「違い」ではなく「共通点」を見つける営みを。今こそGARNET CROW「風とRAINBOW」を聴いてほしい。
はじめにのまえがきー衆議院選挙に寄せて
はじめに、ちょっと政治的な話を書きます。
このnoteを書いている10月19日は衆議院選挙の公示日。10月31日の投票日に向けてこれから与野党の舌戦が繰り広げられます。
日本に限らず、選挙ですごく嫌なことは、各党が立場や考え方が違う相手を理解しようとしない(ように見える)こと。各党は、自分の党は他党の考えていることとまったく違う、他党のやってきた(やろうとしていること)ことはまったく間違っていて自分たちこそ正義なのだと言い合います。
それは少しでも票を得るための正しい戦術なのかもしれません。けれど、噛み合わない双方の主張を同時に理解することはすごく難しいため、国民の考えはどちらかに引き摺られてしまうように思います。アメリカの大統領選挙も、イギリスのEU離脱国民投票も激しい分断を生んだようです。果たして日本はどうでしょうか。どの党が次の政権を担うことになるとしても、互いの主張を理解しあう国であってほしいです。
今度こそ、はじめにー相互理解に向けて
国籍、人種、思想信条などなど立場や考えの違う人を「自分たちとは違う」と切り離して考えることももちろんできるのですが、その違いがある人との間に共通点を見出すこともできます。例えば、国籍が違っても「出身国を愛する気持ちがあること」と「いま住んでいる地域を大事に思う気持ちがあること」は共通点になるかもしれません。共通点を見出せれば、そこを出発点としてどうやって関係性をつくっていくのかを一緒に考えていくことができます。
それは、セクシャリティについても同じだと思います。
異性愛者・同性愛者・両性愛者は、「誰かと性的結びつきを持ちたいと思う」ことは同じ。
これら「有性愛者」と無性愛者(誰にも性的関心を抱かない人、アセクシャル)の間でも、「誰かと特別な関係性を持ちたいと思う」気持ちは一致するかもしれません。
そんな、「違い」ではなく「共通点」を見つける営みを描いた(と私が解釈している)1曲を紹介します。それが、GARNET CROW「風とRAINBOW」(2007年)です。
私の解釈:アセクシャルのパートナーと「共通点」を見出して関係性をつくろうとする物語
私は現在、この曲を、一方は有性愛者、もう一方は無性愛者(正確には、アセクシャルかつロマンチック…用語の意味は後で説明します)のふたりが「共通点」を見出して関係性をつくろうとする物語と解釈しました。
歌い手が有性愛者、そのパートナーが無性愛者で、歌い手がパートナーに向けて歌っているもの。歌い手とパートナーの性別はどちらを思い浮かべてもはまります(異性愛でも同性愛でもどちらでもいい)。自由度が高すぎて彼とも彼女とも書きにくいので、この記事では「歌い手」、「パートナー」と表記します。
歌い出し「陽だまり横たわる魅惑的なそのボディ 丸い目を見開いて眺める世界はどぉ?」は、歌い手がパートナーを見ている様。有性愛者の歌い手にとってパートナーの身体はとても魅力的なもの。でも、パートナーは無性愛者なので、その身体に触れるにはすごく慎重にならなければなりません。いったいパートナーには世界がどのように見えているのだろうと歌い手は想像します。
でも、性的指向がマッチしなくても、お互いを理解しようとするなかで共通点を見つけることができるのです。パートナーは「ドラマチックな夜に憧れ」ている。すなわち、セックスはしたくないけれど、ロマンチックなデートをして「特別な関係性」を楽しみたいとは思っていることには気づくわけです。この点においては、歌い手とパートナーの思いが一致する。だから、ここを出発点にふたりは関係性を作っていこうとするのです。
セックスをしたいとは思わない「アセクシャル(無性愛者)」も、ロマンチックなデートを楽しみたいと思うことがある人(ロマンチック)と、それも思わない人(アロマンチック)に分かれます。有性愛者と「アセクシャルかつロマンチック」の人とは、ロマンチックなデートを共に楽しめるところに共通点を見出すことができるのです。
「心を欲しがるのは皆同じらしい」というのはパートナーと共通点を見出すことができた歌い手の気持ちを歌っています。
アセクシャルは機械のようだと言われて傷つく、あるいはそう自認して傷つくことも多いようです。相手が望む性的関係を持てないこと(プラトニックな哀しみ)は辛いことではありますが、有性愛者で性的指向がマッチする者同士でも、その希望がぴったりマッチするとは限らずセックスレスに悩みを抱えているカップルも少なくありません。お互いの望む関係性を見出す営為は容易ではなく、「嘆くな人々もあまり変わらない」のです。
サビで何度も繰り返されるタイトルの「風とRAINBOW」は二人ともに美しいと思い一緒に楽しむことのできる風景のことをいうのだと思います。「溢れかえる人の中で」たとえ他の人とは愛し方が違っていても、心を開き、共通点を見出して自分たちなりの関係性を作ろうとする。その営みの尊さをこの曲は描いているのだと思います。
さらに深読みすると「風」は社会や政治の雰囲気として、「RAINBOW」は多様な性のあり方を表す言葉でもあります。私は、どうか多様な性のありかたを認め合う「風」が吹いてほしいなぁ、と思います。
おわりに
楽曲の解釈に正解はなく、多くの人が心を動かされ、いろんな解釈で一つの曲を楽しめることを私はとても素敵に思います。かなり大胆な私の解釈を「風とRAINBOW」の本当の意味なのだと主張するつもりはありませんが、その中の一つとして、私の解釈も楽しんでいっていただけると嬉しいです。
この曲について書きたいと思ったのは、フォローさせていただいてる「ひと」さんから、自らをアセクシャル(かもしれない)と明かしていただき、パートナーとの関係性に悩みながらも、それでも「人とかかわることを諦めたくない」とのコメントをいただいたところから。この思いを表現した曲として「ひと」さんにGARNET CROWの「風とRAINBOW」をぜひ紹介したいと思ったためです(この記事の公開にあたり、ひとさんには事前に記事を了承いただいています)。創作を通じてつながるnoteの表現空間が素敵だなと思いつつ、他にもなにか私のエッセイで思いを共有できる人がいたら、ひとりでもふたりでもコメントを残していただけるとうれしいです。
それでは、また。
参考文献:ジュリー・ソンドラ・デッカー著、上田勢子訳『見えない性的指向ーアセクシャルのすべて』(明石書店、2019年)