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言葉は道具か、手段か、はたまた別の何かか。


最近よく考えていること。


言葉



わたしが毎日の生活の中で
いちばん大切にしていて
脳内にずっとうずめいているものかもしれない。


言葉がなければ情報が伝わらないし
コトバがなければ想いは伝わらない

言葉がなければ学ぶこともできないし
コトバがなければ人を愛することもできない

言葉は時に人を傷つけ
コトバは人をあたためる




言葉は道具なのか、手段なのか、はたまた別の何かか。




「道具」「手段」って類義語のようでそんなこともない

とりあえずこれらの語彙をはっきりさせようと
パソコンをカタカタ、スマホをポチポチ、、、

「他の選択肢が頭の中にない」なら with
「他の選択肢が頭の中にある」なら by

英語学習ボックス

英語表現で間違えがちな「with」「by」の使い分けを教えてくれるサイト


~~~with this pen.
~~~by train.

「withは道具、byは手段、こうやって覚えるんだよ」
そんな中学の時の部活顧問(英語教師)の声が蘇る



つまり、ぶっ飛んだ考え方をすると

他の選択肢がないのが道具
他の選択肢があるのが手段

と言えるということか。



言葉をここに当てはめるとそう考えられるだろうか

言葉がなければ情報が伝わらないし
コトバがなければ想いは伝わらない
言葉がなければ学ぶこともできないし
コトバがなければ人を愛することもできない

わたしのこの書き方的には、道具、と言えるか。




わたしは、
言葉は道具であり、コトバは手段だと思う。



言語化されなければできないことはある。

それは、"声"という形ではないかもしれないし、
"文字"という形でもないかもしれない

だけど、言語として成り立った部分から情報は取り入れられる。

言葉以外の選択肢が見当たらない。

百聞は一見に如かずじゃね?って一瞬思ったんだけど、
その "一見" には言葉がどこかしらに存在するはず。(きっと)




じゃあ、想いの部分は?

言葉に乗せて想いを伝えるとストレート
キャッチャーの正面に進めるかもしれない

ちょっとカーブも投げてみよっかって
言葉はないままに行動でも示せる
キャッチャーのもとに届く時間は長くなるけど


寒い日に隣を歩く手をとってポケットに突っ込んだり
夜遅くに帰宅したら机にカレーライスが置いてあったり
なにげない日にお花をおすそ分けしてみたり

想いを伝える方法はまだまだ他にもある。

コトバ以外にも選択肢はある。

そんな中から "コトバ" 選ぶから、想いがより素敵なものになるんじゃないかな
カーブ、フォーク、スプリット、、、様々な選択肢の中から "ストレート" を選ぶから撃ち抜かれるんじゃないかな



言葉がなければ情報が伝わらないけど
コトバがなくても想いは伝わる
言葉がなければ学ぶことはできないけど
コトバがなくても人を愛することはできる



「言葉は道具であり、コトバは手段である」

これがわたしの考える、言葉です。




コトバは儚く美しい。


そんなコトバを全力で表現しようとするあなたがすきです。

そんなコトバを受け取ってくれるあなたがすきです。


そんなコトバを考え紡いでいる時間が、その時の自分がすきです。






#私は私のここがすき

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