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【左右は存在しない】

誰でも得意不得意はあるモノです。

私はどうやら「左右盲」という、軽い障害があるらしく、咄嗟に左右を認識することがとても不得意です。

小学生の体育の時に目隠しをして「回れ右」とか「回れ左」やったのがトラウマになっています。2分1の確率で動いていたので全くデタラメな動きをしていました。頭の中で「小学生にもなって左右がわからない子」と言われている気がしました。

ボクシングをやっているのですが、ミット打ちで「右!」「左!」と咄嗟に言われると動き止まってしまいます。

レントゲンの時にベットの上で「右を向いてください」といわれるとゆっくり考えればわかりますが、一度うつ伏せになると左右が全くわからなくなります。この時も2分の1の確率でベットの上を回転していると「そっちは右ですね」とか「大丈夫ですよ、痛くないですから、落ち着いてください」と言われて汗だくになります(笑)

私はこの障害を克服するために頭の中で「私の私の彼は左利き♫」という歌を思い浮かべ、歌の歌詞になるくらいだから使わない方の手だ。。という思考の流れをわざわざ経由して左を認識していました。

そして、私はこの障害を肯定するために、壮大な理論を展開します。
地球は丸いから左にずっと行ったら右に出てしまう。だから左右なんていうものは存在しない。という独自の理論に達します。左右という概念は相対的なものなのでそもそも絶対的な左右はないのだ!と思うことで劣等性を受け入れるようにしていました。この理屈が正しいかどうかではなく、これが自分の「正解」である。ということです。そう考えると、できないことを自分なりの「正解」で克服することによって人は進化してきたのだといえます。

この新しい「正解」=発明がある意味「アート思考」的な創造なのではないかと思うのです。

左右という当たり前に疑問を持ち、左右は相対的な概念で世界に絶対的な左右はないという自分だけの「正解」を生み出したのです。

正解のないアート思考の領域では正義と悪、正解と不正解といった既存の二項対立的な概念を超えて今までにない新しい「正解」を生み出すことができるのです。


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