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『ホーランジア』13 戦争経験者

歩けるようになったところで退院して、家に戻った。なぜか謎の栄養失調になっていて、病院としてはもう少し加療したいようだった。だけど未知の感染症が世界的に猛威を奮い始めていて、病床を整理しないといけないらしい。

謎の栄養失調。点滴を入れてもなかなか改善されなかったと心配された。私は理由が分かっていたけど、リアルで栄養失調だったんですとも言えず、大丈夫ですとだけ言って病院を後にした。それに、退院は私にとっても都合が良かった。できるだけ早く退院して、あの時代のあの島に戻らなきゃいけないから。

久しぶりの制服に身を包んで、自分が令和の女子中学生なんだなと、ため息を吐く。こうしてる間にも、あの時代のあの島では状況がどんどん悪くなっていって、最後には望みのサルミに受け入れてもらえないって悲劇に向かっているというのに。

私だけが毎日あったかいお風呂に入って、ほかほかご飯におかず、蛇口をひねったら飲める水が出てくる場所でぬくぬくと生きている。山根さんじゃないけど、別に人を殺したわけじゃないけど、それでも。自分だけがこうして何不自由なく暮らしていることに、ものすごい罪悪感がある。

時々、あれはやっぱり夢だったのかな、なんて思いそうになることもある。でも、そんな時は髪を触る。昇さんの刀で歪に剃られた髪。とりあえず揃えよう、と言われたのを敢えてそのままにしてある。これが、健康を取り戻した体に残るたったひとつの繋がりだから。

***

学校に着いたら、玲奈がラグビー選手みたいに飛びついてきた。

「やよぉ!! 心配したんだよ! もう! やっと会えたぁ! どしたのその髪? なんか検査とか?」
「あはは、まあそんなとこ。ごめんね、もう大丈夫だから」

玲奈の頭をサラリと撫でて、令和の女子力の高さを再確認。私の頭はいま、そういうのじゃないからね。

「古賀、とうとう男になったのかと思ったぜ」
「転校生を紹介しまーす」
「僕、古賀生弥です!」
「はぁ! 何言ってんの!」
「ははは」

アホ男子にも久しぶりに会うとなんだか感動的だった。でもいきなり「生弥」なんて言われて、心臓が飛び出るかと思った。弥生を逆にして生弥。なんでその名前を知っているのかと驚いたけど偶然だよね。男子の考えることなんてきっと75年経っても変わらないんだ。

「町田がさ、やよが意識戻るまでの間ね、ずっと言ってたんだよ。あいつがこんな目に遭ってるのは俺のせいなんだ、って」
「え?」
「んもう、とにかくすっごい心配してたよ、なんか責任感じちゃってるみたいだし」

チラリと、晶を見る。今日は車で送ってもらったから、朝は晶に会わなかったんだ。こっちを向いた晶と、目が合った。え、こっち来る?

「ホラ、王子様のおでまし」
「違うでしょ」
「弥生、ちょっといいか」
「あっ、うん」

真顔で、何だろう。玲奈が変なこというから、なんか身構えてしまうよ……

***

今はもう使われてない北校舎と交わる階段の踊り場は、少しカビ臭いにおいがした。こんなとこまで来て、晶は何を始めるつもりなんだろう。

「しょ……」
「弥生。お前、GW本当は何処で何してた?」

え。いきなり何?

「え? どこって。知ってるでしょ、潮干狩りで倒れて、ずっと病院だよ」
「その割には随分とよく日焼けして、男っぽくなった」
「ばっ……!!」

まるでどこかに遊びにでも行ったと言いたいのか、晶の顔に笑顔はなかった。疑われて腹が立つ。言い返してやりたい。私がどんなところにいたか。どんな思いをしたか。みんなが、どんな思いで逝ったか。そして75年前の今頃、苦しい思いで歩き続けてる人たちがいるんだって、言ってやりたい。でも、それはできない。言ってもどうせ誰も信じない。悔しさがこみあげて、涙になる。

「話したいことが、あるんだろ? 困ってることも。全部俺に言ってくれよ。力になりたいんだ」

晶は私の肩を強く掴んで、私の身長に合わせて腰を落とし、目を見て語りかけてきた。

「お前のことは、必ず俺が守るから。そのためには、なんだってするつもりだ」

真剣なまなざしと言葉が、私の心を射るように、まっすぐ向かってくる。あれ? この感じ、この言葉、昇さんの……。

晶の予想外の言葉に、全身から力が抜けた。今までならウザって思ってしまうところだけど、私は話してしまいたかったんだと思う。晶が昇さんと少しだけ重なって、なんだか晶には頼っていいような気がした。

