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ジェイラボワークショップ第29回『初回オリエンテーション』【教育研究部】[20220523-0529] #JLW

みなさん こんにちは。
ジェイラボ教育研究部部長のシトです。

今回のWSではオリエンテーションを行いました。
これまで教育研究部はワンマンで回していましたが、今年からは入部者がいるので活動を本格的に進めていっています。

■シト

皆さんこんにちは。教育研究部部長のシトです。本日から1週間、教育研究部のオリエンテーションを行います。この1週間は今後の活動で扱うものの参考のための質問やアンケートを行おうと考えています。では、よろしくどーぞ。

まず、教育研究部の紹介から。

教育を段階別に分ける場合、義務教育、高校教育、高等教育に分けることができると思います。しかし、本当に分かれているのでしょうか。私はそうとは思いません。前回の義務教育とは何か その1

にでも出たように、高校教育は準義務教育化していると思います。私はこれが不健全だと考えます。義務教育には義務教育の目的があり、高校教育には高校教育の目的があるはずです。今のところ、私は高校教育とは高等教育への橋渡しの役割を果たすために存在すると考えています。しかし、準義務教育化してしまった今、その目的が果たせなくなっているのではないかと思います。その原因の一つには、義務教育の平等という波が高校教育に押し寄せているというものがあるでしょう。教育研究部はこの問題意識をもとに活動しています。義務教育を定義し、教育とは何かを定義し、そして、高校教育とは何かを定めていこうとしています。現在進行形で高校教育が準義務教育化しているのだからその前提で考えたほうがいいのではないかと思うかもしれません。しかし、理想がわからない以上、現実でどうすればいいかわからない(どの範囲までが適正かという判断ができず、軸がないためおかしなことになる)と思います。理想を定め、現実でどう反映するか。考えていきましょう。よろしくお願いします。

Q1.小学校教育で変だなと思ったこと、思うことはなんですか?

■シト

当時思っていたこと、今見てみて思うことなどどのようなものでも構いません。幅が広すぎて難しい場合は、上記の考えを参考にその範囲で書いていただいて問題ないです。よろしくお願いします。次の質問は水曜日にする予定です。回答は次の質問期間でも大丈夫です。

■ゆーろっぷ

小学校の頃の記憶自体はほとんどないのですが、今考えてみると、担任の先生が多くの科目の指導を受け持っていた(今もそう?)ということがかなり奇妙に思えてきます。科目によって指導者が変わる場合だと、先生という親以外の大人との関わり方について、小学生(特に低学年)くらいの年齢の子供だと混乱してしまう可能性があるので、そのことへの配慮なのかもしれません。ただ、教育としてはどうなのかなという疑問はありますね。
小学校教育の中身について(今話題のものだと英語必修化とその指導内容とか?)は正直よくわかっておらず、大したことも言えないので、もう少し考えてみたいと思っています。

