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ワークショップ第15回『道徳教育について その1』【教育研究部】 [20211018-1031]

こんにちは。ジェイラボ教育研究部部長のシトです。

今回のWSでは、最初にいろいろと問題が生じてしまい、すみませんでした。今後、気を付けて進めていきます。

では本題に入ります。

今回のテーマ

今回のWSでは、道徳教育について取り扱いました。道徳教育についてはまだ続くのでよろしくお願いします。

今回の質問は3つしました。

1つ目の質問

今日からWSを担当する教育研究部のシトです。
これから2週間、このWSにお付き合い願います。よろしくお願いします。
今回のテーマは「道徳教育」です。
今回だけでは終わらないはずなので、しばらくはこれをテーマにしようと思っています。
皆さんは道徳をどのような科目だと考えているのでしょうか。
道徳など小中以来で、特に何もイメージがないのが大半でしょうか。
実は、道徳は教職においてほぼほぼ必修の科目となっています。
なぜならば、小中の義務教育課程では、道徳という科目があるため、それを教えられないといけないからです(高校の免許を取る場合でも、基本的に中高免許は同時にとるのでほぼ必修となる)。
ところで、なぜ数学や国語や英語などといった免許を取って教えたいのに、道徳なんてものを教えないといけないんでしょうか。
まずこれを質問とします。
Q.なぜ数学や国語や英語などといった免許を取って教えたいのに、道徳なんてものを教えないといけないんでしょうか。
参加しやすいよう道徳の免許があるのかないのかというアンケートも作っておきます。こちらもぜひ使ってください。
では、よろしくどーぞ。

1つ目への返答

Bungeee 
すみません、この質問の意味がちょっとよくわかりません。免許が「ある」ってどういう意味でしょうか?道徳の免許を持っているか?という意味でしょうか。
にしむらもとい
絶対突っ込まれると思ってた笑 ここは、たぶん僕のせいで、言葉遣いに厳しい人が多いので丁寧に書きましょう。横からになりますが、僕の推測では
「道徳を教えるのに免許を与える必要性があり得るか」
という意味かなと思います。違ったらすいません。

まず、以上のように正確に言いたいことが伝わっていなかったという問題が生じました。今後気を付けます。

では、質問への返答に戻ります。

けろたん ver.渋柿
教育学部で学ぶ内容がなにか, ざっくりしたイメージは以下の通りです。
小学校: 教員の専門科目はない(?)。国語, 数学, 理科, 社会にあわせて体育や家庭科など実技的な科目の教授法も学ぶ(?)。 (音楽, 算数専門の先生がいた気がする。)
中学校: 教える教科ごとに免許がある(?)
高校: 中学校と同じ(?)
全般的に: 公立学校の教員は地方公務員(学校の町/市/県/国立と教員が属する自治体階層区分は別?) 。 養護教諭や事務・用務員は教員とは別系統の採用・勤務制度?
(ほぼ知識ゼロなので,間違っていればツッコミお願いします。)
・わからないこと:
科目/教科, 主要科目/それ以外の科目, 教諭/先生, などの言葉の定義
科目の教授法(?)と座学以外の指導法の教えられ方の違い。 たとえば中高の教員を志望するばあい, 今テーマの「道徳」のように, 専門科目以外に「教え方」を学ぶものはほかにあるのか。
教頭, 校長の管理職や教育委員会の位置づけ。
・道徳の免許があるかについて
道徳の科目の免許というのは聞いたことがないですが, 教育学部のカリキュラムで避けられないものとして組み込まれているなら実質的に免許の必須要件だと思います。
「道徳の教え方」が具体的にどのようなものかわかりませんが, 教科としての道徳にも座学系の科目のようにアンチョコがあり, それに沿った授業を展開するための問答誘導法のようなものを想像しました。
シト (上への送信)
知ってる範囲で答えていきます(教授や小学校の教員免許取ろうとしてる人などに分からないところを質問できたらしようと思っているので、付け足していくと思います)。
小学校: 教員の専門科目はない(?)。国語, 数学, 理科, 社会にあわせて体育や家庭科など実技的な科目の教授法も学ぶ(?)。 (音楽, 算数専門の先生がいた気がする。)

