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応援していたという証 -午前0時の向こう側に寄せて


 さて。前回のnoteでは名前を出さずに書いた私の"推し"の話をしようと思う。

 3月16日、グランキューブ大阪。私の推しであるVtuber、叶による1stソロコンサート「午前0時の向こう側」が開催された。
 このコンサートを通して様々なことを考えた結果、「彼のことを応援していた証」を残しておきたくなったのでこれを書いている。ただのオタクの駄文ともいえるし、私の人生の記録ともいえるけれど、彼なしに成立しない人生をほんの少しの期間でも送っていること、その記録をちゃんと残しておきたいと思った。

 ※他人が読めばただのオタクの激重キツ長文になっている可能性があるので、この先を読む方は他にやるべきことがない暇な時に読むようにしてください。

 ところで、彼のことを多くの人が「叶くん」「叶さん」もしくは愛称として「かなかな」と呼んでいるが、正直私はどの呼び方もしっくりきていない。恐らく、これまでほとんど彼との交流を行ってこなかったせいだと思う。リスナーは配信へのコメントやTwitterのリプライで彼の名前を呼ぶが、私は鍵のかかったアカウントで一人「叶…好きだ…」と気持ちの悪いツイートを垂れ流して3年近く生きてきた。呼び捨ての他に私の中で最大限に愛情を込めた呼び方として「かなちゃん」「かな」があるが、その呼び方をしている人を一度も見たことがない。激キショ愛称、恥ずかしすぎる。
 敬意を持っていないわけではないものの、直接交流を図ることがないと敬意を持った呼び方に慣れないのだ。もし対面して話す機会があったら私は彼のことをなんと呼ぶのだろうか。恐ろしい。とはいえそんな機会はそうそうないので、そういう機会が来たときに考えることとする。そういった事情もあり、今回は基本的に「彼」統一で書くつもりである。

 前提として、私は盲目オタクではない。彼に対してここが嫌いだとか苦手だとか、そういった感情を存分に持ち合わせている。だけどそれと同じだけ、彼の好きなところもある。嫌いなところも、苦手なところも、好きなところも、全部彼であり、その全てを持ち合わせているからこそ人間らしくて、そんな彼のことが好きなのだ。

 今回のソロコンサートは、私たちと彼の知る彼と、私たちも彼も知らない彼、そんな「彼の中にある様々な彼」がテーマだった。感情豊かな厄介古参オタクなので全編を通して8割くらいの時間泣いていたが、その中でも特に感情を揺さぶられてしまって大変だった演目とそれらを通して考えたことを中心に彼のことを書いていこうと思う。
 ここからはコンサートのネタバレを含むので、未視聴の方やリスナーでない方は、「数年間ずっと応援してきたすごく人間らしい推しがこれを歌っていたら」と考えて一緒に泣いていただければ幸いである。

8曲目 「晴天を穿つ」 / 傘村トータ

 個人的に好きな曲であり自分がかつて救われた曲だったというのもあるが、彼がこの曲を歌うことで彼自身を救っているのではないかと、そんなことを考えて泣いた。

馬鹿野郎 君は死ぬ権利なんてないよ 
幸せになってずっと僕といるのが義務だ

 歌詞に出てくる「君」も「僕」も彼自身のことであったとしたら、これは彼による最大級のエゴであり彼への最大級の救いなのではないか。

 この曲を彼が歌う意味、彼が私たちに届けようとした意味として、歌詞の「僕と君」は「彼ともうひとりの彼」であり「彼と私たち」だったのかもしれない、と思う。彼は彼の味方であり、私たちの味方であろうとしてくれている、そういう優しさと、彼が彼であることへの決意を感じる一曲だった。


9曲目 「大丈夫」 / RADWIMPS

 「晴天を穿つ」の次がこの曲だったこともあり同じようなことがいえるのだが、この曲においても歌詞の中の「僕と君」は「彼ともうひとりの彼」であり「彼と私たち」なのではないかと感じた。が、最後の演出を考えると、どちらかというと「彼ともうひとりの彼」の側面が大きく、メインの要素だったのだと思う。

