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屈折するジェンダーの上昇と下降。2020年のグラムロック再興/再考

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グラムロック。全盛期は1970年代前半とされるロックのいちジャンルという、現代の観点からはニッチなカルチャー用語とも思えるこの言葉はしかし、大辞林にも収載されている。ひいてみよう。
”1970年代前半に流行した、派手なファッションと退廃的な雰囲気を持つロック音楽のスタイル”
……当然ながら、音楽のサブジャンル定義につきまとう泥沼になりがちな議論を避けられる記述では無い。現代におけるグラムロックを考える上でとりあえずとしての前提だけでも共有するには、もう少し文字数を割く必要がありそうだ。

こと70年代前半のグラムロックを代表する存在として、David Bowie、T. Rex、Roxy Musicを挙げる事に異論は少なかろう。まずこの3組を起点として、現在の音楽と比較するための”グラムロック要件”を定義していく。

3組に共通するもの…それは音楽性よりもまずファッション/ヴィジュアル面だろう。特に女性的ないわゆる”化粧”をしている点がこの3組のルックスをざっと眺めて目を引く。そして、服装としても女性的なファッションをしている場合が3組ともに少なからず見受けられる。男性(セクシュアリティとしても…ボウイのみは現在からは真偽が危ぶまれているながらもバイセクシュアルを公言していたが)アーティストが”女性的”なヴィジュアルを身に纏う事。そのはるか以前から連なるトランスヴェスタイトの文化や、同時代に男性的なファッションを取り入れた女性アーティストがグラムの枠にはあまり入れられていない部分などは非常に重要なのだが掘り下げると途方も無い時間と文字数を割く事になる。やや不誠実ではあるかもしれないが、とりあえずここではその振る舞いを”保守的なジェンダー観への揺さぶり”として定義し、"グラムロック要件その1”、としたい。

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もう一つヴィジュアルから共通項を見出そう。最も多く共通項として感じられるのはラメ等の光り物使いだ。ざっくり”派手なファッション”と括ってしまうとヒッピーのタイダイ染なども含まれてしまうのだが、グラムに特有の”派手さ”と言えば光り物に代表されるglitterさだろう。”ギラつき感”と言い換えても良い。この”ギラつき感”という言葉はヴィジュアルにはともかくサウンドに適用すると解釈が幅広くなり過ぎ危険性もあるのだが、あえてサウンドも含めてこの”ギラつき感”という言葉を"グラムロック要件その2"としたい。

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ヴィジュアルにフォーカスした共通項を要件としてきたが、サウンド面における共通項ももちろんある。特にT. Rexの短いキャリアを通じたサウンドと、David Bowieのグラムロック3部作とも呼ばれる『Ziggy Stardust』『Aladdin Sane』(カヴァー・アルバム『Pin Ups』を間に挟んで)『Diamond Dogs』という3作品の共通項は明快だ。共にシンプルなコードをかき鳴らす歪んだギターがアレンジの中核を担っており、そこに綺羅びやかなストリングスやキャッチーなバックコーラスが背景を彩る。この”歪んだギターと高域を彩る背景”というアレンジの設計を”グラムロック要件その3”とする。これはストリングスとバックコーラスを持ち出したが、末期T. Rexが楽曲構造は商業的全盛期とあまり大きく変えていない中でストリングスの代用的に使ったシンセサイザー等でも構わない。