専門がないのかは分かりません。小学校は学級担任ですが、中高は教科担任となるので、そういう意味で専門はないような気がしますね。図工の先生や音楽の先生はいましたね。算数専門はここで見て思い出したのですが、たしかに僕のところにも居ました。あれは、学校によるんでしょうか?気になります。小学校の教職課程で僕が驚いたものに、音楽の講義が必須というものがあります。確か、どこかの県に音楽のテストがあるらしく、そのためにやってるそうです。小学校は個人的にですが、教職課程で一番忙しい(分量的に)と思っているので小学校の先生はすごいなーと思っています(好きかどうかは別として)。
続き、あとで書きます。
シト (上の追加)
「道徳の教え方」が具体的にどのようなものかわかりませんが, 教科としての道徳にも座学系の科目のようにアンチョコがあり, それに沿った授業を展開するための問答誘導法のようなものを想像しました。

道徳教育はこうすれば面白くなるという指導計画やねらいが書かれている本があります。ただ僕が英語科教育法でやったようながちがちの指導法はないです。
科目の教授法(?)と座学以外の指導法の教えられ方の違い。 たとえば中高の教員を志望するばあい, 今テーマの「道徳」のように, 専門科目以外に「教え方」を学ぶものはほかにあるのか。

僕はまだ受けていませんが、特別活動及び総合的な学習の時間の指導法というのもあるみたいです。
Yujin Yonehara 
数学を教えたい、国語を教えたい、という人は大勢いるかと思いますが、道徳を教えたい!と思って教育に携わる人っているんですかね?教育学部にそういう(変わった?)人っているのでしょうか。
シト (上への送信)
個人的に道徳を教えたい!って思ってる人はいないと思います。少なくとも僕は知りません。真面目に教えたいとなれば、おそらく教育学だけではなく社会学も勉強することになるので大変ですしね。
Yujin Yonehara (上への送信)
なるほど、ということは確かに誰も道徳を教えたいとは思っていないのに、教えないといけないのですね。
授業内容の良し悪しは置いといて、少なくとも「教える気」がある人に教わりたいものです。
Hiroto 
QへのANSWER: 国が「道徳を教えよ」と説いているからだと考えます。
ではなぜそのように説くのか。「集団への適応」のためです。日本国が日本国であるために、国民全員が共通して認識しておくべき人間性の「指針」をとりあえず義務教育で示しておく必要があるのではないでしょうか。
もう少し踏み込んで言えば、「学校では人間性の指針を示してますよ〜!そこから外れたのならそれは各家庭の問題ですよね!」ととりあえず国(運営)側が言えるように設定されてる感も感じます。ただの感覚です。
余談:「免許がある」という言い回しで読み違えが発生する現象、非常に興味深く感じています。
今のところ
①各個人が免許を取得していること
②日本国に免許制度が存在していること
③免許制度の必要性の有無
という3種の捉え方がなされていて、日本語はおもしろいなぁと改めて感じ入っています。シトさんの伝えたかったのはおそらく②で、僕も②で最初から汲み取りました。しかし改めて考えると、免許制度が存在していることを「免許がある」と呼ぶのかどうかはかなり非自明(人による)なのかもしれません。日常会話で「免許があるのか」とだけ聞いたら、例えば運転免許を各個人が取得しているか否かだと汲み取りますし、今回に関しては「僕らが道徳免許取得しているかを聞くわけないだろう、ならば制度の存在の問題だな」といったように初見では文意を読み取ったと記憶しています。「免許がある」という言い回しで最初に頭に浮かぶのはおそらく多くの人が①で、その選択肢を文脈から消去したのちに②と③のどちらを文脈上選ぶのか。ここに各個人の「言語感覚」(というか「文脈感覚」?)が現れているように思います。実際所長も確か配信で「制度が存在しているかどうかのクイズに意味があるのか?」といった趣旨の発言をしており、「(所長の)常識的に」②も選択肢から外したのちに捻り出した選択肢が③なのだと予想しますが、「普通こうでしょ」といった常識(ある種の偏見)が普段の厳密さを意識しない会話を成立させているのだと改めて認識しました。「偏見の大切さ」に気づかされる、ジェイラボならではのやりとりだと思います。好きです。
シト (上への送信)
道徳の学習指導要領解説には「教育基本法をはじめとする我が国の教育の根本理念に鑑みれば,道徳教育は, 教育の中核をなすものであり,学校における道徳教育は,学校のあらゆる教育活動を通じて行われるべきものである。」とあります。これが理由なんでしょう。
日本の教育は、人格の形成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健全な国民の育成を期して行われるものだと教育基本法第1条に書いてあります。その基盤となる道徳性を育てるのが道徳教育となります。
これまで受け継がれ、共有されてきたルールやマナー、社会において大切にされてきた様々な道徳的価値などについて、生徒が発達の段階に即し、一定の教育計画に基づいて学ぶというのがあるので、適応の面はあると思います。
「免許がある」の話ありがとうございます。分かりやすく説明がされていて助かりました。ありがとうございます。
Bungeee
教育免許については全くといっていいほどわかりません。免許がどういう単位で与えられているのかさえもよくわかっていません。道徳の授業に成績がつけられるようになったことを知っているくらいです。今回のWSもとても楽しみです。
(蛇足)
免許が「ある」が示す意味について、思い切って確認して良かったです。まさにHirotoさんが挙げられている3つのどれもあり得るなと思っていました。結局②だったってことですよね。
Hiroto 
少し調べてみたところ、道徳は「特別な教科」みたいな扱いらしく、教科単体の免許制度は今はないっぽい、、?らしいです。ただ単体の免許制度を導入すべきだという動きがあるらしく、ちょうど過渡期なのかもしれません。(ここで書いた事実が合っているかは自信がありません。)
シト (上への送信)
教科単体の免許はないです。単体免許と言っても写真にあるように最低時間が35時間分しか設定されていないので、どうなんでしょう。
道徳を教える場合は、プラスアルファーで社会学などの講義を必修とし、試験などを設けるというのが良いのかもしれないなと思ってます。
道徳は学校教育を通して行われるので、生徒と一番接しているその生徒らの担任が行っているというのは良いと思います。
ただ、これに上記のものを導入しようとすると通常の教育課程の必修に追加されるという事になるので、難しいですね。
道徳の教師?ではないですが、推進教師というのがあります。これは校長先生が選びます。選ばれた人は研修を受けるという事になっています。教育の研修というといかに効率的にするかなどといった方法論重視になるので、道徳とは相性が悪いです。導入するならここが現状はここが適切な気がするので、道徳の研修の見直しが重要なのかもしれません。

