初めての推しについて

私は音楽が好きだ。
今は2022年、令和4年。
私が「ういはら」と名乗る人物にネットの中で出会ったのは2017年だった。
その頃の僕はツイキャスにどっぷりとハマっていて、それと同じくらい2次元にどっぷりとハマっていた。
ふとツイキャスでアニカテというものを調べていた時のこと、そこにはかわいい女の子の絵が書かれているサムネが沢山いる中で何気なく押した配信が「ういはら」という人だった。
ほんの少しハスキーでしかしそれ以上に可愛らしい声をしているキャス主に私はまたどっぷりとハマった。

いつものように枠に行くと、彼女がふとギターで弾き語りを始めた。
昔は顔出しでニコ生でピアノやギターを弾き語っていたらしい。
何曲か弾き終わって彼女はこう言った。
「じゃあ次は大森靖子さんのハンドメイドホームをやります」
そのような言葉だったと思う。
その時に彼女の歌声を鮮明に覚えている。
僕も大森靖子というアーティストも、ハンドメイドホームという楽曲があることも知っていた。

同じツイキャスに「の子」という配信者がいた。
僕が初めてハマったキャス主であり、インターネットポップロックバンドである神聖かまってちゃんのギターボーカルの「の子」
私は「の子」が好きだった。配信者としても神聖かまってちゃんとしても。
大森靖子は、その神聖かまってちゃんとコラボして楽曲を作っていた。曲名を非国民的ヒーローという。
その曲は好きだったし、大森靖子も好きだった。
しかし、中3という多感な時期にそれ以上、大森靖子について掘り下げようという気が、別段起きなかったのだ。
だから「大森靖子」というアーティストも「ハンドメイドホーム」という楽曲も知っていたがしっかりと聞いていなかった。

「ういはら」がその曲を歌った瞬間に、私は大森靖子という存在に魅了された。
歌詞には魂が宿る。

音楽は魔法ではないけれど、
音楽の魔法を手に入れた西の魔女に私はなってしまった。
大森靖子ではなく違う人が歌ってもこれだけ完成する曲はあまりないだろうとその時直感的に思った。
だから私は彼女が歌い終わると一目散にYouTubeを開き、大森靖子と検索した。そして目に入ったのがTIF2013のアウェーなコメントが流れるニコ生の転載だった。

必然なる沼というnoteでも話したがそこから私は大森靖子にハマり同時に音楽というものへの魅力に取り憑かれてしまったのである。

だから「ういはら」という1人の配信者が今の私の構築された価値観を作ってくれたと言える。
彼女に出会ってなければ大森靖子という名前を知っているだけで、多感な中3の頃の僕の心の中に取り残されていたかもしれない。

noteでこの思いを消化したい訳では無い。
「ういはら」本人に見て欲しいという承認欲求でもない。
私の人生の音楽史の中でのとても重要なターニングポイントをネットの海に残したに過ぎない。
これは自己満足で自分語りでしかない。
でも自分の中ではとても大切なことなのである。
今でも彼女のキャスには頻繁に行っている。
挨拶だけしてほとんどromっているが
私は「ういはら」という人物を「推し」として、そして「恩人」として忘れることは無いだろう。

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