北極のひかり
太陽は3時間前に沈み、あと30分で日付も変わろうとしていたとき。
「今 northern lights (ノーザン・ライツ) が見える!」
そう言いながら、ルームメイトが小走りで階段を登ってきた。リビングでちびちびとお茶を飲んでいた私は、撃たれたように椅子から立ち上がり、彼女といっしょに家の裏口から飛び出す。
庭から見える山の上に、黄緑色と乳白色を混ぜたような、ぼんやりとした光の帯が静かにゆらめいていた。
オーロラだ。
そのはじまりを目で追うも、端は山の影に隠れて見えない。ずっと向こうから来ているようだった。今日のオーロラは、とびきり大きい。
家の鍵とダウンジャケットをひっ掴み、急げ急げ、とふたりで車に飛び乗った。
ー
カナダのユーコンに来て、ここで仕事をして、稼いだお金で暮らす。そんな生活サイクルをなんとか築いて、あっという間に、いや、ようやく1ヶ月が経った。
途方もなく広いユーコンの大地は今、そこかしこが黄金に染まり、太陽の光で輝いている。2週間ほどで終わってしまうらしい、短い秋の到来だ。
朝晩の気温はすでに0度を下回り、山のてっぺんはもう薄っすらと白い粉砂糖のような雪で覆われていて、冬はすぐそこまで迫って来ている。
日々変わりゆく自然の姿は本当に美しくて、一瞬たりとも目が離せない。厳しいと話に聞く冬ですら、今の私には待ち遠しい。
ユーコンの大自然に囲まれて生きることは間違いなく私の喜びだ。けれども毎日の暮らしに目を向ければ、そこには以前にも増して言語の壁が立ちはだかっている。
当たり前のことだけど、カナダが、ユーコンが私に「どうぞ私たちのところへ来てください、お願いします」と呼んでくれたわけじゃない。私がここに来たくて、勝手にやって来た。
この1ヶ月、何度か厳しいことも言われた。
「どうして英語ができないのにここにいるの」
「なぜ私の言ったことが一度で伝わらないの」
英語はできるほうだと思っていた。でも言葉は生きているから、机上の知識では限界があったみたい。
そんな言い訳は、私の目の前で眉をひそめている人たちには関係ないし通用しない。
だってよそ者は私の方なのだ。ネイティブスピーカーと同等に聞き取って、話すことができない私が悪い。
彼らの言い分は正しい。
弱音を吐くくらいなら、帰ればいい。
誰も困らない。
でもまだ帰りたくないから、静かにこらえる。
これは私自身の選択だ。
ー
車を5分ほど走らせ、ルームメイトと私は山の中腹までやって来た。
目下にはオレンジ色に光る町。頭の上には、吸い込まれそうなほど深い闇。
目を凝らさずとも闇の中には瞬く星々の白い粒が散りばめられていて、その光を遮るように大きなオーロラが幾重にも揺れていた。
家から見るよりも、その輪郭と色がよく見える。乳白色、黄緑色、紫色が入り混じる。
ルームメイトは興奮した声でそれを「Dancing (踊っている)」と表現した。
本当に、優雅に踊っているみたいだった。
オーロラと人の優しさは似ている、と思った。
オーロラの光はとても弱い。その姿をとらえるためには、本当の暗闇に身を置く必要がある。
人の善意や日々の幸福は、あまりに穏やかな光のようなものだ。意識的に目を向けようとしなければ、時に悲しみや痛みと対比しなければ、その真のあたたかさに気がつくことは難しい。人は何事にも慣れてしまういきものだから。
オーロラを見るための闇。
人の優しさに気がつくための心の痛み。
闇夜はあまりにも簡単に世界を支配する。でも本当は1日の中で、ほんのわずかな限られた時間の出来事に過ぎない。
心の痛みも同じ。たった1人の言葉が心を射抜いたとしても、その日に出会った他の10人は優しさに満ち溢れていたかもしれない。
この1ヶ月、落ち込むこともあったけれど、それ以上にたくさんの人の優しさに助けられて、今ここにいる。
嫌なことばかりじゃなかった。むしろ、幸せなことの方が多かった。
流れ星がふたつ落ちた。
穏やかな北極の光は、ふもとの町で眠る人々へそっとささやくように、静かに、静かに揺れ続けていた。
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