「会におけるおもしろさ」の考察

我々は往々にして会を行います。ここでいう「会」とは、2人以上の人が共同の目的で一定の場に集い、活動することを指します。例えば、対話、会話、会議、会食などの状況をいいます。たまたまその場に居合わせた複数人かつ話題がない、という状況はここでいう会に含まれないものとします。「おもしろい」の定義については省略します。今回は「会」という場面におけるおもしろさとについて考察していきます。的外れなこと、支離滅裂なことを書いているかもしれないのでご注意ください。


会におけるおもしろさ

さて、さっそくですがみなさんは「おもしろい会」と聞いてどんなものを想像しますか。ある人は「ボケがいてツッコミがいて〜」と、あるいは「笑いが起きること」「テンションを上げられること」と答えました。たしかに、そういう印象もありますね。それでは質問を少し変えましょう。会において「おもしろい人」とはどんな人でしょうか。「お笑いをわかっている人」「エピソードトークが上手い人」「おどけられる人」「空気が読める人」?本当にそうでしょうか。会におけるおもしろさを説明するには不足しているのではないかと感じました。何が面白いと感じるか、人や状況によって多少の違いがあると思います。しかし私はこの違いがあまり生まれないような、根源的なおもしろさに注目したいと考えています。故に、いたって当然のことを書いています。

前置きが長くなりましたが、私の考える「会におけるおもしろさ」は

あるテーマに対して、まだその場にないもの(発想、現象、を持ち寄ることが可能であること。それを許す場と、それが可能な発言者の存在。

です。そもそもこれ自体が会を意味するようなもので当たり前のことですが、これが会において最も重要な要素だと考えました。次に、そう考える理由を書いていきます。


会はなぜおもしろいのか

会がなぜおもしろいのかを知るために、まず会で何が起こっているのかを考えていきます。

「人数の増加」
会の前提として、その場に発言者が2人以上いる必要があります。場における発言者の増加はすなわち経験の数、思考の数、表現の数、視点の数、発想の数の増加を意味します。発言者の増加に伴い、その会のパターンが偏らずに分散し、予想される結果の数も増えるためおもしろくなりやすいと考えます。しかし、「発言の機会」も会におけるおもしろさを構成する要因のひとつであるため、人数が多すぎる場合はむしろ逆効果かもしれません。

「新規情報の供給」
会においては常に新しい情報が供給されます。話題をはじめ、意見や質問、感想、リアクション、ボケやツッコミなども情報として含みます。次々と情報が供給されることで話題の転換が円滑になり、会は流動性に優れることとなります。会の流動性に優れるということは、マンネリ化しづらいということにもなります。

「連鎖性」
新規情報の供給と関連がありますが、供給に対しての供給、つまりアイデアによってアイデアが誘発される状況のことです。ボケとツッコミの関係もこれに含まれると思います。ひとつの情報は構成員の経験や思考を刺激し、アイデアや発言につながります。あるテーマに対して関連する話題が提供される場合、連鎖が起こっていると考えられるでしょう。

ここまでは会がおもしろくなるための要素を挙げましたが、会がおもしろくない場合の要素を簡単に挙げます。

・既知情報のすり合わせ(発見がない)
・アイデアが誘発されない(連鎖が起こらない)
・発言の機会がない
・視点が分散されない
・答え(結末)が決まっている

先ほど挙げたおもしろくなるための要素の逆を挙げただけですが、共通して発展的ではないことがわかります。つまり、会という場面で起こっていることを総括すると「発展」であり、これに向かうための態度や現象が会におけるおもしろさと言えるのではないでしょうか。


発展的であるための条件

会におけるおもしろさを「発展」と仮定して、それを起こすための「場の条件」を考えていきます。いかなる場においてもこの「発展」が起こりやすいわけではなく、それが起こりやすい「場の条件」があると考えています。

「場の開放性」
閉鎖的・統一的な場においては発展の余地が少ないと考えられます。そのため、場の雰囲気が発展を阻害しないことが重要です。そこで、自由な発想を受け入れることができる場であることが発展的であるための条件となるのではないかと考えました。個人の能力にも依存しますが、偏見や観念的なものにとらわれない思考・発想を発言できる場であることは発言(参加)のしやすさにつながります。それに対してさらに、棄却されやすくない、深掘りできる、という反応が必要ですが、それに甘んじて度が過ぎる言動も起こり得るため、各人で緊張感やモラルを保つ必要があるように感じます。また、冷笑的な態度を持ち込むことで構成員の意欲を減退させる場合も考えられるため、避けた方がよいと考えています。

「場の技術」
場の技術と表現しましたが、簡単に言うと「発言者の伝え方」や「会の円滑さ」、「構成員の思考力」を想定しています。伝え方(表現)がわかりやすいということに関する例として、使用する語がわかりやすい、構成(道すじ)がわかりやすい、抑揚がある、視覚刺激がある、などが考えられます。

「前提の可変性」
今まで言及していませんでしたが、構成員の前提が揃っていることは会の進行の円滑さに影響します。さらに、前提が変わり得る、という認識を構成員間で共有していることが重要です。これは「場の開放性」にも関わることですが、思い込みを発見し、修正することで構成員の方向性をまとめたり、視野を拡大させる効果があります。


会におけるおもしろい人

最初に「会においておもしろい人とはどんな人でしょうか」と問いましたが、あなたはどう思いますか。私は、「会におけるおもしろさ」として挙げた要素を満たす人ではないかと考えました。つまり、多方向から問題を見つめ、話題に沿って情報を供給し続けられる開放的な人、というようなところですね。一言でまとめられるようなものではないですが、そういう傾向にあるのではないでしょうか。会において必要とされるのは端的に「他人の存在」なので、自身が相手にとって他人であることが最低限の条件といえるかもしれません。

もうこのテーマに飽きて他のことを書きたくなってきたので、この辺で切り上げます。ありがとうございました!

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