「ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート 録音現場潜入レポート」を、別の視点から紐解いてみる
『季刊・オーディオ アクセサリー』2020 SPRING(176号)に載っているので、是非!
と、記事を書いた渋谷ゆう子さんから(ツイッターでのやりとりの中で)勧められ、買ってしまった(そういえば、発売当初に読んだ気もする)。記事を引用しすぎるのも気がひけるので、記事を読んでいる前提で、私なりの視点をあれこれ示してみたい。
大切なのは「マイクロフォンが邪魔をしない」こと
渋谷さん曰く「マイク位置に神経を使っていた」とのこと。つまりは、映像の邪魔にならず、観客の目障りにもならない点を重視しているのだが、録音する立場からすると、これはかなりの制約であり難しい課題なのだ。
なぜなら大抵の場合、理想とする位置にマイクロフォン(以下、マイク)を設置すると、ほぼ確実に映像の邪魔になる。マイクスタンドを使えばなおさらのことだ。かといってNHKのように吊りすぎても、「ここはスパイダーマンの撮影現場か?」といった見てくれになってしまう。
すると、ひとつの疑問が湧いてくる。
「なぜ、ウィーン・フィルの現場では、“それ” が可能なのか?」と。
キーワードは、「ホール構造」と「文化」
日本のホールではスタンダードとも言える「3点吊り装置」だが、これはガラパゴス的装置らしい。ウィーン・フィルの本拠地「楽友協会」にも勿論存在しない。
バルコンと呼ばれる二階席から細いワイヤーを渡して、そこにごく小さなマイクをセットしている。
そう、実はこの「バルコン・ワイヤー」(と仮に呼ぶ)が、目立たないマイク・アレンジにおける肝となっているのだ。「バルコン・ワイヤー」の高さはかんたんに変えられないが前後には割と自由に動かせるので、マイク位置の微調整もやりやすい。
ところが日本のホールにおいては、吊り機構の守備範囲を外れると、天井のごく限られた位置(穴)から吊り下げるくらいしか選択肢がなく、吊り下げも叶わなければマイクスタンドに頼るほかない。「バルコン・ワイヤー」を仮設しようにも、「安全上、お控えください」とホールからストップがかかるのである。
ウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」(だけではないが)において目立たないマイク・アレンジが可能なのは、次の3つの要素によると思う。
1.「バルコン・ワイヤー」の存在
2.楽友協会がウィーン・フィルの本拠地である点(どの楽器がどの辺りに来るかが、ほぼ分かっている)
3.音楽のみならず、映像・録音制作への理解(=文化)
……とあるオーケストラ奏者が、「小さい頃から楽器を練習し、音大に進み、海外留学してさらに学び、しかしながら日本のオケに所属したら年収は驚くほど低い」と嘆いていた。オーケストラが豊かでなければ、映像・録音制作にかけられる時間もコストもおのずと小さくなる。
「音響的バランス」と「音楽的バランス」
両者の境界線はあいまいだが、「音響的バランス」は、ヒトの耳とは特性が異なるマイクと、ヒトの感覚との橋渡しをすること。「音楽的バランス」は、各マイクの音をいかにミックスするか、とでも言えるだろうか。
渋谷さんのレポートを読んでいると、ニューイヤー・コンサートの収録チーム(複数ある)は、音響的バランスを整えた上で、「音楽的バランス」を積極的に構築しているようである。このアプローチを、仮に「トーンマイスター方式」と呼ぶことにする。
しかしながら、このアプローチだけが “正解” というわけではない。
もうひとつは、音響的バランスを整えたあと、音楽的バランスを音楽家(指揮者や奏者本人)に委ねるアプローチだ。私の理解が正しければ、小澤征爾さんはこの方法を好んでいるようである。仮に「プレイバック方式」と名付けよう。
つまり、音響的バランスを整えた上でいちど録音し、その音を指揮者や奏者が聴く。そして、“音楽家自身で演奏のバランス(音楽的バランス)を整え” 、再び録音する方法である。録音技術面からのフォローは、演奏でバランスが取れない必要最低限の箇所に限られるので、人為的意図を感じさせない録音が期待できるというわけだ。
「トーンマイスター方式」と「プレイバック方式」、どちらが正しいということもない。ただ、ライブ録音には「トーンマイスター方式」の方が相性が良いだろう。なぜなら、録音結果を聞いて演奏し直すことが不可能に近いからだ。ただ、本番前のリハーサルに十分な時間を確保できれば、ライブ録音であっても「プレイバック方式」を採用できるはずである。
まとめ
渋谷ゆう子さん(株式会社ノモス)はツイッター上で、とある配信における(映像に)配慮のないマイク・セッティングを嘆いておられた。私も(録音だけでなく)撮影に取り組むようになって初めて、「マイクって、こんなに邪魔だったんだ」と実感した(頭ではなんとなくわかっていたが)。そこで近年は、楽友協会のようにはいかないまでも目立たないマイクロフォン・アレンジを研究し、第九を8本のマイクで録るなどの試みを行っている。
「撮る私」と「録る私」とで会話し、軌道修正してゆくのだ。
多かれ少なかれ、制約はつきものだ。それぞれの制約の中で、皆おのおの工夫をしている。とはいえ、「ライブ録音」と「公開録音」とでは意味合いが異なってくるだろう。ライブ録音において、録音は主役ではないと思うのだが、マイクが所狭しと林立している現場も少なくない。
私も20年ほど録音をやっているので、良い音で録りたい気持ちはよく分かる。だが、「このマイクは本当に必要だろうか?」「もっと目立たない設置方法はないだろうか?」「マイクが、奏者や観客に圧迫感を与えていないだろうか?」と、“いつものやり方” を日々見直していこうと気持ちを新たにしてくれたレポートだった。
ところで、2021年3月に完成した桐朋学園宗次ホールでは「バルコン・ワイヤー」が採用されており、今後の録音制作が楽しみである。
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