  • シト
    学級担任制が変だと思うということですね。
    学級担任制は、先生と生徒が深くかかわれることや、一人の先生がすべてやることによる教科の連携などができるという点でいいとされます。
    しかし、一緒にずっといるから深くかかわれるのかはわからないですし、連携といっても余裕がない場合にはできないと考えられるため、ちゃんとメリットを発揮しているかというと疑問です。
    ちなみに、今年度から高学年では教科担任制になっています。
    教育としてどうなのかというのは、授業の質や学力面でどうなのかという面でどうなのかということでしょうか。
    たしかに、全部やる場合、特定の科目を研究する時間が少なくなるため、すべての科目が浅くなることは避けられないでしょう(信じられないほど優秀でない限り)。また、その浅いものを子供たちは学ぶため学力が微妙なことになる可能性もあります。
    ここで思うのは、教育とは学力を上げるものなのかということです。
    この段階では学力以上に大切なものがあるのではないかと思っています。
    といってもそれが何なのかはまだはっきりとしていませんし、その前提で立った場合でも学級担任制が適切かどうかもわからないです。
    考える内容のヒントを与えてくださりありがとうございます。
    英語を早い段階から勉強することについて考える参考になりそうなものを挙げます。
    日本におけるバイリンガル教育であるイマ―ジョン教育というものがあります。
    イマ―ジョン教育とは、学校教育内の強化学習のすべて、または一部を、家庭で使用されている母語以外の言語(目標言語)で行う長期教育計画のことです。
    これには、完全イマ―ジョンと部分的イマ―ジョンの二つがあります。
    今回は、完全イマ―ジョンの早期トータル・イマ―ジョンと中期イマ―ジョンについて書きます。
    まず、早期トータル・イマ―ジョンについてです。
    5,6歳から開始されます。目標言語で基礎を習得後、母語による授業を少しずつ導入していきます。両言語の比率は低学年で目標言語100%、中学年で70~80%、高学年で50%、中1,2で50%です。早期の生徒は特に聴解力と読解力に関しては高い能力を有するようになります。
    次に、中期イマ―ジョンについてです。
    9,10歳から開始されます。小4,5では目標言語のみで授業します。6年生は母語の授業が毎日1時間、高校までの特定の教科を目標言語で受けるというイマ―ジョン教育が継続されます。

■YY12

小学校教育がほとんど記憶にないので、科目を教えるという意味での教育については意見がないのですが、もう少し広く小学校の環境などを含めて考えれば、「人が多くて混沌としている」というのは当時から感じていた負の側面です。

私は小学校4年から海外の日本人学校に通いましたが、そこは全校生徒が数十人の規模で(転出・転入も多かったですが)私がいたクラスも平均して5、6人程度しかいませんでした。日本にいた時は、1年生から6年生まで年齢も体格も違う人達が狭い土地にぶっきらぼうに押し込まれている状況に耐えかねていたので、この状況はなかなか嬉しかった記憶がありますし、間違いなく日本にいた時より充実してました。(とか思ってると、中学2年の1年間を比喩じゃなくて1人で過ごすことになるんですが笑)

制度や物理的にどうしようもないというのはわかってますし、私の状況は極端ですが、あの人口密集には碧碧している子も多いと思うのでそこは気の毒だなと思います。

  • シト
    人が多くて混沌としている。
    最初、これを見たとき層の話かと思いました。私立ならある程度入ってくる層が安定しますが、公立はそうとはいかないためです。
    Bodyを読むと狭い空間にとりあえず突っ込んでいることに問題を感じていることがわかりました。参考として人数に関して僕が知っていることを書こうと思います。小学校から中学の1クラスの上限人数についてです。
    幼稚園 35人
    小学校1~3年 35人
    小学校4~6年 40人
    中学校 40人
    というようになっています。
    人数があほみたいに多いことにどのような不満があったのかが知りたいです。
    人数が少ない状況を充実していたと書いているので、先生やクラスメイトとの関わりの深さが関係してそうだなと思いました。
    指導の経験がないのでわからないですが、生徒に十分当たれる人数の上限はどれくらいなのか気になりますね。
    海外の日本人学校については書けたらあとで書こうと思います。

  • YY12
    ・ 人数が多いことに関する不満点
     小学校の頃なので特に深く考えることもなく、直感的に空間的な閉塞感や人口密度に不快感を覚えてましたが、リテラシー面でもその上下の振れ幅で学校生活がしにくい感はあったと思います。正確には、そこから起因する小学生版マウントの取り合いみたいなのに鬱陶しさがありました。・ 人数が少ない状況を充実していたと書いているので、先生やクラスメイトとの関わりの深さが関係してそうだなと思いました。
     人間関係の濃さは間違いなく生活の充実さに結びついていたと思います。(ちょうどジェイラボのように。)大人数だとどうしても何らかの基準をとった時に(小学校なら学力とか運動とか)、はっきりとした優劣がついてこどものマウント合戦が起きますが、少人数だと似たり寄ったりだし、得意・不得意で処理されるのでそういったこともなく平和でした。
    あと、教師側についても日本人学校採用の試験を通過していることと、そこまでするモチベーションがあるという点で良い先生が多かったように思います。・ 指導の経験がないのでわからないですが、生徒に十分当たれる人数の上限はどれくらいなのか気になりますね。
     これは全く持って体感ですが、せいぜい6、7人くらいでしょうかね。ただ、少なくとも児童の立場で考えた時、大人数で集団生活をするのはそれ自体に「修行・訓練」的なメリットもあると思うのでそこは難しいですね。僕が高校で上手く適応できなかったのには、小中の長い期間をそのような「修行」なしに過ごしてしまったことも要因にある気がします。