2つ目の質問

シト 
遅くなりました。
まずアンケートの答えからいきます。
答えは「ない」です。
道徳は、中学の免許を持っていれば、教えられる存在となります。
実際に教えるのは通常、学級担任です。
では、学級担任にならなければ教えないで済むのでしょうか。
本当はそうなのですが、現在の学校ではそうとは言えないです。
なぜなら、教員数をかなり抑えて運営をしているため、採用1年目で担任を持つ可能性が非常に高くなっているからです。
つまり、免許を持ち教師になるという事は道徳もおしえるということになります。
自分のとりたい免許に関する勉強は、専門科目を通じて相当勉強することになります。では、"それと同様に教えないといけない道徳"は、どれくらい勉強することになるのでしょうか。
答えは恐ろしいことに、ほぼ一回だけです。平成22年の東京学芸大学の大学・短大における教職科目(道徳の指導法)に関する調査を見ると、道徳科目が1つしかないというのが大半であったり、開講期間において通年でやってるとこがほとんどないことが分かります。つまり、4年間の大学生活の中で半年だけ学んだ道徳を基に、授業をしないといけないということがほとんどとなります。何をどうしたらいいのでしょうか。
さて、今回の質問についてです。
皆さんが体験した道徳の授業について紹介するというものが質問です。
上記に、道徳に関する講義は、大学生活の中でほぼ1回(半期)しかないと書きました。
その程度の状態で実際の教育現場で授業をしなくてはならないのです。
ここにいる皆さんが道徳の授業をしてくださいと言われたらどうしますか。
誰かの真似をするのではないでしょうか。
自分が受けてきたものとかですね。
そこで、これまで受けてきた道徳の授業を思い出し、どんなものであったか確認してもらうのが今回の質問です。
範囲は、小中までとします。
思い出せた場合は、これはというように思い出せるものを紹介してください。
いくつか紹介してくれても構いません。
何一つ思い出せないという場合は、道徳的なことを指導された経験があればそれを書いてください。
例えば、仲直りなどです。

