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【ダンジョン潜り】 (2-5) ~薬屋~

~前~

 翌朝、目ざめた私を迎えたのはどんよりとくすんだ灰色の空と、抜けきらぬ酒の酔いであった。

 宿の主人に湯をもらって飲み、軽く身支度をして街路に出る。
 せっかくなのでスケルトンから剥ぎ取ったツバ無し帽をかぶってみたが、使い古された厚手の革外套とは不釣り合いに思えて、少し可笑しかった。

 こうして町中で行き交う人々を眺めていると、ダンジョンに潜り危険をかいくぐった時間がまるで夢のように感じられた。

 戦場と日常における乖離も同じではあったが、ダンジョンでのそれは特に異質なものだ。それは人間の営みの延長ではなく、はかり知れぬ畏怖との対峙であった。
 しかしそれでも私の中に、確かにこの私の中にも、再びダンジョンに足を踏み入れ次なる勝利を手にしたいという思いが燃え上りつつあったのだ。

 昨晩酒場でガイオと交わした会話と、彼の様子についてぼんやりと思い浮かべた。
 彼は間違いなく頼りになる男で、信頼できる戦士であったが、ダンジョンと決死の冒険について語る彼の姿は一種異様な輝きを放っているように思われた。
 ガイオもひとりの憑りつかれた人間であるのかもしれない。

 今日はガイオが言っていた薬屋を覗いて、そのまま市場の店々を冷やかしてまわっても良いと思い、私は中央広場に向かった。
 商人たちが運び込む色とりどりの織物や、ガチャガチャと音を立てる真鍮器が重い曇天とは対照的な活気を呈していたが、ダンジョン潜りらしき姿はほとんど見かけなかった。ガイオの言う通り、セレッパへ移動した者たちが多いのだろう。

 ガイオは今日も、仲間を探すために広場に来ていた。
 私が近づいて声をかけると、彼の方も昨夜の酔いが抜けきらぬと見えて覇気のない挨拶を返してきた。
 聞くと、今日もやはり我ら徒党に加わりたいという者は見つからず、そもそも人が少ないようだ。

 私たちが話していると、リドレイも広場にやって来て、合流した。
 今日のリドレイは鎧を着こんでおらず、白い大きな月の意匠をあしらった神官のクロークを羽織っていた。クロークはもともと黒く染められていたのだろうが、使い込まれ、洗われ、すっかり色あせている。首元には銀細工の留め金が光っていた。

 ここにテレトハがいれば我ら徒党が揃うわけだが、私が彼女の居所について何の気なしに尋ねると驚く答えが返ってきた。
 「セレッパに様子を見に行ってる。」
 ガイオが何気なく言った。

 「彼女もセレッパに? ここから遠くはないのか?」
 「遠いとも。山を2つ越え、間の駅は3つだ。」
 「それでは様子を見ると言ってもしばらく帰って来れないじゃないか。」
 「彼女はゆらぎのマスターだ、そのくらいわけはないさ。ちょうど最初に越える山の中腹に、ラゴブの祠があるらしい。そこを中継点にしてテレポートの呪文を使うという話だ。昨日は宿に籠ってずっと位置の計算をしていたぞ。」

 テレポート。
 そう言えば、私が兵士としてイベローン人と激しく戦った際に、追い詰めた敵の魔術師が消えるようにして逃げたことを思い出す。なんとも油断ならぬ魔法だ。

 「多分2、3日で帰ってくるだろう。いずれにしろ俺たちの仲間探しも難航している。とにかく今できる準備をしておこう。昨日話した薬屋に3人で行ってみようじゃないか。」
 ガイオの勧めで私たちは薬屋へ向かった。

 「これがこの間、キザシに振りまいた解毒剤だ。多めに買い足しておこう。」
 ガイオが緑色の液体入りの小瓶を振った。

 薬屋の店内には、色とりどりの液体が入った瓶や、粉薬、丸薬、薬草とおぼしき植物、乾燥したパンのような何か、干した虫やトカゲなどが所狭しと陳列されている。

 「これが傷をふさぐ粉、これが強い眠気にあらがう薬、これは一時的にマナを高める薬だ。こっちは火を防ぐ薬だな。このあたりは買っておこう。」
 ガイオが店の主人を呼びつけ、手慣れた調子で注文していく。

 主人は店内の妖しい印象とは似合わない、髭をきれいに剃った細面の男だった。
 「ありがとうございます。あら、こちらも。ありがとうございます!」
 彼は薬をてきぱきと並べると、さらに奥から小箱を持ってきて開けて見せた。
 「ところで、先日新しい薬を作ってみたのですが旦那様がたの旅のお供にいかがでございましょう。こちらです!」
 鮮烈な青色に輝く液体だ。

 「私どもの術士と、この度ご縁のありましたガルダの巫女様がたとで念を込めて調合した逸品でございます。」
 主人が早口で続ける。
 「リナーリルの慈悲と雨とマイーズルの輝く翼との御加護がこもっております。旦那様がたは戦士とお見受けいたしますが、こちらの薬は傷をゆっくりと癒しながらも猛禽のごとく苛烈な飛翔の力を授けてくれるのですよ。あいや、ガルダでも無い身であれば飛翔とまでは言い過ぎかもしれませんが、跳躍、そう、跳躍の力でございます! ぜひ一度お使いになられてこの驚くべき効果のほどをお試しいただけないかと...。」
 「わかった。ではもらおう!」
 ガイオが請け合い、2本を手に取った。
 「ありがとうございます、ありがとうございます! 旦那様がたに神々の恩寵がございますように!」

 私たちが薬を買って店を出るとすぐ、見張り塔の鐘が甲高い音を響かせた。
 ややあって、城壁の上から衛兵が大声で呼ばわった。

 「巡礼者たちが着いたぞ!巡礼者たちが着いたぞ!」

~つづく~

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金くれ