これだから雨は嫌!雨が嫌われる理由3選!
また、雨が降り始めた。少し前まで晴れの日が多かったのに、ここのところ長雨が続いている。
私は基本的に雨が嫌いなので、雨が降っていると憂鬱な気持ちになる。
もちろん、雨の重要な役割については、じゅうぶん理解しているつもりではある。
生命に必要な水を与えるだけでなく、空気中のちりなどを洗い流す効果もある。このため、乾季が続く地域では、空気汚染が深刻な問題になるという。
こんなにも重要な役割を果たす雨のことを、何故嫌いと言い切ってしまえるのか、自分なりに理由を考えてみたところ、以下の理由があげられた。
1. 濡れる
そう。濡れるのである。すべての根源はこれに尽きる。人間は学習する生き物なので、もう、雨を見ただけで、「また濡れるのか」という気持ちになる。雨の日に外に出ると、どんなに防御しても必ずどこかしら濡れる。どんなに強力なボディガードを雇用しても、これらをすべて防ぐことはできない。そういうシステムになっているのである。
冬に濡れると寒いし、かと言って、夏ならおっけー!というわけでは、決してない。
濡れていない箇所ですらじめじめとし、髪や、服や、靴下が皮膚にべっとりと貼り付き、最悪の場合、異臭を放つことになるのだ。
そして、普段、自転車や徒歩で通勤もしくは通学している人たちは、雨の日に濡れることを回避するために、バスや電車、車を利用することを余儀なくされる。すると、二次被害的に、公共交通機関や道路の交通状況が悪化するのだ。もう、考えただけでじんましんが出そうである。
雨が降っている、というだけで、屋内はどこへ行っても異常なほど混み合い、運動会は中止になり、サッカー部は筋トレをし、子供たちが泣きわめき、そうして世界は混沌とするのだ。
2. 傘をさす必要がある
傘の起源は古く、4,000年前に既にあったと言われている。しかも、18世紀頃には、開閉式の傘がイギリスで開発され、そこからほとんど形を変えていない。(余談だが、当時傘は、日傘として用いられ、雨を避けるためには使われておらず、雨の日は普通に濡れていたらしい。なんでだよ。おもろすぎ)
進化が著しい人類の文化のなかで、傘だけがいち早く完成形にたどり着いていた、ということである。
いや、ちがう。これが完成形では困るのだ。
何故なら、傘は邪魔でない時間が、いっときもないからである。差している時は、どちらかの手が塞がって邪魔であるし、畳んで持ち歩いているときなど、何の役にも立っていないのに存在感だけは人一倍あり、基本的に自立せず、玄関にそれを立てるためだけのゾーンが必要となる。
さらに、たびたび傘をどこかに忘れることで、自分の不注意を思い知らされ、自暴自棄になることで、さまざまな二次被害を引き起こす可能性がある。
また、店の前や公共施設の前に置かれている傘立ては、ほとんどブラックホールのような構造になっている。そのため、再び傘を手にする可能性は低い、と捉えるのが一般的である。
これが、絶妙に傘を立てやすい位置に置かれており、隙あらば、うっかり差してしまう人を誘発しているので、細心の注意を払う必要がある。
万が一、このブラックホールに自らの傘が飲み込まれてしまった場合、やりきれない悔しさを抱えながら、雨に打たれ、挫折感を味わい、なにもかもに疑心暗鬼になって、結果的に人間性を喪失する可能性も否めない。
3.洗濯物を外に干せない
実は、雨が降っていると、洗濯物が濡れるので、外に干せないのだ。急に雨が降ってきた場合は、急いで洗濯物を取り込む必要があるし、昼間に雨が降る予報の時は、朝出かける前に洗濯物を干したりもできない。このように、雨の都合にこちらの予定を完全に合わせるほかなく、もしかしたらこれが何らかのトリガーになって、なんやかんやで人生を狂わされる可能性だってあるのだ。
このとき、持て余した洗濯物を屋内に干した場合も、部屋の居住スペースが侵され、部屋全体がじっとりとし、最悪の場合異臭を放ち、もちろん人生を狂わされる。
(乾燥機や浴室乾燥を導入しろ、という意見は一旦無視するものとする)
ちょっと、雨のこと、悪く言いすぎたね。
今日は、屋内でゆっくり過ごそう。
まあ、こんなふうに言い訳になってくれるところは、雨のいいところである。