2つ目への返答

YY 12 
道徳の授業に関してすぐに思い出せるようなものはほとんどありませんでしたので、僕にとって小中の道徳の時間というのは「記憶から簡単に消え去ってしまう、印象の薄いもの」ということになるでしょうか。(先生、ごめんなさい)
ただ、授業外の日常生活で道徳的なことを指導された経験なら割と簡単に思い出せます。
「協調性を大事にしろ」、「人がやりたがらない仕事も率先してやっていけ」、「嘘をつくな」なんかは再三耳にした気がします。
シト(上への送信)
個人的にですが、道徳の授業=文章を読んで先生にとって望ましい答えを出す授業というイメージを持っていたので、国語の授業と一緒に記憶しているかもしれません。
「協調性を大事にしろ」、「人がやりたがらない仕事も率先してやっていけ」、「嘘をつくな」は僕もいっぱい聞いた記憶があります。道徳教育は学校生活を通しても行われるものなので、授業外でされるのはそうですね。ただ、メインで道徳やるぞという道徳の授業が記憶にない人が大半というのは、残念なことだなと思います。
Hiroto
私も同じく、授業に関しては何一つ覚えておりません。
「我慢7割で世の中は回ってる」「師が教えようと思っていないことまで勝手に学ぶのが,真の学び」みたいな教訓は,人生で一番の恩師からいくつか教えていただきました.時間をかけた授業は覚えていないのに,こういった「一言教訓」みたいなのはずっと覚えているのは不思議ですね.
シト(上への送信)
人生で一番の恩師がいるのは、非常にうらやましいです。
長いモノよりも、短く簡潔にまとめた一言教訓のほうが記憶に残りやすいんでしょう。長期と短期の両方から攻めてみるのも一つの手なのかもしれません。
イヤープラグさざなみ
授業の内容に関しては覚えていませんが、クラスのみんなで国語の教科書みたいなやつを開いて、その中の文章を先生が音読していたのは覚えています。他の授業とは違う、何かしらの特別感を感じていました。
シト (上への送信)
読み物の登場人物の心情理解中心の形式でしょうか。国語の授業以上に押し付けが強かった記憶が僕にはあるので、そういう意味で特別感がありました。
Bungeee
私は、同和問題の授業をよく覚えています。部落出身の男の子がいて、その子と遊んじゃだめと親に言われる、とかそういった話を読んで、話し合いをした気がします。
シト (上への送信)
結構、はっきりとわかる話を取り扱ったんですね。もしかしたら過去にそういうことがあった地域だったのかもしれません。
そこまで明確にしてあると教師も授業計画を作るときに助かるなと思いました。
蜆一朗 
道徳の時間というと, 時には進度の遅い授業にとってかわられたり, 特には道徳の教科書を読んで意見を列挙して「いろんな意見があるね~」で終わったりしていました. むしろ道徳的でない意見を出すのは気がはばかられた記憶もあります. うっすらそんな記憶があるくらいですかね.
 僕は中高数学科の免許を持っているのですが, 道徳に関しては「道徳教育論」みたいな名前で教育勅語について考察する一方通行型の講義を受けただけでした. 道徳の授業実践について学んだり模擬授業をやったりする機会は 1 度もありませんでしたね. 一応教育実習では道徳の授業を 1 回だけやりましたが, 最初にいったようなことに終始してしまいました. 僕が道徳について語れることは何もないので困り果てました T^T どの先生も道徳の授業には積極的ではなく,「適当にやってくれたらいいよ~」って感じでしたね.
シト (上への送信)
やはり他教科に比べて軽んじられている部分はあるんですね。意見の列挙は結構ありました。そういうのを考えるとそのような授業をする教師の授業計画はどのようになっているのか逆に気になります。
僕のところは道徳の歴史を学ぶだけで、実践や模擬授業は一切なかったです(オンラインだったのもありますが、オフラインであっても大人数での講義だったので、どちらにしろないでしょう)。理論と実践という講義名だったんですが、実践って何なんでしょう…。
調べていたところちゃんと道徳の模擬授業をやっている所はあるのですが、1年前期に行ってるのもあってそこまで意味があるのか?というのがあります。意味あるのか?という関連で、教育方法論も結構謎だったのを思い出しました。そもそもおかしい時間配分と範囲の割り当てでグループで指導案を作るという課題があったんです。書く練習とはいっても無理がありすぎるので、適切ではないなと常に思ってました。
マッキー 
最近また生きることで精いっぱいになってました。自分はハードワーク向きの人間ではないんだな、と最近痛感してます。
僕の記憶にあるのはBungeeeさんと同じく同和問題ですね。愛し合う二人が同和問題をきっかけに引き裂かれていく・・・といったドラマを見て、ディスカッションをした記憶があります。「古臭い差別意識にとらわれている大人ってバカだな」と感じていた記憶があります。教育の目標通りの反応をしていたんじゃないでしょうか。