  • シト
    たしかにマウントの取り合いは嫌でしたね。ひとりひとりを見ることが少人数になればなるほどできます。大人数であれば秩序維持のためにも基準はいりますよね。その基準が差を明確にしマウント合戦が起きるのは確かにそうだなと思いました。日本人学校は募集しているところに自分から申請して採用されます。選考は、雇用を希望する学校が実施するので雰囲気に合った人が来るのでしょうね。ちなみに、待遇が非常にいいのも結構影響していると思います。あと、人気が決まっていて、キャリアアップに使われるのも関係しているでしょうね。大人数と少人数の両方でうまく調整すれば何とかなったかもしれないなと思いました。小中の長い間の期間を「修行」なしに過ごしてしまったのは、日本人学校の環境がそうさせたのかもしれないですね。立地上しょうがない面もありますが、中学までしかない以上、日本で適応できる環境構築はする必要があるなと思います。(終わってから送ってすみません。)

■Naokimen

小学生の時は特になんとも思っていなかったのですが、大人になってから振り返ると小学校は生徒に対する先生の数が少なすぎるのではないかと思います。1年生の時は担任に加えて副担任が補助としてつくようになっていましたが2-6年生は担任1人が学級運営に加えてほぼ全科目を教えなければならず大変だろうと思います。

  • シト
    小学校の先生は、なる前もなった後も非常に大変だなと感じます。なる前に関しては、模擬授業が挙げられます。全科目の模擬授業があり、指導案という授業計画をそれぞれ書かないといけません。なった後は、Naokimenさんも書いている通り、全科目(場所によっては音楽も)を教えないといけないのと急成長する子供たちの学級を運営しないといけないです。
    こんなに大変であるのに低く見られている感じがあるので非常にきついだろうなと思います。
    生徒と先生の人数バランスは結構思うところがある箇所なのかもしれないなとYY君とNaokimenさんの意見を読んで思いました。

■Takuma Kogawa

一年生と六年生はまったく異なる集団だと思います。そう考えると、六年間にわたって基本的に一人の先生が担任から科目指導まで対応するやり方が適切なのかは議論の余地があると思います。

  • シト
    今年度から教科担任制が高学年に導入されています。これによって生徒への影響としてよく挙げられるのは、学力向上、学校全体による生徒の把握、中1ギャップ(今までは、学級担任制からいきなり教科担任制になることや学習内容の難化などといった様々な変化によって不登校などになってしまう問題)の解消です。
    課題として挙げられるのは、教員不足や先生の生徒に対する理解が浅くなること、教科横断が難しくなることなどです。
    教員不足の中、それが問題になることが分かっているものを導入するのはようわからないなと思います。
    あと個人的にですが、この流れは、教育の私事化、分化(隕石くんの表現を使わせていただくと、分断・隔絶)をさらに促進させると思うので怖いなと感じています。

  • Takuma Kogawa
    教育の私事化とはどういうことなのか、もう少し教えていただけますか。先生の生徒への理解が浅くなるというのも、教科担任制を採用する中学校以降の担任の先生が理解の浅い人ばかりだったかというと疑問です。教科横断はいわゆる総合学習の時間で実施できないのでしょうか。私の記憶では委員決めとかの雑務系に使われていたと思いますが……。

