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僕は以前から自分の年齢に対してコンプレックスがありました。

今は、たくさんのことを勉強して、自分の生き方なんかをも見つめなおし、「後悔のない人生にしていこう」なんて境地にやっとたどり着いたんですが、一方で「気づくのが遅すぎたよ」「もっと早く気がついていればなぁ」などと悔やんだりもします。

その時点で、

「結局、後悔してんのかよ!」

って話なんですが、やはり20代や30代の若者、自分の息子なんかを見ると、

いいなぁ…

これからむちゃくちゃ可能性があるじゃん!

人生楽しみ放題だ!

なーんて羨ましがってる自分がいたんです。


そして、人に「今何歳?」と聞かれることがたまらなく嫌だったんです。

年齢を知られるのが、たまらなく恥ずかしかったんです。


いい歳して仕事辞めたん?

いい歳して将来の夢って?

いい歳してこれからそれやるの?

え?今さら?


まだ、こんなふうに思われることにビビってる自分がいるんです。

「いい歳して…」

が、僕のネガティブの扉を開けるトリガーワード

なぜか頭の中には、

おっさんが夢破れて、人生に絶望して落ちぶれて、酒浸りになった、矢吹ジョーに出会うまでの「丹下団平」状態を想像してるんです。

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こんなふうに世間様に見られるんじゃないのかな…なんて。



で、ある時ふと気がついたんです。

この考え方って、過去から自分を見ているなぁ…って。


そうなんです。

過去から今の自分を見てみれば、今の自分が一番「老け」ているんです。

これ、視点を未来にスライドさせて置いてみたらどうだろう?

未来から今を見れば、今が一番「若い」んです。


僕、「若さ」が羨ましかったんでしょ。

だったら今、未来から見れば、「生まれたばっかじゃん!スタートラインに立ってるじゃん」

おー!

すげぇ!

よかったじゃん!

人生のやり直しと考えるから、始めるのが遅いなぁ…なんて思っちゃうけれど、やり直しじゃなくて、今から始まるんです。

となると、だからこそ重要なのは、「今」 なんです。

過去じゃなくて「今」


プレゼントという言葉は、「贈り物」という和訳の他に「現在」という意味があります。

つまり、「今」という時間は、神様が私たちに与えてくれた「贈り物」なんですよね。


うちの柴犬のテンくん

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あいつ、13歳だけども過去のことを振り返って、「俺も年取ったなぁ。もっと自由な生き方をしたかったなぁ」なんて全然悔やんでませんよ。

「腹減ったわ」「飯食いたい!喉も渇いた」

「お、飯や!美味いわぁ!」

「散歩行こうぜ!」「え?行く?」

「よっしゃー!ヤッホーい!行こうぜ!ああ汽車が来た!」

しっぽフリフリ♪

って、むちゃくちゃ「今」を楽しんで、今に集中して生きてやがるんです。

チーン♪

完全にテンくんに幸福度で負けていた・・・



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