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結婚について

『結婚とは、なんなのか。』
人の数だけ答えがある問い。

結婚したいと思うか。
なぜ、そう思うのか。
そのために行う行動は、果たして真意なのか。
自分が選択した未来に求めるものがあると思うか。

言い始めるとキリがない。
すべて、想像するだけで、次第に自分が何を考えていて、どうしたいのかわからなくなる。
(そして、そのまま寝落ちして朝になると忘れている。)

ドラマのラブシーンを見ると「おひょひょひょ」とグーフィー化して喜び、友だちの恋人できた報告にニヤつき「おおぉー!」などと当たり障りのないリアクションをとる。
友だちの結婚したい話を聞き、「そうだねー」などと相槌をうち、子どもは何人ほしいかなど具体的な妄想を膨らませることもある。
恋愛をすることが、素晴らしいことであると思っている。(思い込んでいる?)
なぜなら、恋愛は「結婚できる」状態に近づくから。
でも、しばらく考えると、どうでもよくなっている。

自分は結婚をどう捉えているのだろうか。
「誰かの側に優先的にいられる権利」
「友だちとは違う愛情を渡し合う関係」
この優先的という言葉に、私の独占欲がみえる。

私は「愛」を感じると、嬉しくなる。
友だち同士の愛、恋人との愛、家族の愛
些細なものから壮大なものまで、全部慈しむ。
すべてが愛おしい。「この人のために、これをしよう」「これを大事にしよう」と思ったあなたが尊い!!と思う。
ただ、私が理解できない愛の形が現れたときに、「どうして?」と思う。
受け入れられる愛と受け入れられない愛が存在する。
たとえ、相手をどんなに尊敬していたとしても。
その愛の違いの根拠を自分がうまく示すことができない。「なんとなく」で、愛を選んでいる自分に腹が立つ。愛をすべて受け入れられないことが悔しい。

そんな自分が恋愛をすれば、いろんな種類の愛をいちいち吟味して、あーでもないこーでもないと、こねくり回しがんじがらめになるんじゃないかと思ってしまう。とりあえず、やってみよう!と恋愛の中に飛び込んでいけない臆病者。自分がよくわからないところで傷つくのが怖いのである。
この恋は、絶対傷つく、けど愛してるなと確信がある方が進みやすかったりする。

「結婚すること」は「幸せになること」に直結しない。ある方向から見れば素敵な人でも、違うところから視れば歪んだ醜い面もある。すべてが美しいなんてことはあり得ないのである。
それが心底理解できるまで、私は誰の側にも寄らないのである。こうやって、私は孤独を噛み締める呪いをかけて生きている。

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