見出し画像

化野をぬけて清滝へ向かう……


人も少なくて天気も良くてあったかくて、むちゃくちゃ気持ちががよかったです。

 

セロトニン大放出!といったところでしょうか。

 

 

 

京都の中でも嵯峨野という地域は、その特有の田舎風景と風情豊かな街並み、荘厳な寺社、そして季節ごとの色合いを示して、歴史的に多くの人物が別荘地として利用してきた場所で、最高のロケーションなので、僕は大好きです。


 
そんな嵯峨野エリアの中で「化野念仏寺」に足を運びました。

 


ここはたくさんの無縁仏が祀られている場所で、ひっそりとした静けさがなんとも言えない儚さを醸し出していました。

 


清水や金閣寺のような華やかさとは一線を画した、まさに「静寂」と呼ぶにふさわしい静のエネルギーを感じます。

 

 

「あだし」という言葉には、「むなしい」「はかない」という意味があるそうです。

 

 

昔はこの地域は、風葬地だったんだそうです。

生活の余裕がなく、お墓を建てることができない庶民が、愛する人の永遠の別れを悲しんだ場所であり、野ざらしになっていた亡骸を憐れんで、このお寺を建てたのが、かの空海先生だったんですって。

 

 

ですから、むちゃくちゃ「世の無常」を感じちゃう時間でしたね。

 

 

こんな張り紙がしてありました。

 



 

気は長く 心は丸く 腹立てず 口慎めば 命長かれ

 

 

たしかに!

 

 

僕は心理を扱う学問を学び、人に伝えたりしていますが、はるか昔から教え伝えられている倫理って、普遍なんですね。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?