【偏在するプチ神と神なき祭】

あなたが棺桶に入った時、どんなお経が聞こえますか?と聞くと7割がわからないと答えます。葬儀屋さんと話した時に感じたことは、葬儀は形骸化した様式に乗っ取って処理するものになっているということです、。特に都心部の葬儀は檀家の概念が薄れ宗派すら不明な場合も多いそうです。
つまり、宗教的な属性はほぼ崩壊していて既存の宗教の時代が終わっていると言えます。社会の様々なヒエラルキーが崩壊し、権力的なものの力が失われていく中で宗教や信仰も並列化しているということが言えると思います。かなりおおざっぱに歴史を見ると政治的権力と宗教的信仰という大きな2つの概念で世界の歴史が回っていたように思えます。信仰や権力は垂直支配だったわけですが、並列思考のインターネット以降、信仰や権力の支配構造が崩壊してそれ自体、多様化、分散化しているというコトなのではないでしょうか?こと政治においては、その権力がインターネット以前の権力構造下にあるため、構造的には残っているものの実際はその構造の信憑性は失われかけている。形骸化した権力統治となっているように感じます。

信仰の話に戻すと、これからは八百万の神(偏在する神)がいっぱい生まれるのかもしれない。神という定義にもよりますが、ユーチューバーかもしれないしセミナー講師かもしれない、メンターやコーチングの講師、ネットサロンだったりするのかもしれない。つまり、信仰に近い概念も多様化=選べる神になってくる。一部の人しか読み書きできなかった時代は容易に文字(経典)が強力なメディアになり、続いて新聞がメディアになりラジオ、テレビと続きますが、これは画一化していた一元的な情報で、このなかではメディアの洗脳も可能でしたが、多様化・分散化するとむしろ一神教的な信仰である必要性も薄れてきた。言ってみれば多様化したなかで信仰宗教よりさらに細分化した形になっていき、神のカスタマイズ、マイ神、最終的には自分が神であることに気がつくという流れになってくるのではないかと思います。

祭りに関しては、地域の祭りがどんどんなくなっていく中で、単純に集団的ストレスの発散という意味では、にわかファンやハロウィンなども信仰という概念に変わる現代の祭りによる集団ストレスの発散なのではないか。身体的なハレとケをイベントの中に求めているように思います。

何れにしても、権力や宗教といった過去のヒエラルキーが崩壊しているということは人類の中でとても大きなパラダイムシフトが起きているということだと思います。

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