 それが、ふたりの「叶」が向き合って掛け合いを繰り広げる演出だ。

「大丈夫?」ってさぁ 
君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 
僕は笑って言うんだよ
何が僕らに降りかかろうとも 
きっと僕らは 大丈夫だよと
僕は今日から君の 「大丈夫」だから

 この歌詞を向き合って歌うこと。叶が叶に歌うこと。彼こそが彼を彼たらしめる存在であることを実感させられてまた泣いた。

 メタ的な視点を出すが、私はVtuberというのはその「アバター」「V体」、つまりここでいう「叶」という存在を動かす第三者があって初めて成り立つものだと思っている。もちろん「叶」という存在がバーチャル世界に存在していると考えその世界観を楽しむのが本来の楽しみ方なのだろうし、そう考える人のことを否定することは全くないが、私はどうしても彼が彼であること、彼になった事実、「叶」ではない側面、そんなものについて考えて「あなたが"叶"になれてよかった」というように「あなた」の部分に思いを馳せてしまうところがある。あまりにメタな話題なので対面でオタクにそんなことは言わないのだが。

 だからこそ、彼になった彼、彼になる前の彼、表向きの彼、そうでない彼、全ての存在が彼を作り上げていて、彼の「大丈夫」になっているのだと思って涙が止まらなかった。5年の活動で色々なことを感じたと思う。楽しいことだけじゃない、私たちが見てきた時間だけでも彼が辛い思いをしていることがわかる時期はあったし、きっとそれ以上に私たちの知らないところで苦しんでいたこともあるだろう。だけどそんな日々を経て、そんな日々を過ごした彼こそが彼自身の「大丈夫」であるならば、きっとこの5年間は正しいものだったんだとそう思える。それが本当に幸せなことだと思った。


14曲目「針音」 / 叶

傷つけたくない本心
できるだけ嘘はつかないように
浪費するそんな意志
損な性格?だけど治らないし
無駄な葛藤はなかった
信じたいよ

 この曲で最初に涙が止まらなくなりハンカチに顔を埋めて泣いてしまったのが、この歌詞を聞いた瞬間だった。この数年間で、盲目でない全てのリスナーは彼の「損な性格」について一度は悩んだことがあるのではないかと勝手に思う。勝手な想像なのでそんなこともないかもしれないが、少なくとも私はそうだった。彼の言動は言葉が足りなかったり言い回しが下手だったりと危ういことが稀にあり、どうしてもうまく人に伝わらずに反感を買ってしまうようなこともあった。それを数年見てきて、もう離れてしまおうかと思ったことは正直ないと言うと嘘になる。それで離れていった人を見たこともあった。彼もきっとそれが苦しかっただろう、と思う。言葉を扱う仕事だから、思ってもいない方向に言葉を解釈されて、リスナーに見限られて、そんなことが何度も繰り返されて。それでも彼が続けてきたから、彼は今ここに立っている。そして私も、それでもそんなところも含めて好きでいたから、今こうして彼の姿を見ている。

 彼が無駄な葛藤はなかったと信じたいように、私も無駄な葛藤はなかったと信じたかった。彼から離れようとしたこと、それでも戻ってきたこと、それを繰り返した葛藤も無駄ではなかったことを知った、知ることができた。彼のおかげで。彼が最高のパフォーマンスを見せてくれたそのおかげで。

選んできたんだ
気づいたらここに立っていた
それでいいんだ

 色んな選択を繰り返して彼がここに立っていること、同じように私も色んな選択を繰り返してこうして会場にいること、何も間違いじゃなかったことを知った。それでいいんだと分かった。応援するという選択が間違っていなかったことを、彼が教えてくれた。

