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夏が来たね

夏といえば何だろう。

私はそんなに夏が好きでは無い。どちらかと言うと秋とか冬の方が好きだ。
もう鰯雲の季節か〜〜、と日々変わる秋空を見つめ写真に収めるのはある意味生きる目的であるし、クリスマスソングを聞いてもうそんな時期か〜1年って早いな〜〜と感慨深く感じるのも好きだ。

秋や冬ほどでは無いが、新しい生活が始まり綺麗な花も咲き始める春もワクワクする。

でも何故だろう。夏が楽しみと思ったことは殆ど無い気がする。
夏が好きなんだという友人や家族にへぇ〜そうなんだと相槌は打てても、やっと夏が来たよ〜!というニッコニコな笑顔にはイマイチ共感できない。

でも最近気づいた夏の一面もある。
夏か冬なら夏派と主張する友人2人曰く、「夏はエモい」らしい。え?そうなの?

そもそもエモいという感情がピンと来ない。エモいなんていう表現一言で終わらせるのは私には無理(適当な言葉を探して探して説明しまくっちゃう)だし、何よりエモいに全てを込めようとしてんのがずるいと思ってしまう。しかし思い返せば私は「可愛い」という言葉をかなり独自の意味で使っていると思う。大抵「可愛い」は「ガーリー」に置き換えられると思うのだが私の場合は「なんか良い」という意味で使っていると思う。しかもガーリーだなと思った時に私は可愛いとは決して言わない。そんで「なんか」って付く辺りエモいと然程変わらないね。ウケる。
それは置いといて夏がエモいというのもよく分からなかった。エモいを百歩譲って受け入れたとして、エモいのは秋では?と思ったのだ。だがその友人2人の考える夏と私の思う夏は違うことに気づいた。

私が思う夏は暑苦しい感じで、インドアよりはアウトドア。海とかビーチバレーとかそんなイメージ。如何にも陽キャワイワイって感じ。
だが友人2人の夏はどうやら青春という感じらしい。普段は着ない浴衣を着て、花火大会に行って、始まる恋って感じらしい。

なるほどね。確かに夏と言われてそんな夏を考えたことは無かったし、そういう夏ならエモいのも納得できる。

実際友人と浴衣を着て浅草行って夜景見た時は、暑さなんて忘れてこの時間良いなぁと思ったし。

(でも本当は夜景が嫌い。嫌いというか好きになっては駄目だと信じ込んでいる。それについてはまた別noteで。)


夏も1つじゃないんだな。
私の知らない夏がまだきっと沢山あるのだろう。

夏で思い出すのは海。
海の先の水平線を見ると母が必ず言うのは「地球は丸かったんだよ!」。最初はガガーリンのパロディかよと思ってたのだが、海を見つめるとその青さそして丸さに見惚れるようになった。自分がこの星で生きている感じがするのだ。

そうか。地球は丸いんだ。

今年の夏は夏を楽しもうと思う。
自分が思ってた夏に囚われなくていい。
夏が終わって鰯雲を見る頃、秋の訪れに胸を躍らせながらも夏も良かったなと思える、そんな夏にしたい。

海辺に行ったらその時また、自分が生きている地球を見つめたいと思う。


良い夏になりますように。


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