく、アダルトチルドレンのステレオタイプと見捨てられ不安が描かれているとは思いますが。

少なくともこの時点のまりなにとっての幸せは、「しずかを殺すためにタコピーが去る<タコピーが去らないで一人にならない」だったはずです。手を伸ばしていることや遮っている辺りのタコピーのサイコっぷりが際立ちますね。

そもそもサイコって人の心がわからないからなわけで、正しくはこれが一回目の人とのふれあいだったタコピーは、サイコと同義なんですよね。

***

しずかちゃんちって、結構わかりやすく不幸なんですよね。物質的豊かさがなく、生活保護や母親が水商売ってことで、中か中の上くらいがマジョリティの地区ではいじめの対象になっている。

一方で、まりなん家はスピに傾倒したり、普段は家事しないくせに作る時は映えしか気にしてないような料理を作っている辺り、私の・・・じゃなくて。そこそこ裕福なんですよね。母が離婚調停に応じてくれないことを父が相談している辺り、父がATMなのかもしれませんが。

東ん家に関しては、外側から見たらさぞかし恵まれている。少なくとも中の上の上くらいにはいると思う。でも、それってのは物質的豊かさであって、名前で呼んでもらえないとか、「取れたところを褒めるのではなく、取れなかったことを責める」教育だったり。背負っているものと評価の狭間で死にそうになっている辺り、私の・・・じゃなくて。

三人とも、今じゃ適切な行動を取れれば恐らくは虐待と認められたり適切な保護も取られるのでしょうが。少し前の時代だと、物質的豊かさがある限り「愛情がない親なんているわけないので」幸せに決まってる、という暗黙の了解が当然だったんですよね。

人は下を見て安心する生き物だから、父親を取られたという気持ちと同時に「貧困家庭」であるしずかが不幸であることで、相対的に豊かなはずの自分は幸せであると思い込もうとしていた節もあったんじゃないのかなって。

しずかとまりなは自分の不遇に気づいていたけれど、東は「まだ」って気持ちが他の二人より強く描かれていたよね。「僕が委員長のクラスでいじめとか」「ここは僕がクリニックの名を落とさないためにも」とか。

現実を直視したくないが故に、混乱して判断力が鈍って、理性より本能の方が優先されてしまう、というのは感情表出が苦手な男性陣にはよくあることなのかなと。だからしずかに翻弄されるんだよ・・・。

これらって、親が物質主義に傾倒した結果の悲劇、物質主義から逃れようとしても考える力がないから詐欺スピに洗脳される悲劇、その辺を描いてんんじゃないのかなと思った。「金が無くても家族愛がある家庭」という(我が家とは真逆の)家庭は日常的に見てきたけれど、家族愛どこ・・・?

***

この三人ってのは、家族愛に枯渇してるんですよね。

向き合っている年齢というのも大きいけれど、しずかは潜在意識、まりなは顕在意識、東は現実逃避って感じだろうか。

まりなは家族を作ろうとしているけれど、しずかは物質的に「問題を解決」しようとしていて、東は人を助けることで「自分は助ける側である」と思おうとしている。

「親がクソ過ぎて胸糞」って意見とかも見たけれど、当事者からしてみると親がクソなのってしょうがないことなんだよね。

だって親になるのって試験とかないし、精神鑑定さえされないのに、当然のように母性があると思われてるんだから。親って神格化されすぎてるけど、避妊もせずにSEXしただけの人間以上でも以下でもないんですよ。

ペットとか拾ったら愛着が湧く類の人であれば、自分の血が繋がっている命ってだけで愛着が湧くから、それが家族愛ってものなんだろうなと思います。ちなみに私は「生まれてくる子供が可哀想だから」という理由で子供を持ちたくないので、皮肉にも家族愛は強い方なんでしょうね。

逆に、ペットは意思疎通が図れない分、人権を尊重する必要がないから一方的に「ペットを幸せにする自分」に陶酔している人もいますね。頼むから、ガキ作んなって思いますけど。