  • シト
    学力が向上することによって、今以上にできる子とできない子の差が開くのではないかと思いました(生徒への“良い”影響に書かれていることから底上げという視点で見ていないと感じたため)。教育は公共性を本質的な特徴としています。できる子に分類される子らの親はその子らにあった教育を受けさせようとします。それがいわゆる個人のニーズに合った教育に当たります。そこには私的関心しかないように思えます。学力向上により私的関心を助長し、公共をつぶしていく。それが私事化です。
    生徒への理解に関しては、導入したくない勢(学級担任制が好きな人など)がだめだとする理由として挙げているように感じます。
    総合学習の時間についての講義があり、まだ受けていないのでどういうことをすることになっているか知らないので、あまり書くことができません。ただ、足りない授業時間をそこで消化するようにしか使われていない印象があるので難しいと思います。もしかしたら、それだけでは教科横断が足りないということなのかもしれませんが。

■Hiroto

A1. 完食教育!ずっと言っている気がするのでしつこいですがw。掃除のときにまで食べさせられるやつがよくありました。僕は会食恐怖症に類する症状がときどき出るのですが、会食恐怖症になる主な理由の一つが完食教育だそうです。人生返してくれ〜〜

  • シト
    教授に実はまだ会えていないという…。ちゃんとした理屈があるとは思えないですが、様々な先生がやっていることや小学校に完食教育があるイメージは多くの人が持っているので、何かがあるのは確かです。その何かを達成するために無理やりその手段をとっているのではないかと思います。

Q2.中学校教育で変だなと思ったこと、思うことはなんですか?

■シト

当時思っていたこと、今見て見て思うことなどどのようなものでも構いません。幅が広すぎて難しい場合は、私が紹介で書いた考えを参考にその範囲で書いていただいて問題ないです。よろしくお願いします。次の質問は金曜日にする予定です。回答は次の質問期間でも大丈夫です。

■YY12

中学校の3年間は完全に日本人学校だったので、これといった問題点は思い浮かびません。
ただ、「中学の教師が部活動を見なくてはいけない」というのは社会一般で問題視されていることだと思いますし、僕も(僕がやってたのは日本の部活の形式とはかなり異なりましたが、)そこは非合理だなと感じますね。

  • シト
    部活は教育内容には入っていないですが、教師になる人の特徴として部活が好きというのがあるので、部活があたかも教育内容に入っているかのようになってしまっているのだと思っています。
    部活を学校の先生がやらないといけないない理由として、先生は体の仕組みなどといった専門の知識を持っているので、外部よりも安全だというのが挙げられます。ただの正当化にしか見えないです。体育教師がするならまだしも、全然違う科目の講師が運動部を担当したりすることは全然あります。
    いったん、根付いてしまったものは解消することが困難なので、これ以上ひどいことにならないようにしてほしいなと思います。

■Tsubo

小学校,中学校教育を含め問題に感じることは,「果たして学部で教育免許取得条件を満たしただけの学生に教育を任せてもいいのか?」です.もちろん「免許制」なんだからその能力はあるだろうという考え方もできると思いますが,今まさに学部を卒業した身からすると現在の自分の能力・経験・教養で教育に携わり他人の人生を左右するという場面は恐ろしくて想像もしたくないです.学部からストレートで教員になるのは「社会」のごく一部の側面からでしか社会を観察できていないと思います.「学校」という社会の側面しか知っていない教員は全員まともな指導はできないとまでは言いませんが,企業等で働くなり院に残るなりしてもっと経験を積んでから教員になった方が指導にも幅が出てくるのではないかなと思います

  • シト
    他の社会を知らない先生が“社会”を知っているように見せて、生徒の人生を左右することは確かに問題だなと思います。しかし、閉鎖された特殊な空間(子供が相手であるという空間)でおかしくならないのは難しいこと、社会を知った場合でもそれがあまり活用できない(求められるものが社会とは違うことや一度やったら社会に戻るのが難しいこと等)ことから、経験を積んだ人が教育に携わればましになるとはあまり思えません。また、そもそもシステム自体が生徒の人生を大きく左右させてしまっている(たとえば、高校の準義務教育化により高等教育への接続を考えている機関がなくなっていっているなどが挙げられると思います)気がするので、システム自体をどうにかしない限りどうにもならないような気がしています。

Q3. 高校教育で変だなと思ったこと、思うことはなんですか?