「あのね、信じてもらえないかもしれないけど、私」

私は晶にすべてを話した。ひとりで抱えるには、ちょっと重すぎたから。晶は、ただ、黙って聞いてくれた。

「それでサルミに向かおうとしてるんだろ?」
「え、私そこまでまだ話してないよね」

待って。変。晶にタイムスリップの話はしたけど、サルミなんて言っていないし、これから何しようとしているかなんて話していない。晶、もしかしてニューギニアでの戦争に詳しいの? 

「晶、どうしてそれを?」
「弥生にいつ話そうかって、ずっと考えてたんだ」
「え」
「俺が思い出したのは、ガキの頃なんだよ。もう10年くらい経つ」

晶の話し方はなんだか少しおかしかった。

「どういうこと?」
「それでカメラ、始めたんだ」
「なんの話をしているの? カメラ?」
「だけどその時に弥生に話したって、絶対信じてくれないだろうなって」
「だからなんの話なのってば」
「俺が、昇だって話だよ」
「え。今、なんて言ったの?」

耳を疑った。待ってよ。晶、本当に何を言ってるの?

「お前があの日タイムスリップしたこと、知ってたんだ。止めたかった。でも止め方なんか知らないから」
「待って、待ってよ。そんなの信じられるわけない」
「タイムスリップが実際にあったんだから、生まれ変わりくらい軽く信じろよな」
「本当に、昇さんなの?」
「そうだよ」

嘘みたい……こんなのって。晶が昇さん……?

「弥生。俺、お前のこと好きだから」

え! なにいきなり! え、っと……それは晶として? それとも昇さんとして? どうしよう。びっくりして、どうしていいかわからない。なんかもっとこう、「ホント!? 嬉しい! 私も!!」って涙しちゃうみたいなのが正解なんだろうなと思うんだけど、私にとっての昇さんはまだあの時代で今もあの島で歩き続けている人だから、晶の顔で言われても困るんだ。

我ながら、女子力低すぎ。でも、本当にどうしていいかわからない。生まれ変わりなんて信じられないし、信じるとしたって、瓜二つならともかく、見た目が別人だし。だいたい、いきなり言われても困る。私が好きなのは昇さんで、晶じゃないから。

「力になるなんて言ったけど、俺はもう行かせたくない」

晶が、絞り出すような声で言った。

「でも、そんなの、いきなり言われても」
「とりあえず、じいちゃんに話を聞きにいかないか。俺も昔の記憶はあやふやなんだ」

晶のおじいちゃんは今はもう数少ない、戦争時代を知る人だ。私は混乱しつつも、こくりと頷いた。

***

数日後。おじいちゃんに会うために、晶の家に向かう。やっぱり晶が昇さんだなんて、いまだに信じられない。だけど、私が話していないいくつかの出来事を知っていたりして、やっぱりそうなのかな? と思い始めてはいる。タイムスリップを止めたかったという理由は、このところの過保護さにも説明がつく。盗撮まがいの緩ショットを狙って写真を撮っていたのも、タイムスリップの瞬間を捉えて止めたかったからと言われて、ようやく納得がいった。

「あのネガ、いくつか写真が出せたよ」
「本当!?」

晶が、軍服と一緒に持ってきたフィルムを現像してくれた。あのフィルムというものは、特別な方法でしか写真にすることができないのだそう。スマホで撮ってプリントできる時代には、そんな写真は少し面倒だなと思った。

「36コマくらいはあるフィルムだけど、古いからか実際に画像が残ってるのは数枚だけだった」
「そっか。でもすごい! 見せて」
「もちろん」

晶の家におじゃまするのは久しぶりだ。子供の時以来だから、ちょっと緊張する。部屋にあがって写真を見せてもらったら、そこには私が会う前の昇さんが見た場面が写っていた。

採ったヤシの実で顔を挟んでおどける軍人さんがいた。肩を組んで歌っているのか笑っているのか、楽しそうな人がいた。同じ部隊だった向井さんも、まだふっくらした頬を輝かせて笑っている。