些細な運命が歯車を回す
君と僕が出会えたこと
偽物なんてないんだ

 彼に限らず、「推しとファン」の出会いはいつも些細なことがきっかけだ。誰かに勧められたとか、偶然タイムラインに流れてきたとか、そんな小さな出来事がきっかけで人生に推しの存在が増える、そうして歯車が回る。

 私の人生も、彼に出会えたことで沢山の変化があったと思う。アルバイトでのトラブルで鬱のようになってしまったあと、復職できたのも彼のおかげだった。母との関係が良好になったのも、彼と出会って、母が近しい活動者を好きになり一緒に配信を見たりするようになってからだった。彼は「配信者とリスナー」「彼と私」だけではない様々な方面に変化をもたらしてくれた。直接彼が何かを言ったわけでも、彼と話をしたわけでもない。冒頭で言った通り私はコメントの一つも残さない空気のようなリスナーだが、それでも私の人生には「彼のおかげ」が山ほどある。そんな出会いに偽物なんてない、間違いなんてないと感じさせられて、本当にびっくりするほど泣いた。崩れ落ちていたら2列前のお姉さんも崩れ落ちていて、彼が愛されていることを実感してさらに泣いた。


15曲目 「声を聴かせて」 / 叶

信じてきたもの 残すように
生きた意味を歌うんだよ

 針音で「信じたい」と歌った彼が「信じてきたものを残す」「生きた意味を歌う」と口にするのに本当に感動した。実際には針音の方がリリースは後なのだが、私は個人的に針音のアンサーソングが声を聴かせてなのではないかと感じる。

Please Remember Me
孤独だった僕たちに、この歌を

 上では取り上げなかったが、針音には「忘れないで 今日を昨日を そしてこれからの僕を」という歌詞がある。この歌詞も、この部分に対応しているのではないかと思う。

 5年もの歳月があれば、彼の活動にも変化がある。私が見始めた頃の彼は、高熱があろうと必ず毎日配信をしていた。2021年11月13日、案件配信の前日に「大事をとって休む」と初めて休んだ日まで3年6ヶ月11日もの間一度も休んだことがなかった。彼は「いつもいる安心感」を大事にしたいと話していて、私も彼の配信が毎日あることを当たり前だと思っていた。だけどここ1年ほどは大きなイベントへの出演や公式番組などの収録も増え、その準備や打ち合わせなど配信以外の仕事もあってか配信の頻度は大きく減った。配信時間も過去と比較すると短くなり、日を跨ぐような10時間、20時間超えの配信はめっきり無くなった。

 人気になっていくこと、仕事が増えることで起こるのはいい変化ばかりではないのだ。配信の時間や頻度が減ることに文句を言う人もいたし、彼自身も疲労でピリピリしているのが目に見えて分かるような日もあった。正直に言うと、1年ほど前から私も、配信に訪れる頻度は減っていた。健全に、健やかに配信をしていて欲しいだけなのに、それが出来ていないことに対してモヤモヤして、嫌になって、投げ出した。私はこうして戻ってきたけれど、そのまま離れていった人も多分いたと思う。

 だけどそんな彼のことも覚えていて、忘れないで、そうして誰かの心の片隅にでも彼がいたならそれでいい、と私は思う。彼もきっと同じ気持ちだろう。これまでの彼も、これからの彼も、忘れない。そう誓えるような音楽だった。


17曲目「優しい人にならなければ」 / 叶

 コンサート中一番泣いたのがこの曲だ。初披露のオリジナル曲で、最初は私の知らないカバーなのかと思いよくもまあこんなに叶らしい曲を見つけてくるな、と感じていたが、聴いているうちに彼の話であることをひしひしと感じ気が付いたら泣き崩れていた。誇張抜きに過呼吸に近いレベルで泣いていたので周りの人に心配された。ハンカチというかハンドタオルを使っていたのだが、普通に吸水力が無くなるまで泣いていた。