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“その3”にあたってRoxy Musicの要素が語られていない事に気付いた者も多いだろう。そう、グラム期のボウイ、T. Rex、そして時代の徒花としてグラムロックムーブメントが語られる時にワン・ヒット・ワンダー…いわゆる一発屋として挙げられがちなSweetの「Fox On The Run」などと比べて、ロキシーはより特殊な面が大きい。とはいえ、それでもヴィジュアルとしてはグラムと共通する振る舞いを持っていた同時期のTodd Rundgrenなどがグラムロックとして挙げられないのにロキシーがグラムの代表格とされるには当然サウンド的な理由もある。それは端的にはやはり歪んだギターという事になり、そしてそれがブルース・ロックやハード・ロックの太いリフを奏でる形ではなくコードをかき鳴らす形が多いというのも類似している。が、実の所同時期のボウイやT. Rexと比較する以上に、David Sylvian率いるJAPANやGary Numanといった化粧やグラマラスなファッションという要素を受け継いだ後進のニューウェーヴ勢が、彼らをひとまとめにリファレンスとした亊によって初めてロキシー・ミュージックを含めたグラムロックの絵図が描かれたと言えるかもしれない。また、早逝によってキャリア短く終わったT. Rexと異なりボウイやロキシーは共に路線を変えたその後にこそ最大のヒット作を持つ(ボウイ『Let’s Dance』ロキシー『Avalon』)。これら自身による作品もまた事後的にグラムロックのイメージを形成する一助となっただろう。ここではそれら"ニューウェーヴ期の後進及び路線を変えたオリジネイターによるイメージの変遷””グラムロック要件”に含めて”その4”とする。具体的にはR&Bやファンク、あるいはAORといった音楽の要素の重要度が増したと言える。

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さて、これらの要件を併せ持つ2020年の作品とはどのようなものか。前置きが長くなったが、それらの作品を見ていこう。
ちなみに本稿公開当日はBandcamp Fridayである(詳しくはこちらを)。本稿紹介作品は必ずしも私が実際にBandcampで購入したものでは無いが、Bandcampにてのリリースがあるものも含まれる。それらは全てBandcampへのリンクを貼っているので、サポートしたいアーティストやレーベルがあれば是非Bandcampで購入していただきたい。

また本稿で取り上げるアーティストと70年代グラムロックオリジネイターのトラックを交互に配置したプレイリストも用意した。Spotifyを使用している方は是非聴きながら読み進めて欲しい。

Jehnny Beth - To Love Is To Live

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LP / Spotify

日本のロックファンにはBo Ningenとの共演でも知られる全員女性で構成されたロック・バンドSavagesのヴォーカル、初の完全単独名義作品。

そのBo NingenとSavagesの共演作『Words To The Blind』をはじめSavages作品にも多く関わり、昨年はジェニーと連名でドキュメンタリーのサウンドトラックも手掛けたJohnny Hostileが全面バックアップ。その他フィーチャリング・ゲストとして俳優のキリアン・マーフィーがポエトリー・リーディングで、パンク・バンドIdlesのJoe Talbotが歌唱で参加。また、Nine Inch NailsのAtticus Ross、そのNIN作品にも関わるFlood、NINの二人が(Trent Reznor & Atticus Ross名義で)手掛けるサントラ作品に何度も参加しているNick ChubaとNIN人脈を豊富に招聘。
 更にPJ Harvey作品等で知られるAdam “Cecil” Bartlett、WarpaintのドラマーStella Mozgawaなどあらゆるロックファンを刺激するメンツが参加しており、それをまとめ上げるミックスはこれまたNIN作品でも知られるが、My Bloody Valentineの音楽史に残る金字塔『Loveless』を中心に数多のシューゲイザーからThe Smashing Pumpkinsのようなオルタナ、Beach Houseのようなドリームポップまで80年代後半以降のロック名盤の裏にこの人あり、という名匠Alan Moulder。ここに連ねた名前の他、フェミニスティックなパンクの第一人者Patti Smith、またNINにも強い影響を与え親交も深かったDavid Bowieといった名前のどれかにでも引っかかるなら必聴である。
 先述固有名詞群は本作のバックグラウンドであるのみならず、(特にパンク以降にフォーカスした)そのまま全てロック史における重要人物/バンドとしても語れるわけだが、そう、ーーーSavagesとして既にロック史に爪痕を残している事も尊重されねばならないが、しかしそれ以上にーーー本作は錚々たる面々が残してきたロック名盤の伝統に連なるものなのだ。