あとは、共同学級(特別支援対象の子らで構成された学級)の子に対する接し方についても問題となった時期があり、そのディスカッションの場として道徳の授業が使用されたこともありました。こうした場を想定すると、相当高度なファシリテーション能力が求められる科目でもありそうですね。
シト(上への送信)
同和教育にとって、望ましい反応だと僕も思います。
共同学級に関する話を見て、教員の授業に対する理解の高さがすごいなと思いました。
同和教育を行う理由は、差別をなくすためだと言われています。奈良県を例にすると人権教育のテキストである『なかま』は、小中高そして成人用まであります。これぐらいの時間をかける必要があります。
今実際に起きていることを題材に使ったのは理解もしやすいですし良いと思いました。
コバ 
私が道徳の授業で覚えていることは、1つだけですが、今でも強烈に覚えています。
それは小学校1年生、最初の道徳の授業でした。
「だいこんとにんじん」というお話を皆で読みました。
内容は、だいこんの国に、にんじんが1人(?)来て、それをだいこん達が「自分達と全然違う奴が来た!変な奴だ!」と、笑い者にしました。
だいこんは「にんじんの国に行けば、さっきの変な奴と同じような奴がたくさんいる。もっと大笑いできるぞ!」と、にんじんを笑い者にしていただいこん達がにんじんの国に行きました。
しかし、今度は乗り込んだだいこん達がにんじん国のにんじん達に「白くて、ヒョロッちくて、変な奴らだ!」と大笑いされて、だいこん達は逃げて帰っていきました。
という話でした。
最初、にんじんを被害者だと思って「かわいそう。。。」と感情移入して読んでいた小学校1年生の私は、そこからにんじんが加害者になる怒涛の展開に、圧倒され、混乱しました。
あの授業から私は「被害者、加害者、いじめ、マジョリティ、マイノリティ」といった概念をボヤッとながら学んだと記憶しています。
シト (上への送信)
道徳では特定の狙いのある文章を扱うことが多いです。そのため大半の人がその狙い通りに動いてくれます。
狙いがありその通りに大半が動いてくれるという事は、計画が立てやすいという事になります。これが授業としての道徳です。果たしてこれでいいのでしょうか。
コバさんのように、授業からそこまで到達するのはすごいなと思いました。授業でその文章を読み、そのようなものを扱って話し合いができれば、いい授業になるのかもしれません。
Takuma Kogawa 
道徳の授業において、小中学生を対象にして教科書的道徳観を押し付けることなくみんなの意見を拾って展開させることは非常に難しいと思います。道徳を免許制にするなら、きちんと教育を受けた大人が授業を持つことができるという程度の意味合いにとどめるしかできないだろうと思います。そもそも道徳観や倫理観の教育は、教員がメインで推進することなのでしょうか。学校の授業以外にも、休み時間での遊びや委員会活動、親や地域の人との関わりなど、さまざまな外的要因によって、子どもが意識せずとも自然と形成されていくものではないかと思います。科目や人間形成などの教育を学校に丸投げ(外注)して自分では何もしない親がいるなら、むしろそちらに対して"教育"した方がいいかもしれません(教員には対応は難しいですが…)。十人十色であるはずの道徳観がぶつかったときにどのように分かり合ったり、理解はしないが尊重するなど、態度の取り方を道徳の授業で学ぶことができればよいのでしょうか。授業はまったく覚えていないため、思いついたことを垂れ流しました。
シト (上への送信)
授業を行うのが非常に難しいのに、大学ではほぼ半期しか道徳の講義はなく、道徳を教えることになれば研修で済ませるというのは本当におかしいなと思います。
学校教育全体で行うことものが道徳教育であり、その要となるのが道徳の授業です。
教育全体で何をしたいのか。学習指導要領には資質・能力の育成とあります。その中身は中学校学習指導要領解説 道徳編p145にあります。
ア「何を理解しているか,何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」
イ「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現 力等」の育成)」
ウ「どのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか(学びを人生 や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵かん養)」
の3つの柱によって構成されているのが、その資質・能力です。
これはどんな能力を育てるかという事を重視した教育を行うという事です。そしてその教育は、知識とその意味は、学習者がモノや他者と試行錯誤しながら関わるうちに、学習者自身によって主体的に構成されるものだとしています。
ここの試行錯誤が「考える道徳」や「議論する道徳」と言われる道徳の授業と相性が抜群にいいので要とされているのでしょう。