優しい人になりたくて
正直な気持ち話してみたら
嘘つきよばわりされちゃった
もういいや

 彼の言葉に嘘などないと思っていても、綺麗な言葉をうまく信じられないことは何度かあって。私はそれを彼に伝えたりはしなかったけれど、伝える人、そうしていなくなる人もきっといただろう。優しさ故に信じてもらえないことがどれだけ苦しいだろうか。優しくない私には計り知れないけれど、諦めるような言葉に切なくなってしまった。

きみを受け入れようとしたのにさ
泡のように消えてしまったよな
酸性だったみたいでさ
痛いのが消えないよ

 彼は昔、配信で「優しい人になんてならなきゃよかった」と話していたことがある。あの日詳しく話してはくれなかったけれど、「無償の愛は怖い」と言っていたのがずっと心に引っかかっていた。

 彼の優しさは不器用である。いや、彼自体が不器用な人間であると言う方が正しいかもしれない。前述したように彼は言葉が足りなかったり言い回しが下手だったりということが稀にあるが、その回数は正直、人よりは多いのだと思う。前後の文脈をきちんと紐解いていけば伝わるのに、下手な言い回しをしたある一箇所だけを聞いた人に曲解されてしまうようなことも少なくない。私たちは、そういう人を掬い上げることが出来ず彼が苦しんでいたところをちゃんと見てきた。
 さらに、リスナーが増えれば、それだけ意見の数も増える。ひとつの話題に対しても同じ意見ばかりではなく、何かを決める時には誰かの意見を殺してしまう必要もある。活動者のやりたいことをやりたいようにやるだけなら簡単だが、そうもいかない。だからリスナーのことを思えば思うほど受け入れることが出来ないことは増えてしまう。受け入れようとしても、もういい、と消えていくリスナーもいる。そういう世界だから、そういうものだから、と分かってはいても、私たちもそれを見ているのは苦しかった。彼もきっと、痛みを感じていたんだと思う。

誰かに怒ってみせるのも
長い目でみりゃ優しさなんだと
言葉を選んで間違って
繰り返す

 この歌詞も、もしかしたら配信ではなく裏で誰かとこういう出来事があったのかもしれないが、リスナーとの関係にも言えることだと感じた。直接彼が配信の雰囲気やコメント欄に苦言を呈するときにも、言葉選びが上手くないせいでどうしても反感を買うような結果に陥ってしまうことがある。それも優しさであると分かっているのに、私も、「またお気持ちしてる」なんて酷いことを思ってしまったことがある。リスナーのことを思って、考えてしたことを、そうやって否定されるのはどんな気持ちだっただろうか。本当に、上手く伝えられない自分を責めたりはしていなかっただろうか。間違ったことをしているわけではないのに、間違った言葉選びをしてしまってどうにも上手くいかないことで苦しんではいなかっただろうか。そんなことを考えた。

悴んだ想いは 凍てついた夜空へ
今もまだ まだきみに会いたいんだ
もう迷わない 心臓に花刺す
この痛み全部抱えていかなくちゃな
すれ違う世界に銃を突きつけられても
正しい人になれなくても
泣かない人になれなくても
間違いだらけの人だけど 僕は
きみが笑ってくれるだけでいい
優しい人だ

 離れていった人を、居なくなった誰かを、まだ思っている。そんな風に聞こえて苦しかった。長く活動を続けていると色々なことが変化していくし、応援や前向きな言葉だけではなくネガティブな反応も見えてしまうだろう。「昔の叶くんが好きだった」「過去のリスナーはもういらないってこと?」そんな風に言われていることもある。私たちはそれを見てどうすることも出来ないし、彼の変化に対して何か思ってもついて行くか離れるかの二択しかそこには無い。この歌詞で、彼がそんな離れていった人のことも思っているのだと感じられて、これまで何度も揺らいでしまった自分の気持ちを許してあげることができた。

