Dos Monos - Dos City: ”現代のセロニアス・モンク”なんて文句が巷に跋扈する昨今ですが…え?誰も言ってない? + Dos City Meltdown: 我々はAKIRAの世界に

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日本人3MCヒップホップユニットのデビューアルバム。リリースは過去にはJPEGMAFIAClipping.を輩出した前衛ヒップホップの名門レーベルDeathbomb Arcからで、ミックスは故ECDの右腕Illicit Tsuboiが手掛けており、この異端の才能を送り出すに相応しい布陣だ。トラックは全てラップもこなすフロントマン荘子itがプロデュース。

Deathbomb Arcらしいオルタナティヴな要素を多分に含んだ本作の中で莊子itは2曲目「In 20XX」において異端ジャズピアニストThelonious Monkの名曲「Brilliant Corners」をサンプリングしている。ここでのサンプリング・リフのラフな合唱はその後「Do Not Freeze!」でもテーマ的に再登場するが、このDos Monosの異端さはまさにこのセロニアス・モンクの、Miles Davisが名盤『Kind Of Blue』モード・ジャズを切り開く前後のジャズシーンにおける異端さと重なる部分がある。
その後のフリージャズの先鞭と言うほど表面的な前衛性破壊性が強い訳ではないが時代の主流とはあまりに遠く、かつ先人をリスペクトし研究する学究肌な部分も確実に見えるにも関わらずオルタナティヴな文脈においてさえ何かの正統進化形と評するには奇妙な突然変異なのだ。

「Brilliant Corners」のオリジナルを聴いていると、プリペアド・ピアノ等の特殊奏法が用いられていない事がむしろ不思議に感じられる事がある。ハーモニーもソロのフレージングも非常にエキセントリックな中で、更に奏法にも革新があれば今頃フリージャズの始点とも評されるOrnette Colemanの名盤『The Shape Of Jazz To Come』の座についていたのは『Brilliant Corners』だったかもしれない。
『Brilliant...』が57年、『The Shape...』が59年。John Cageがプリペアド・ピアノという手法を発明したのが1940年とされているが、所謂プリペアド・ピアノで無くてもいい、とにかくベーシックな譜面で表現出来ない奏法をジャズにも持ち込もうというアイデア(注1)がこの時点で2年先んじて産まれていても歴史的に有り得ない話ではない。しかしモンクは57年時点でそのようなアイデアに辿り着かなかったばかりか、既にフリージャズが現在の我々がイメージする形になっていた71年の最後の録音に至るまで明確にフリージャズ的な録音は遺さなかった。
エキセントリックと呼ばれるモンクにも、譜面で表現できる範囲にこだわる保守的な側面もあったとも言えるが、そのコントラストがむしろ今日においてもモンクの音楽をオンリーワンに響かせる所以となっているのではなかろうか。

さて、ここでDos Monosの話に戻そう。あえて大雑把に本作で聴ける荘子itのトラックの傾向をまとめれば、ウワモノの雑多かつエキセントリックなサンプリングワークに対してヒップホップのキモたるキックとスネアの配置はブーンバップ的だったりと最早トラディショナルとさえ言える形が多い。しかしこのコントラストが保守性にも目配せしてバランスを取るというよりもむしろより奇妙に聴こえる事に繋がっている。この点こそがモンク的な部分であり、Dos Monos最大の魅力だ。
ロック界におけるモンクに近い存在とも言える、奇人変人との評がまとわり付くレジェンドFrank Zappaをもまたサンプリングしているのは、荘子itのそれら異端的先達に対するシンパシーないし憧れを示すものであるのかもしれない。

さて、ここまでのアルバムレビューではモンクとの対比を通して主にサウンド面にフォーカスして来たが、莊子it以外のMC、TAITAN MANも含めラップもフロウ/リリック両面にキレがあり、1stにして凄まじい仕上がりになっている作品で今から次作が楽しみでならないのだが、先日その期待を何倍にも加速させる恐るべき次の一手が打たれた。

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街中…天下の往来で倒れ込む泥酔者。その風景は単に品が無いだとか、ブラック労働の疲弊が産む結果であるとか酒がいかに”ドラッグ”であるかの象徴だとして日本の闇扱いされたり、はたまた治安が良いからこそ出来ることだなんて無責任な”日本スゴイ”の材料にされたり。なんにせよ国外で全く見られないわけではなくとも国際的にもひとつの日本の象徴とされつつある風景。そんな風景を渋谷を中心に淡々と撮影しSNSに上げているSHIBUYAMELTDOWN。在日オーストラリア人とされているが詳細不明なその運営者が、なんと日本の若手ヒップホップアーティストを集めたコンピレーション・アルバムをリリースした。

ポップチャートにも進出せんばかりの勢いを見せる唾奇が冒頭かつ表題曲を飾っている事などトピックは多く、アルバム全体の記事も気が向いたら書くかもしれないがしかし、2曲目に並ぶDos Monos書き下ろし新曲「Dos City Meltdown」のインパクトはあまりにも凄まじい。

グライム的でもあるスピード感と暴力性に溢れたビートの上を駅のアナウンスに街の雑踏からシンセ黎明期のモジュラー機によるような実験音楽的サウンド、更にはラヴェルの弦楽四重奏曲のピチカート(元々大好きな曲なのに気付かなかった!このツイートで気付きました。ありがとうございますtomomi yokoyamaさん)に至るまで、まさに東京的な情報量過多スレスレな世界をさりげなく鳴るダブ的なベースラインの上に描き出す狂気的なサンプリングワーク。
アルバムレビューではリリックに触れて来なかったが、そこでも随所に冴えを見せた社会背景と絡ませつつのパンチラインは更に進化を見せ、フックでの"二度目の東京五輪"、"華氏451"のフレーズは、我々がいつの間にか拡大する格差を尻目に五輪だなんだとお祭り事に精を出す腐敗した政治という大友克洋『AKIRA』の世界に迷い込んでいたのだという事を残酷なまでに思い出させる。

衝撃的なアルバムデビューから1年と待たずに次のステップへ踏み込んだ、既に日本語のまま海外展開を見せているこのトリオはいったいどこまで進化するのだろうか。楽しみと同時に恐ろしくもあるほどだ。

注1:この時点でプリペアド・ピアノを使ったジャズの録音は存在しなかったんでしょうか。いくつかのキーワードでググったけどどうも判然とせず。英語Wikipediaには「Take Five」のDave Brubeckが68年にホンキートンクっぽく聴かせるために銅の帯を乗せたという例が挙げられているけどここにもジャズで初とは記されていないし、68年まで皆無ってのもちょっと怪しい…ように思う。なんとなくGeorge RussellとかLennie Tristanoあたりやってんじゃね?って気もするけど、この辺の名前で調べても出てこないし。Margaret Leng-Tanというトイピアノをメインにクラシックを弾く人がプリペアド・ピアノでも知られているらしいのだけど、この人のように当時のシリアスな評価の対象外な領域で同じようにジャズを弾いてそして録っていた人もいそうな…気がする。子供向け、コメディ、あとミューザックとかのラウンジ寄りなんかで。誰かご存知でしたら教えて下さい。

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