NIN人脈の関与に象徴されるエレクトロニクスと生音の鋭い融合を地盤に、ボウイ『Blackstar』やNIN『Bad Witch』あるいはIggy Pop『Free』に、ジャズ側からはEsperanza Spalding『Emily’s D+Evolution』やDonny McCaslin『Blow』に現れている近年のジャズとロックの融合が、高らかにフェミニスティックなパンクの継承を時にマスキュリニティにさえ近づきつつ叫ぶシャウトが、アラン・モウルダーお得意の轟音の中で舞い踊る。
 そう、マスキュリニティ。男性が向き合い乗り越えるべき古き旧きものとしてtoxic masculinity (有害な男性性)という言葉が叫ばれる時代に、ともすればそんな男性性のいち側面(それはサウンドからの連想だけでなく、往年のロック・スターが性暴力まがいの行為や年少の少女との性行為を誇っていた亊からすると逃れ得ないれっきとした事実だ)でもあるロックサウンドの継承を、女性アーティストが、いち側面としては暴力性も伴い表現する。その意味とはなんだろうか。
 その意味を考える時、一方で守旧的な価値観からは枠にはまったフェミニンな表現ともとられかねない、クラシカル・ミュージック的でもある自身のピアノによる弾き語りでシンプルにポエティックなラヴ・ソングを綴る「French Countryside」のような曲がコントラストを生み輝きを放っている亊は見逃せない。ひとつにはつまりアルバムという古典的なパッケージが個々の楽曲の印象を変えるマジックを持つ事に対する深い理解の証明と言えるが、それは最終曲「Human」で冒頭「I Am」と同一のサウンドを用いるばかりか歌詞もリプリーズさせる事でアルバムを円環構造にしてより一層補強される。”アルバム”というパッケージングが内包できる振幅への信頼が、彼女を時に暴力的に時に守旧的なフェミニンさにという表現の幅を許しているのではないだろうか。
 2020年という時代にロックがロックのままいかに前進できるか、を示した好例の一つ。

THE NOVEMBERS - At The Beginning

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Bandcamp / CD / Spotify

さて。振幅。Jehnny Beth評の最後で綴った”振幅”。あらゆる”振幅”の狭間にある事、あるいはその中の境界線を壊すというのはグラムロックというムーブメントが行ってきた最も重要な事であり、今ロック・バンドのスタイルでそれを最も受け継いでいるのがこのバンドと言えるだろう。

THE NOVEMBERS。オリジナルアルバムとしては本作で8作目となる結成から15年と中堅のキャリアを持つ日本のバンド。
 本作ではL'Arc~en~Cielのyukihiroがシーケンス・サウンド・デザインおよびプログラミングとして大半の曲に参加。L'Arc~en~Cielと言えば、ヴォーカルのhydeがその呼称を拒んだ逸話が有名であるだけにそう括る事にも躊躇があるが、しかしやはり外側からの見え方としては90年代日本で勃興したヴィジュアル系(V系)ムーブメントの中で最も商業的な成功を収めたバンドであり、今に至るまでV系シーンが存続する礎となったバンドと言えよう。率直に言えば私はこのV系には門外漢である程度の知識しかなく、特にこのTHE NOVEMBERSの昨年作『ANGELS』リリース以降SNSを徘徊していてV系への知識の薄さを反省させられる事がしばしばあった。
 しかし、V系ファンには申し訳無さも伴う物言いになるが、その辺りへの知識が薄くとも…あるいは抵抗感すらあったとしても、本作を楽しむ亊は可能だろう。というのも、少なくとも外側から見てV系がシーンとファンダムを固定化させてしまった以降で減退させてしまったように見えた、そのルーツとなったグラムロック〜ニューウェーヴ(ないしニューロマンティック)の持つ振幅の広さ、境界線を破壊する性質というのが、(所謂V系と括られるバンドも少なくない数がそれを持っていたのだろうけれども)よりわかりやすく前面に押し出されて表現されているからだ。