『縁起でもないが、写真1枚残さず死んでいくなんてそのほうがよっぽど酷い話だろ』

昇さんが言っていた言葉……そうだね、本当にそうだよ。やせ細って死んでいった向井さんの最期の顔が、今、私の中で笑顔の向井さんに書き換わった。昇さんの写真は、なかった。それから、昇さんが私を撮った写真も……。でもこれを、ここに映っている人たちの家族に見せてあげたい。

「誰が誰か、わかる?」
「うーん。記憶が曖昧だな。とりあえず、じいちゃんの話を聞いてみよう。ボケてるけど、昔のことは結構よく覚えてるんだよ」

晶の部屋は2階。おじいちゃんは1階。降りて行ったら、部屋にはいなくて、陽の当たる縁側に出て、ゆらゆらと体を揺すっていた。おじいちゃんおじいちゃんと言っているけど、実際にはひいおじいちゃんだ。かなりヨボヨボな感じで、本当に話が聞けるのかと心配になる。

「あの……」
「あ、ああ、ああ。よーぐ来だなぁ」
「えっと」
「ささ、入れ、すぐに茶をいれさせっがら」

なにか、まるで誰かと勘違いしているみたいな丁重な歓迎を受けて、面食らう。おじいちゃん、誰が来たと思ってるんだろう? おじいちゃんが、いそいそと押し入れへ向かい、中から漆塗りの文箱を出してきた。

「この写真は、おじょうさんのだんべ」
「え?」

そう言っておじいちゃんが文箱から取り出した写真を見た時、私は息が止まるかと思った。

「こ……れ……」

それは、さっき晶が見せてくれた写真の一番最後にあるはずの写真だった。つまり、昭和19年の4月、私と昇さんが初めて海で出会った時の写真。私を人魚だと言って、昇さんが撮った写真……。

「昇さん……っ」

思わず泣き崩れる私に、おじいちゃんがやけにスッキリと澄んだ声で、言った。

「まづだのぼるはぁ、ひどつ上のアニさんだ。アニさんは、お国を守る為に南の島で英霊様になりなさっだ」
「おじいちゃんの、お兄さんなんですか!?」
「そうだぁ。優ーぁしぐで、頭のいいアニさんだ」

おじいちゃん、町田なのに栃木弁で松田になっちゃってる。そうか、最後に昇さんが名乗ったときに言っていた「町田」が、本当の名字で、阿久津さんの訛りで私が勝手に「松田」だと思ってしまっていたんだ。

「遺骨もなんもねぐて、だけんども後でカメラを持っで来てくれた兵隊さんがいてなぁ」
「そのカメラは!? どこですか?」
「終戦後はウヂも苦しぐて、カメラは親父が売っぱらっちまっだんだ。だけんどそん時売っだとごが質屋でねぐてカメラ屋で、中に切れ端が入っでたって試したら写っとって寄こしてくれたんがほれ、おじょうさんの写真だったんだと」

切れ端……! それでさっきの中にはなかったんだ! 古くて、白黒も褪せて、南国の海に女の子がいるだけの写真。どんなに目を凝らしても、私だとはわからない。なのになんでおじいちゃんは、私だって言って渡してくれたんだろう。

「おじいちゃん、なんでこの写真に写ってるのが私だと思うの?」
「なんでって……そんなの、すぐにわかっぺ。そこでアニさんが笑っでら」

おじいちゃんは晶を嬉しそうに眺めて、歯のない口でにんまりと笑った。まるですぐそこに昇さんがいるみたいに。もしかして、おじいちゃんには晶が昇さんだってこと分かっているのかも。

「もう、明日で76年も経づんだな」
「明日!? 今、明日って言いました? 明日、何があるんです?」
「アニさんの命日だ」
「そんな! ごめんなさい、私失礼します!」
「あっ、待てよ弥生!」
「ごめん晶! でも私行かなきゃ!」

明日なんて明日なんて。どんな地獄でも、昇さんはまだまだ歩き続けると思っていたのに。だけどそんな保証どこにもなかった。そうだよ、みんないつだって突然だった。体調を崩したらあっという間に。川に飲まれたら本当に本当にあっという間。

昇さんがサルミの手前、トル川まではなんとか辿り着くだろうなんて、私はなんて能天気なんだろう。ゲニムより西は、それまでとは比べ物にならない苛酷さだと書いてあるのを読んだのに、この期に及んで私は馬鹿だ。

死なせない!私が昇さんを助けるんだ。服の中に入れていける分なら一緒に持っていける。腰に着けた刀が時を超えたんだから、体にくっついてればいけるはず。私はチャリに跨って、全速力で家に向かった。


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