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新たな家族のカタチ

突然ですが、今日は私の家族について書きたいと思います。

関係者の方々には直接お伝えしたいという想いもありましたが、この場を借りて報告させていただきます。

この度、R4.4.11に、おくちゃんと結婚をしました。

おくちゃんとは、THE COACH Academyでのお仕事を通して知り合いました。いくつかのクラスは一緒に担当したのでAcademyの受講生の方々は驚かれるかもしれませんね。

私自身も、一緒に仕事をしはじめた時には、まさか結婚するとは思っていませんでした。ビックリ!人生って面白いですね。

さまざまな偶然が重なって、奇跡的にこのような運びとなりました。結婚してみると、家庭においても仕事においても頼りになる存在で心強いです。

この結婚は、互いの意志はもちろんありますが、それを超えたところで、何か大きな流れの中で、自然とここに行き着いた感じがしています。

気がついたらそうなることになっていた。
そこに、妙なしっくり感があった。
そうとしか言えないのが、もどかしいですが、まぁ、仲良くやっています。

力が抜けている感じが、自分たちらしいのではないかな。

私たちは、お互いに再婚です。
私たちの場合は、それが良かったような気がします。
お互いに、前の結婚がなかったら、こうなっていないと思います。

お互い一つのプロセスを完了し、握りしめていたものが溶解して、桜の花が散るように季節が変わっていき、気がついたらここにいた。そんな感覚があります。
これまでもお互い、一生懸命に最善を尽くして生きてきたし、後悔は1つもありません。苦い思い出や黒歴史、どれ一つ欠けても、ここに来られなかったのだと思うと、どれも大切な思い出です。

これからは、より自分らしい在り方で別のパラダイムを生きることができそうです。
少し不思議な感覚なのですが、それがとても心地が良いです。

結婚するということは、昨年から決まっていたのですが、具体的にどのようなカタチで結婚するのが良いのかを長い間、考えてきました。

お互い、前の結婚は法律婚(入籍)でした。
今回も同じように法律婚でもよかったのかもしれないけれど、私たちにはそれを選択する必要性と必然性がどうしても言語化できませんでした。

さらに、私はもう二度と結婚をすることはないと思っていたこと、再婚とは何かについて熟考したことがなかったこと、その他にもさまざまなコトがあり、この選択にとても時間がかかりました。

私には10歳になる娘がいます。彼には子どもがいません。結婚をするということは、娘にとって《父親》という役割を持つ人ができることを意味します。

また、彼にとっては、血のつながりのない子の《父親》という役割を持つこと、《娘》ができることを意味します。

たとえ、それが「役割」であったとしても、人生に大きな影響があります。

私は産後直後に離婚をしており、複雑な理由から、娘は実の父親に会ったことがありません。つまり、父親が存在する家庭というものが一体何なのかを経験したことがありません。

この結婚は、我々にとって未体験ゾーンでした。
コンフォートゾーンからストレッチゾーンに移行するというよりは、突如パニックゾーンに放り出されるような感じだったかもしれません。

このことについて、家族で沢山話をしました。

話をする中で、結婚をするしないにかかわらず、私たちは《自分》なのだということを大切にしたいというのが、私たち家族の価値観なのだということがクリアになってきました。

結婚したら、私は家庭の中で《妻》という役割がプラスされます。娘やおくちゃん、それぞれも新たな役割を持つことになります。

たとえそうだとしても、私たちは役割を生きる前に、強烈なまでに《自分》であることは揺るがない事実です。

役割だけを生きる必要はない、囚われる必要はない、私たちらしい家族の在り方を探究しよう、そんな話を沢山しました。

もちろん、役割を生きることは大切です。
私は、母親として、妻として、ふさわしい振る舞いや在り方について求められるもの、自分が大切にしたいことはわかっているつもりです。(うまくできるかどうかは別として)

でも、忘れたくないのは、私は役割を生きる前に、一人の人間なのだということです。

私は、この役割というものにずいぶんと振り回されてきました。前の結婚の時は、周りから期待される《奥さん》《お嫁さん》を一生懸命やろうとして、ある意味やりすぎて、上手くいかなくなりました。

気がついた時には、上記の2つ以外にも、さまざまな役割を握らざるを得なくなり、背負いきれない荷物を背負い、結局つぶれてしまいました。

前の結婚の話も書けたら良いなと思うのですが、相手のあることであること、もう私の中では完了していることなどから、今は、書くのは控えようと思います。

ただし、私が経験したことを公にすることは、きっと多くの人のためになるのではないかとも思います。なぜ、前の結婚のようなプロセスが起こったのか、私の無意識領域の何がそれを引き起こしていたのか、その時がきたら、書けたらいいなと思います。

