Oren Ambarchi - Simian Angel と、ほか幾つかの作品から考える”録音芸術” (年間ベストアルバム4位)

画像1

Spotify / Bandcamp / LP

2019年ベストアルバム4: 25位〜1位

Sunn O)))Christian FenneszJim O’Rourkeらとの共演が知られるギターを中心としたオーストラリアのマルチ・インストゥルメンタリスト。
本作を掴むヒントとなる音響面やミックス面が優れた作品を随所に参考音源として挿入しつつ進める

画像2

これほどまでに美しい音楽を前にして、どんな言葉を並べれば良いのだろう。まずは実際に聴いてくれと言う外無いのだが、まあなんとか幾つか他の言葉も捻り出してみよう。

いや、音楽的に語るべきポイントはかなり多い、LP片面1曲づつ2曲36分のアルバムでありながら、音楽性の実に豊かな作品でもあるのだ。いかにもEditions Megoらしいドローン/アンビエントを軸にしつつ、ビリンバウ等レーベルカラーらしからぬオーガニックというか土着的な音がそこに絡むバランス。明白にパーカッシヴな音がある程度主張強めに入ってきても未だアンビエント的、しかもそれはクラブのサブフロアで流れる所謂アンビエント・テクノのそれではなく、Erik Satieの「家具の音楽」をベースにしてBrian Enoが提唱した環境音楽としてのそれの聴き味に仕立てる手腕。

LP

しかし、そういった音楽ならば他に例が無い訳ではない。何がこの作品を特別にさせているのか。もちろん音楽を作るという点で一般的にイメージされる作曲・編曲、すなわち時間軸=横軸(ひとつの音符がどれだけの長さ持続しどれだけの間をもって次の音符へ繋ぐのか、どういった時間間隔でリズムが構築されるのか、etc.)のコントロールも凄まじいクオリティを持った音楽ではあるのだが、この作品を高みに押し上げているのは周波数帯域の積み重ね=縦軸の構築の美しさだ。

Bandcamp

それぞれの楽器本来が持つ美しさをひとつひとつ完璧に捉えた巧みな録音。その魅力を殺さぬよう、しかし総体である楽曲として溶け合うよう、見事なバランスでそれらを配置したミックス。これらの水準の高さが本作に比類なき魅力を与えている。そして、そういった工程こそがこの作品の軸だという前提に立った時、本作は音楽という表現手法そのものが持つ面白さを浮き彫りにしていく

LP

グレゴリオ聖歌等の一部を除き、現代において鳴らされる音楽の殆どは和声、ハーモニー(それが12音平均律から外れたものであっても)を伴うものだ。先に作編曲は時間軸=横軸のコントロールであると書いたが、クラシカルミュージックにおいてもポピュラーミュージックにおいても、単線的なメロディに対するハーモニーを提示するというのは作編曲の範疇とされる行為である。しかしそのハーモニーというのはつまりその瞬間の音符の積み重ねの事であって、それはすなわち五線譜に和音を書き込んだ時点である程度周波数帯域=縦軸のコントロールが行われているという事である。翻ってもう一度録音やミックスという工程を見つめ直すと、現代の録音物では殆どの場合ミックスの際にリヴァーブが付加される。リヴァーブというのは音の反響/残響をコントロールするものであるから、これまたすなわち録音されたトラックをミックスする現代的な工程においては少なからず横軸のコントロールもまた行われているという事だ。

画像3

Amazon.co.jp: My Bloody Valentine Loveless

スタジオ録音(これは無論ライヴ演奏/録音の対義語としての意味であり、宅録やDAW完結作品、あるいは逆にフィールドレコーディング素材のみをDAWやMTRでプロセスし提示された作品も含む)の”録音芸術”に触れて著しい感銘を受けた時、そこには作曲・編曲(そして演奏)という主に横軸をコントロールすると考えられがちな工程と、録音・ミックス(そしてマスタリング)といった主に縦軸をコントロールすると考えられがちな工程が、実は不可分に溶け合ってベストな状態になっているからこその感動だという事にもこの作品を通して改めて気づけるのではないか。

LP

本作における録音やミックスの良さとは、少なからずハイエンドオーディオ的な意味(まあその筋にはローが出過ぎと言われるかもしれない瞬間も多分に含まれているが)でのハイファイさを備えたものであるが、それは何もこういったハイファイな作品のみに限らない。例えば古いインディアーティストによるホームレコーディングのフォークやブルース等々を聴いて「音は悪いけどかっこいいなあ」というような思いを経験した方は音楽好きには少なくないと思うが、そういう経験がある方は同時に「演奏は良いけど音が悪くて聴いていられないなあ」と思った事もまたあるのではないか。それらを隔てているものも、ハイファイでなくともまた、縦軸と横軸のバランスだと思うのだ。「音は悪いけどかっこいい」には実の所、メジャー作品のハイファイさには敵わずともその音楽の魅力の芯を捉えるに十分な録音はできているという事かもしれないし、あるいは作曲や演奏のスタイルからして悪い環境の録音に(意図が有るにせよ無いにせよ)適した作曲や演奏のスタイルなのかもしれない。はたまた逆に「演奏は良いけど音が悪くて聴いていられない」は、劣悪な録音が演奏の粗を隠しているだけかもしれないし、あるいは譜面を再現するという意味での演奏力は高くともより繊細なトーンやダイナミクスのコントロールが下手であるが故に音割れを起こすなど録音環境がより悪いかのように聴こえているのかもしれない。

CD

本作はこういった音楽表現、とりわけ録音物の根本的な構造・魅力に思い至らせると同時に、遍く表現形式において類稀な高みに達した作品の多くが辿り着く、肉感的な感情や精神性を揺さぶる側面も備えていることはまた書き添えねばならぬ。本年ベストで取り上げた中ではMeitei等がそうであったように、一般的にアブストラクトとされる形式でありながらも、その圧倒的な完成度が見せる美しさは時に誰かに涙さえ流させるだろうし、誰かには自らの命について哲学的な思索を巡らす道になるだろう。ここには理論的な美と観念的な美の完璧な融合がある。美、と言えば、"Simian Angel=猿のような天使"とは何を指すのだろう。もしや人間なのだろうか。スマートフォンを開けば気が滅入るニュースが飛び込む、人間の醜さの坩堝が開かれてしまったこの時代に、この奇妙だが美しい音楽がヒトをある種神々しいものとして捉える、言わば人間賛歌として作られたのならば、これほどの救いは無いだろう。音楽を愛するならば聴いているか否かで人生が違う、そんな一枚だ。名盤。


結構ギリギリでやってます。もしもっとこいつの文章が読みたいぞ、と思って頂けるなら是非ともサポートを…!評文/選曲・選盤等のお仕事依頼もお待ちしてます!