■シト

当時思っていたこと、今見て見て思うことなどどのようなものでも構いません。幅が広すぎて難しい場合は、私が紹介で書いた考えを参考にその範囲で書いていただいて問題ないです。よろしくお願いします。次の質問は土曜日の午後に投下する予定です。

Q4.皆さんの興味の範囲を聞きたいなと思います。興味のある範囲を選択した後に、その範囲のどのようなことに興味があるのか書いていただけると助かります。

教育について興味のある範囲(複数可能)
:1: 小学校    5
@コバ, @チクシュルーブ隕石, @ていりふびに, @Hiroto, @イスツクエ
:2: 中学校
:3: 義務教育    9
@Tsubo, @蜆一朗, @YY 12, @Takuma Kogawa, @コバ, @ゆーろっぷ, @チクシュルーブ隕石, @Daiki, @Hiroto
:4: 高校    10
@Tsubo, @蜆一朗, @Naokimen, @Takuma Kogawa, @ゆーろっぷ, @チクシュルーブ隕石, @Yujin, @イヤープラグさざなみ, @Hiroto, @あんまん

■シト

これまで、小学校、中学校、高校の教育について考えてもらいました。マイナスな点を聞いたのは、そちらのほうが考えやすいと思ったのと、何がマイナスか考えるときにプラスは何かと考えると思ったからです。この5.5日間を通して考えてもらったところで、皆さんの興味の範囲を聞きたいなと思います。興味のある範囲を選択した後に、その範囲のどのようなことに興味があるのか書いていただけると助かります。よろしくお願いします。Q1~3も受けて受けています!
義務教育という全体に興味があり、小学校単体にも興味がある場合、小学校と義務教育を選択してください。

■Takuma Kogawa

色々興味はありますが、思いついたのは
・就学前の科目以外の教育(礼儀、団体生活など)は現行でよいと考えられているのか
・中高一貫校のように義務教育期間とそうでない期間が混在する学校が存在できるのはなぜなのか
あたりです。

  • シト
    一つ目に関して。おそらくそこについて触れるのは小学校の教職だと思います。僕のような中高の教職を取っている人は、そのようなものには触れないですね。なんとなくですが、団体生活に関しては良いと考えられていないような気がしています。それは、教育が個人にフォーカスするという方向にシフトしていっているからです。個別最適化もそうですね。2つ目に関して。中高一貫校について全くしらないので、調べてみます。

  • Tsubo
    中高一貫校が存在するのは、旧制中学校が5年制だった名残だと個人的には思います。旧制高等学校は大学の教養部になりましたし。

  • シト
    なるほどです。一度、教職概論を振り返ってみます。ありがとうございます。

まとめ

■シト

皆さん。質問やアンケートに答えていただきありがとうございました。アンケートがメインでそこに至るまで考えてもらうためにQ1~3を設置しました。それでも質問範囲が広く答えづらかったかもしれません。もう少し考えてみます。アンケートの結果ですが、中学に全く入らなかったのは面白いなと思いました。と言っても、中学単体で入れる場合の考えや、義務教育全体かつ中学単体も想像できないのでわからないですが。義務教育と高校教育についてはこれから扱っていく(高校教育は今のところまだまだ後ですが)ので、今回でた意見などを参考にしていきたいと思います。1週間ありがとうございました。
以上で、教育研究部のWSを終了します。またよろしくお願いします。


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