それは冒頭の「Rainbow」が象徴している。キラキラしたニューエイジ的透明感を持ったシンセで幕を開け、攻撃的なビートとプロセッシングが単に美しさに浸ることを否定する。だがそのビートに沿って歌われるヴォーカルはこれまた非常に透明感がある美しいもの。ヴァースが立ち上がる時点で実にわかりやすくこのバンドが持つ振幅が表現されている。
 そしてヴォーカルが綴る希望に満ちた歌詞はしかし、強烈なシャウトが奈落に落ちていくかのように消えていく様と共に不穏さも残す。歌の合間で鳴るRadiohead『KID A』を彷彿とさせるデチューンされたシンセは、それ故に一聴では掴みづらいがダイアトニックのメジャースケール…つまり”ドレミファソラシド”を弾いている。The Beatlesのポップな側面を象徴する1曲でもある名曲「Hello Goodbye」のコーラス部分でも用いられポップ・ミュージックのひとつのクリシェともなったメジャースケールをそのまま上昇していくフレーズ。それがこの希望を示す歌詞と共にデチューンされている意味とは。
 その後アルバムはサウンド的には「Rainbow」では姿を現さないあるいは控え目に留まっている要素を次々と投げ込み、メタル、インダストリアル、さらには芸能山城組的ガムラン解釈から80年代歌謡曲的メロディをカラッと響かせるに至るまで幾つもの表情を見せるが、紐解く鍵は冒頭の「Rainbow」で既に提示されているようにも感じられる。

近年のアーティスト・ショットでもメイクをした姿を披露しているように、ルックスからも派手なファッション、glitterさを持ち合わせている彼ら。ここで聴ける耽美と退廃との融合は、グラムロックの継承でなければなんだというのだろう。それでいて先に述べたようなニューエイジ・リバイバルへの目配せや、近年盛り上がりを見せる越境的なメタルの音作りを飲み込み、”ファンタジー”が”冷蔵庫の中で賞味期限切れ”(「New York」より)になった時代を歌う。紛うごと無き2020年という時代にギラギラと輝くグラムロック。

Yves Tumor - Heaven To A Tortured Mind

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Bandcamp / LP / Spotify

そして耽美と退廃の融合で言えば今の所リリースされている本年の作品で極北に位置するのが本作だろう。

2年ぶり通算5作目(中規模以上のレーベルからフィジカルも伴いリリースされた作品としては3作目)のこのマイアミ出身イタリア拠点の作家を何という言葉で紹介すべきか。
 2016年の初作『When Man Fails You』の時点では、ミュータント・エレクトロやDeconstructed Clubといった10年代の流れも汲みつつのアブストラクトなエレクトロニカ・プロデューサーと呼べただろう。しかし、そこから作品を経る毎に初作にも潜んでいた(それも1曲目が実は最も顕著であった)ロックの要素がどんどんと強まり、名門Warpに移籍した前作『Safe In The Hands of Love』ではエレクトロニカ・プロデューサーと呼ぶべきかロック系SSWと呼ぶべきかがわからない境目にまで達していた。
 そして、その非常に高評価を受けた前作から、初の1年以上のブランクを開けての本作はどうなったか。前作が”境目”にあったのならそれを完全にロック側へ跨いでしまった作品と言える。ここでのイヴの振る舞いはロック・シンガー…いや、完全に”ロック・スター”のそれだ。唸るギター、エッジーなサウンド、官能的なグルーヴ、妖しいヴォーカル…ロックが最も華やかなりし時代、70年代の素晴らしいロック・アルバムの要素が本作には詰め込まれている。