これも、幸福論の押しつけですね。なので、もしかしたら「ハッピー星」という「ハッピーを画一化した星」にいるタコピーママってのは、人間をペット的に見ていて、知的生命体とみなしていないのかもしれませんね。こわいね。

***

大学時代だったら論文の題材にしたいくらいに面白いですね、タコピー。最初の頃、周囲に推しても微妙な反応だったので、こんなに流行ったこと自体が意外だった。

「タコピーで児童虐待を語るな」的な意見の本意がどこにあるかにも寄るんですけど、今の時代にカチコチな論文だの医学書だの活字を読むこと自体が減っているからね。

YouTuberとかの印象操作を入れずに作品の純度の高さを保ちつつ、考えさせることが出来ている時点で、漫画という人気商売で成し遂げていることに感嘆ですよ。

庵野さんも言ってたけど、現代人は短絡的で短気だから、小難しい題材を考えさせるには難しい時代になってるからね。

しかしマジで東くんち羨ましいな。「アンタ」でも「お前」でもなくて「キミ」だしさ、満点に一点届かなくても、「もう自由にしていいよ」的な呆れて見捨ててくれてるじゃん。パンケーキというご褒美をわざわざ手作りしてくれたり、恐怖政治の中でもロジカルで飴があっていいよね。癇癪起こさないのも兄がおるからの余裕なんだろうし。

まりなちゃんちも羨ましいよ。だって多分、狂い始めたのは最近だし、詐欺スピ洗脳系とはいえ、小児ワクチンとかは打たれてるでしょ。勝手にスピ系に傾倒してるだけで、まりなちゃんにそれを押し付けて、結果が出なくてまりなちゃんに当たったりしないでしょ。

まあ、何より羨ましいのは顔に傷をつけてくれるところだよね。それだけで「虐待」の説得力が爆上がりするし。激高型だから、13話でまりなちゃん殺されそうだったけど、ワイの場合は殺してくれてたらもっと幸せだっただろうなって。日の目を浴びて問題が露呈するからね。

そんなの羨むな、人の心がないのか、って思われるかもしれないけれど、人の心があるからこそ切実に願ってしまうよね。リアルの人間に羨むのは自己嫌悪だから、漫画のキャラ位許されてえよな。

女で、顔に一生消えない傷がついてでも、今よりはマシだったと心から思えてる段階で、タコピーの世界より救えない世界って腐るほどあると思う。いや、ないのかもしれないけれど、少なくとも私にはあった。

その私の視点から見ると「結局のところ、幸せかどうかの基準は自分で決めるもんだし、理不尽でも不遇でも死ぬ以外の選択肢を取るなら、大抵の場合は自分で諦めることと諦めないことを決めて頑張るしかない」って結論に落ち着くんだよな。

***

正直、この漫画ってのは「あなたが死にたいと言った今日は昨日死んだ人が死ぬほど生きたかった明日なんです」に対してのアンチテーゼなんじゃないですかね。

自分としては「ネガティブ」とか「不幸マウント」とか、まあマジで不幸マウントが流行ってた時代ってのもあって「病は気の持ちよう」みたいなクソみてえなアドバイスを受けることが結構あったんですよね。「死にたいなんて軽々しく言うな」みたいな。軽々しくだったら口にしねえよ馬鹿。

そういうのを言ってくる大抵の場合は、物質的豊かさがないものの家族愛の強い家庭、だったりするんですよね。「不遇な中で努力したから勝ち取った」という間違った成功体験がついて調子づいちゃうんですよね。いやいや家族のサポート忘れとるで、っていうのいっぱい聞いて「幼い~」って思いますね。

我が家の場合は、言ってみれば、東くんが一人っ子で社会に出てから大成できないことで「結婚!」「有望な人!」「出産!」モードだったんですけど、家を離れる毎に「人権ねえな」って異常さに気づいて反抗モードに入ったら両親がストーカーと化してしまったって感じです。