この10年間、シングルマザーとして生きてきて、助けてもらったことも沢山ありましたが、差別や偏見から悲しい気持ちになったことも沢山ありました。

江戸時代までは、日本人の離婚率は世界最高レベルであったという記録もあることから、もともと、この国は、結婚や離婚に対して柔軟なところがある文化を持っているように感じています。

その柔軟さが、少しだけでも思い出されるといいなと願っています。
結婚だけではなく、ジェンダーという面においても、今よりは幾分か柔軟だったのではないかと思います。

今の《結婚》のイメージは明治以降の民法の影響を受けていると言われています。なので、今の《結婚》に対する考え方や価値観は、ここ160年ほどで培われた比較的新しいものだと言えるでしょう。

その価値観で形成された社会や文化の中で、シングルマザーとして生きることは、簡単なことではないことを、この10年で学びました。

一人の人間として尊重してくださる方も沢山いますが、歓迎されないこともあります。こちらが驚いてしまうようなネガティブなイメージを持たれることも少なくありません。

自分を含め、人は無意識に「○○に違いない」というラベルを人に貼ってしまうことがあります。それぞれ、生きてきた歴史があり、価値観を持っているので、それは自然なことなのだと思います。

私は出来る限り、そのラベルに自覚的であれたらいいなと思っています。
私自身、もともとは、自分を守るため、さまざまなことをジャッジして生きてきました。

今は、出来る限り、人と接する時には、ラベルではなく、その人そのものを見つめたいです。


差別されてもいい、偏見のあるかかわり方をされてもいい。
その人は、そうすることで一生懸命に生きている。
同じように、私も一生懸命に生きている。
差別や偏見を受け取るのか、受け取らないのかは、私が選び、私が決める。


私は、自分のことを大切にしたい。
同じように、家族のことも大切にしたい。
それと、同じように私たちと繋がっているすべてのことも大切にしたい。

この感覚を持つことが出来たのは、シングルマザーとして生きてきた経験によるものが大きいです。

すこし話が長くなりましたが、大切なことを大切にするため、私たちは事実婚というカタチを選びました。

法律婚(入籍)ではなく、事実婚。
事実婚のカタチもいろいろあるのですが、私たちは、世帯合併をして、続柄の欄に《未届けの夫》《未届けの妻》《未届けの妻の子ども》と記載する方法を選びました。

結婚式など、特別なことは何もする予定はありません。
法律婚(入籍)をしていないので、苗字も変わりません。
これまでと何ら変わらず、これからも生きていきます。
お互いの合意の上で、内外に関係性を明らかにすることに決めたという、ただそれだけと言えば、それだけなのかもしれないですが、私たちにとっては意味のある一歩だと感じています。

法律婚、事実婚のメリットやデメリットを洗い出し、どのような選択に可能性を感じるか、対話したプロセスはとてもよかったです。

娘とおくちゃんを見ていると、役割ではないところで繋がっている感じがして、とても嬉しいです。1人の人間として、お互いを尊重し合っている感じが伝わってくるのです。

私たち家族は《自分》を生きています。
そこにプラスし《夫婦》《親子》などの役割が求められることもあることも知っているし、それに応えることが出来ることも知っています。

このような世界観を家族で共有しているのが、私たちの現在地です。

私はおくちゃんと結婚しましたが、《妻》という役割を横に置いた時、シンプルに《こっちゃん》です。
それは、おくちゃんも同じ。娘も同じです。

私は、人生中盤に入り、ようやく自分の人生の舵取りが上手くできるようになってきたような気がします。親や周りの期待に応えることを頑張った人生前半は得たものも大きかったけれど、とても大切なもの、失ってはいけないものを失った感覚がありました。

今は、その大切なものを取り戻し、自分の中心に据え、人生の舵をしっかり握っている感覚があります。

これまでのわたしに、心からありがとう。
一度、失ったから、その大切さがわかります。

娘にも、改めてありがとう。
あなたのおかげで人生の舵を取り戻すことができました。

おくちゃん、ありがとう。
あなたのおかげで、人生に繋がることの喜びが満ちています。

今ここで感じていることを大切に、皆でゆっくり歩んでいきたいと思います。

改めましてどうぞよろしくお願いいたします。


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