しかし、幾つかの曲ではメイン・ヴォーカルをHIRAKISHというシンガーに任せている。”ロック・スター”的振る舞いを追求するのであれば、常に自身がスターダムに立つのだという意識も欲しい所だが、これはそういった”ロック・スター”像を追求する上でもなんの障害にもなっていない。
 例えばそれが最も顕著なのはLed Zeppelinだろうか。Jimmy Pageが長いギターソロを弾いている時でも、必ず聴手の脳裏にはステージに居るRobert Plantの姿が浮かぶ。そんなイメージ喚起力。あるいは優れたジャズ奏者がソロ回しの中で自らがバッキングさえ弾かない部分でこそむしろ際立つもの。それをイヴも持っているのだから。
 その”不在だからこそ立ち現れる存在感”を、イヴと同じくソロ・シンガーとして発揮していた人物。奇しくもステージネームYves Tumorの本名はSean Bowieである。Bowie、そう。David Bowieだ。本作には非常に色濃くデヴィッド・ボウイの影が焼き付いている。特にアンソロジーボックスセット『Who Can I Be Now?』としてまとめられている74年から76年にかけてのボウイだ。この頃のボウイ作品におけるR&Bとロックの融合、そして歌唱の身震いするような官能性は比類なき高みに達していたが、本作はそれに匹敵するものを獲得している。

さらにまたそういった70年代のロックが表現していた要素を、ーーこれは単に”ギターロックじゃないか”と切り捨ててしまうと気づきにくいのだがーー実の所楽曲構造からサウンドメイク、ミックスのバランスに至るまで全く以て70年代の忠実な再現は志向しておらず、あくまでDAWによる編集感覚を通過したカオスの元でグラムロックを始めとした70年代ロックの”ガワ”を被っているのだ。
 ハイライトはB面冒頭「Romanticist」から「Dream Palette」というシームレスな2曲での耽美と激情の鬩ぎ合いだろう。その「Romanticist」は2019年に10cc「I’m Not In Love」のカバーが話題を呼んだKelsey Luが参加している。

Rina Sawayama - SAWAYAMA

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最後に取り上げるこの英国在住日本人アーティストは、ヴィジュアルこそ冒頭で述べた”グラムロック要件”のヴィジュアル面を最も正統に受け継ぎアップデートしていると言えるが、音楽性的には少しズレる。”要件”などと定めておいて取り上げるうち1/4がズレているのか、と突っ込まれれば返す言葉が無いのが正直な所だが、それでも捩じ込んでおきたかったのだ。

とはいえ、この記事において定めたグラムロック要件のサウンド面から少しズレるというだけで、ロックとR&Bの折衷と言える本作のロックな側面は、一般的にグラムロックと受け取られる事も少なくないだろう。というのも、本作のロック的要素はQueenから連なるものが非常に大きいからだ。そもそもグラムロックの枠にもしばしば括られるQueenをなぜ要件を定める上で省いたのかといえば、T. Rex、ボウイ、ロキシーという面々がパンク〜ポストパンクから連なる音楽に受け継がれているのに対し、ボウイとの共演もありグラムロックのパブリックイメージの一角を成しながらも、Queenの要素はパンク〜ポストパンクとの対立(してきた)概念とも言えるHR/HM文脈により多く受け継がれているからで、その全てを包含するのだとしてしまうと”全てのロックはグラムロックの息子!”なんて元も子もない話になってしまうので…
 何にせよグラムロックの一角を受け継ぐのもまた確かであるし、大雑把に言ってもう一つの軸と言えるR&Bの部分が、デヴィッド・ボウイのシアトリカルな側面を受け継いだアーティスト中最重要人物と言えるJanelle Monaeと少なからず共振している点もグラムロックの血脈を考える上で重要に思える。