 これは彼の後悔と痛みの記録であり、そして決意の歌でもある。私たちリスナーとこれからも歩んでいくための言葉である。そして、彼がそう思っているように、私たちも彼に対して「きみが笑ってくれるだけでいい」と言えるその気持ちを、愛情を、再確認させてくれる歌だったと思う。


コンサート全体を通して

 このコンサートで彼が伝えたかったことは、多分「過去を愛すること」そして「これからを愛すること」なんだろうな、と思う。
 5年間沢山の思い出があったけど、その分沢山の失敗と後悔があって。でもそんな経験も無駄ではない、それこそ過去の彼が積み重ねてきた全てが彼にとっての「大丈夫」になるのだと、そう思った。

「これは可能性の話。終わった今日を超えて、新しい明日に進めるか。それとも、同じ毎日を繰り返し続けるか」

 本編でそんな台詞があったが、これこそが彼自身がずっと感じてきた思いだったのだろうと思う。そんな「終わった今日」も含めて抱きしめて、新しい明日、未来に向かおうという彼の決意を感じるコンサートだった。


さいごに

 正直、これまで同担拒否という言葉を使ってもいいくらい彼に対して特別な感情があった。というか今もある。実は会場前で数千人の同担の姿を見て体調を崩しギリギリまで会場入りしなかったせいで影アナの前半を聞き逃した。それくらい苦手である。でもそれらは全くもって恋愛感情ではなく、「私だけの叶くん」というような独占欲でもない。言葉を選ばずに言うならば、もちろん自分が「理解っている」というのは烏滸がましいけれど、彼のことを「理解っていない」人が存在するかもしれない(いないかもしれないが)という事実が恐ろしく、そんな人が応援している顔をするのが許せなかった。そして、彼の良くないところを全肯定する人のことも好きになれなかった。それゆえの同担拒否である。
 だけどそういう人を含めてコンサート会場にいる数千人が彼を見ている、応援しているという事実を目の当たりにして、彼が彼としてここに生きていることがこれまでの彼の選択によるもので、ここにいるリスナーがどんな形であれ応援を続けてきたからこそ実現されたことであることを実感して涙が止まらなかった。
 彼と私たちがいつも画面越しの関係であるように、リスナー同士もまた基本的には画面越しの関係である。私のように他のリスナーとも関わらない、コメント欄さえ見ないような人間であれば、彼のリスナーの存在を感じられるのは配信の同時接続数というひとつの数字だけであり、「◯千人」「◯万人」という塊としてしか認識することができない。だからこそ、会場にいるひとりひとりが彼を見ていることが新鮮で、こんなにも愛されているのかと何度も実感させられた。

 私は多分、これからもコメントはしない。リプライも、やってみようと思い立ってアカウントを作ったが半月でやめてしまった。気持ちは伝えなければ伝わらないとよく言うけれど、いつもありがとう、それ以外に言いたいことはひとつもない。だからこういう節目にこんな記事を書いて、それだけで満足している。それでいいと思っている。

 叶。熱量の伝わらない応援でごめんね。いつも楽しませてくれてありがとう。5年間ずっと頑張ってきてくれて、何があっても辞めないでいてくれて、本当にありがとう。

 幸せで居て欲しい。健やかであって欲しい。推してきたこの数年間色んなことを思ったし、離れようとしたこともあった。きっとこれからもそう、何かの拍子にふと見なくなったり、戻ってきたり、そういうことがあるんだと思う。だけど私が見ていても、見ていなくても、いつでも笑っていて欲しいと思いました。

これからも無理はしないで、やりたいことをやりたいようにやって、どんなあなたでも健やかで、元気で、幸せでいてね。あなたがあなたになれてよかった、叶としてここに生きているあなたのことが、叶として生きていくことを決めたあなたのことがずっと大好きです。


 改めて、このコンサートに関わった全ての人に大きな感謝を。最高の時間をありがとうございました。

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