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我が家には、家族の一員に柴犬がいます。

家族の誰からも愛されている柴犬は、家族の仲を取り持つ重要な役割を果たしているとともに、人として大切なことを教えてくれる尊敬すべき存在です。

犬は、喜怒哀楽を素直に表現します。

嬉しさや楽しさを表現するときには、舌を出し、しっぽを鞭むちのようにぶんぶん振ります。

悲しいときには、鳴きます。

怒るときには、大声で吠えます。

散歩に行きたい時には、クンクンクンと悲しげな声を出し、私の後追いをしながら、目を見つめてきます。

腹が減ると、「餌、入れろ!」と、お皿を前足で器用に転がします。

そして家族が集まっていると、必ず寄ってきて、体をこすり合わせにくるんです。

家族以外の人間に対しては、「お前誰や!」とばかりに必ず吠えるし、なんなら咬みつこうとさえします。

包み隠さず、ストレートにやりたいことを表現するところが犬のいいところです。


人の言葉はきちんと理解していなくても、人間の喜怒哀楽や目つき顔つき、態度などによって、人間が何を言わんとしているのかを理解しようとします。


犬嫌いの人間と犬好きの人間を瞬時に見分ける能力も持っています。


これ、どういうことか分かりますか?

犬は、「言葉」を持っていませんが、それでも人間とコミュニケーションが取れるんです。

つまり、コミュニケーションとは、言葉で成り立っているわけではない…ということ。

言葉を使わずとも、相手を理解しようとする強い気持ち、相手に伝えたいという強い気持ちさえあれば、意思疎通は成立するということを犬から教わったんです。

私たち人間は、あまりにも言葉に頼りすぎなのかもしれません。でも信頼関係を築くのは、必ずしもうまい表現力だけではない、その土台となる「マインド」が大切なんだと気づかされました。

もっというと、アイツらは自分が人間からどう評価されようが気にしません。自分の幸せのためだけに生きています。

聞いたことがありますか?犬が…

「あんまり、散歩いきたがると嫌われるかな。ご主人も疲れてるやろし。今日は遠慮しとこ」

っていう犬。

ヤツらは自分の生きたい生き方を貫こうとしているし、今、満腹であれば幸せなんです。

その超シンプルな幸せを得るために、人間の内面を見抜き、コミュニケーションを図ろうとしてくる。
なんて、高度なコミュニケーション力!


そして、そうやって得た幸せな姿を、私たち人間は見ているだけでまた愛おしくなります。


そうなんです。
人の目や人の評価を気にせず、他人(犬?)と比べることなく生きている姿、つまり自分らしく生きている姿にこそ、人は魅力を感じるんだと思いませんか?

打算的にならず、うちの柴犬のように、自分らしい正直な生き方ができるように見習いたいと思います。

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