そんなここまで語ってきたグラムロックと共振する部分を持ち合わせつつ、そうでない部分も色濃い本作をなんとか捩じ込みたかった理由には、音楽にまつわる書き手の端くれとして自覚を持つならば、という理由が一つ。
 それは本作がロックとR&B双方のステレオタイプ的な表現を見事に折衷させている点だ。本年、SNSを徘徊していると、ロックファンの少なくない数が、ヒップホップの時代だった2010年代に対してロックが盛り返している、といった類の発言をしている。が、そもそも2010年代はロックとヒップホップの境目が融解したディケイドと見たほうがポジティヴで無いか。その上、先日議論を呼んだ”アーバン(Urban)"というジャンル設定/カテゴライズは不遜なのではないかという話題に見られるように、旧来的なジャンル設定はアクトの人種と非常に深く結びついている。それを直視せねばならぬ時代に、ロックとヒップホップを再び対立軸に戻すような発言はどうにも退歩的に思えるのだ。そして、今その枠組の無意味さを最も示しているのは英語圏主導ポップ・ミュージックのジャンル定義にこれまで縁が浅かったアジア人による本作ではないかと考えている事。これが”グラムロック”と冠した記事に本作を入れたかった大きな理由である。

…が、さらに、最も、大きなものは率直に言って非常に個人的な思いだ。
このRina Sawayamaがポップ・ミュージックの表舞台と堂々に言える場所に立ったのは27歳、2017年の事。そして更にセンセーショナルさを身に纏ってファンダムを拡大させている今はもう30歳。こんな年齢は10年前のポップ・ミュージック・シーンならばもう”若者”とは言われぬ年齢だ。
そして私はRinaと1歳しか違わず、同世代として彼女に視線を向けている部分もあるのだが、同世代なればこそ、自分が子供の頃には30歳という年齢がポップ・シーンにおいてどう振る舞うべき年齢だったかも知っているはずだ。
曲がり角だ、大人になれ。
そうした圧の中で振る舞いを変えてきたポップスターを私と同じ様に知っているはずなのだ。そういった過去の因習を(気にならないはずが無いというのに!)まるで気にも留めないように、センセーショナルな新鋭ポップスターとしてのファッション/ヴィジュアル、音楽性を貫くその姿に、私はどうしようもなく心を震わされる。
 強い反発がありつつも確実にあらゆる枷を取り払おうとせん多様性の波が訪れている時代に、まるで軽やかなステップを踏むようにエイジズムを振り払うRinaの姿が、少なからず同じ物を見てきた同世代として、その裏にどのような覚悟があるかの断片程度は伺い知れるからこそ、自分だって、という勇気が湧く。本作を聴いている時私は、『TOP OF THE POPS』で「Starman」を、「Metal Guru」を、初めて聴いた少年少女と時を越えて繋がれている気がするのだ。

その他の動き

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そんないくつかの現代版グラムロックの象徴と言える作品のほか、さり気なくも確かに符号が見られる動きが他にも存在する。

元々時流を考えずその時々の自身の興味が赴くままに作品を作ってきた節のあるThe Lemon TwigsKing Gizzard & The Lizard Wizard(これは昨年作だが今年のシングルも奇妙なグラム感を放っている)といった面々が期せずしてグラムに接近した作品を近い時期にリリースしたという事。トレンドと無縁な存在が不意に近接してきたというのは、言わば野生の嗅覚が今そこに何かがあるぞと示しているかのようで、今後のグラムロック的作品の充実に期待が持てる。

一方、サウンド的にも多少グラムロックの血脈が感じられるギターロックで、何よりその挑発的なバンド名からして守旧的なジェンダー観を逆手に取った表現が実にグラム的なDream Wifeの新作。そしてそれを間に挟むと、グラム的な挑発というより第4波フェミニズムの誠実な反映と言えるHaimの新作のような作品ともグラムロックの思わぬ結節点が見えてくる。今後2020年代というディケイドを通してグラムロック再興/再考というのがキーワードになるならば、こういった界隈がどう動いていくかがキーになるのではなかろうか。

結構ギリギリでやってます。もしもっとこいつの文章が読みたいぞ、と思って頂けるなら是非ともサポートを…!評文/選曲・選盤等のお仕事依頼もお待ちしてます!