***

「アダルトチルドレンが、無意識に子供に同じことを繰り替えすまりなの描写凄い」という意見と「最近のデータではそれは本当じゃないから乙」的な意見の両方をサラっと見たんですけどね。

これも取りようだと思うんですよね。

少なくとも私の両親は、母の真偽は不明ですが、少なくとも父は完全なる被虐待児で「遺伝的に同じことをやっている」のと「自分の虐待が嫌だったのでそれ以外ならいい」or「自分の虐待と逆のことが幸せ」の二つに分かれてましたね。

家族愛を学習できてない人間が取れる選択肢として妥当だなと思います。で、最近のデータがどうこうについては「遺伝的に同じことを繰り返す」に関して言われてるんじゃないかなあと思ったり。

何故なら、両親共々アル中で激高型でしたけれど、私は付き合い以外でお酒を飲まないし、自分の感情を一番奥にしまっているんですよね。趣味とか論理の思考パターンとして、活かすところは活かしてますけど「ああこれが悪いの引き起こすロジックか」ってのも過るので、それは改善してますし。

自分が子供を持ったとして、これほどPTSDになってるのに同じことを繰り返すかね、と思うと絶対にそれだけはないんですよね。一方で、自分が辛かったことを知っているせいで、辛かったことを排除することが幸せだという幸福論を押し付ける危険性はあるのではないかと。

例えば、母の場合は「女性に学歴は必要ないから」と「教師になりたかったのに」大学に進むことを祖父に止められました。

もともと九州の血が入っており、馬鹿みたいに気が強く、プライドが高く、すぐヒスっちゃう母は「大学に行かせてもらうことができ、教師になれることがなによりも幸せだ」となったわけです。

私としては教師って一番嫌いな生き物でした。「善悪の断罪」を一番最初にする割に尊敬できない人たちでしたから。

両親との利害が一致した場合だけ、自分の望むことができたりしたんですけど。まあ微々たるものですよね。自分の人生なのに、操縦席に座っているのは親なんですよね。父はいつも「スポンサーの言うことは絶対」と言っていました。家庭・・・?

あ、よく疑われるので言っておくと、完璧に両親共々血は繋がっています。多感な年頃には、彼らのサイコ血が流れていることが嫌という理由で何度か自殺しようとしてました。

***

幸福に正解なんてないんですよね。だから子育てにも正解はないんですよ。少なくとも、「幸福を見つけるのは本人であり、それを手伝ってあげる」という姿勢じゃないと駄目だと個人的には思っています。

ただ、これ自体が被虐待児が思っているので、実際それを貫こうとしたら、子供の方がレールを求めていて「ネグレクト」とか言われちゃったりするんですかね。そういうことです。

子供の個性を見て、それを尊重してサポートしてあげるってのが、次世代に命を繋ぐ者の役割だと思うんですけど。アダルトチルドレンになってしまった時点で「自分が幸せな家族を持ちたい」という、本来であれば最初に満たされる欲が満たされないまんまになってしまうわけですよね。

よほどの自制心がないと、自分主体になりかねない危険性を孕んでいるわけですけど、こんなに苦しんで尚も自制しなきゃいけないのかと思うと、自分のことはともかくとして他者にそれを強いたくないなということ。

自分がやってもらえなくて苦しみ続けたことを、「やってあげている」という恩着せがましさを持たずに本心から行動できるかってことですね。しなくていいと思うんだよね。

出産と育児分けるシステムにすればいいのにね、って話を始めるとまた話長くなるからやめとこう。

***

私が興味持ったのだって「ハッピー星人」とかいう「画一化されるはずもない幸福論を押し付けてくる存在」が出てくる不穏さに惹かれたわけだしね。

陰キャにとってのナオトインティライミくらいの破壊力だよ・・・?(風評被害)

まあみんなクジラックスクジラックスってロリ曇らせに興奮してないで、タコピーにならずに、タコピーを教訓に、新しい時代を。声なき声に力を。愛なき時代に愛を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?