子供たちに考えたり議論させる環境を作り、そして押しつけとは違う「教える」を行うのに適しているのは、教育の専門性を持った教員だと思います。子供を人間の世界に向かい入れるには、既存の秩序が異議を唱えられて変わっていくという世代間倫理を共有する必要があります。共有することは、その中のそうであるべきという決まりから外れるという行為も含まれます。このような行為を許せる空間を作れるのは学校の中だと思うからです。 
シト
みなさん、ありがとうございます。
では、進めていきます。
まず、教育学部内で質問した場合どのようなものが返ってくるか紹介しようと思います。教員育成大学における道徳教育に関する指導のあり方 - 授業間の確立と模擬授業を中心に - という文章を使います。
その文章には、
・記憶にあまり残っていない。特にあまり意味ある授業だとは思わなかった。
・さまざまな意見があって自分と反対の意見や人の話を聞くのが楽しかった。
・6 年生のとき将来の夢について語り合った授業が印象深く残っている。初めてクラスの 人の夢について真剣にきいたのでとても感 動した。副読本の内容が面白かった。
・授業のパターンが毎回一緒で、ただ文章を読 んだり聞いたりするだけで、友だと意見交 換をするわけでなかった。
・心のノートを活用して相手の気持ちを理解し たり思いやりの気持ちを考えたりすること で小学生なりに思いやりの気持ちをもつことができた。
・私は道徳の授業がとても好きでした。今まで考えたことのないことを気付かされ、あたり前のことを実感する機会になっていた。 心のノートに書くと自分のことを知れるような気がしてうれしくなった。
とありました
この質問を過去5年していた筆者によると、傾向はほぼ同じで、ほとんどの人は、記憶にないと答えるらしいです。
このWSでもやはり多くの人が道徳の授業についての記憶がないと答えました。印象に残らないというのはどういう事なんでしょうか。 また、中学で印象にないのは、行われなかったという可能性があります。行われなかったといっても全くなかったという意味ではなく、蜆さんが書いているように他の授業やホームルームに変えられたりした場合があるという事です。余談ですが、DaiGoの通っていた中高では道徳の授業はつぶされてたらしいです(内部情報)。
もう一つ印象にないで思い出したのですが、NHKの授業を使うというものがあります。教材としてよく練られ学習効果はあるものの、それだけでは印象に残りません。それと共に何をしたのか印象に残るよう授業をする必要があります。
同和問題についても挙がっていたので触れます。同和問題が道徳で扱われた記憶が僕にはありません。これには寝た子を起こすなという論理が働いているのかもしれません。そのため、私の地域も含め、同和問題を扱った教育を行わない地域があるのではないでしょうか。一方で、奈良や京都や大阪などといった西日本では教育されています。なぜならば、歴史的にも複雑な身分構成などがあった地域であり、現在まで差別の残ったところがあるからです。ここでもう一回、寝た子を起こすなという論理に戻ってみます。本当に知らなくていいのでしょうか。現代社会において、差別は多様化しています。よく、日本人留学生が海外に行って初めてアジア人差別を体験したという動画を見つけます。知られなくなったのだから掘り起こさなくてもいいという事で物事は終わりません。差別をなくしていかなければ、いつどういった形で差別に関わるかわかりません。
シト 
話を戻します。
前の質問に対して、道徳の授業の記憶がないと多くの人が答えてくれました。こうなってしまっているのは、教師や教育制度の方に問題があるからなのではないでしょうか。
では、実際に道徳教育について、制度上どのように扱われているのかを学習指導要領から見ていきます。
中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総則編のp176を見ます。学習指導要領解説は、文部科学省のホームページからダウンロードできます。リンクはこちら
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1387016.htm
ページにある表は学校教育法施行規則の中学校での学習時間です。表の左側の科目名が現在の中学生の学習する科目です。表の中の90時間や75時間というは、50分授業を年間に90回、あるいは 75回行うという意味です。そして、科目名にある「特別の教科道徳」というものが、かつて「道徳の時間」とよばれた、皆さんが学校で受けた道徳の授業です。ここから分かる通り、制度上では道徳の授業は、年間に35回行うこととなっています。35回となると週当たり1回の授業は確保されていることになります。法規には明確に週 1 で授業を行うことになっているのです。また、法規の一つである学習指導要領には、その科目群がどんな内容を学習するかも細かく規定しています。
今回、道徳の授業はなぜ深められないのか、一部考える手掛かりが得られたと思います。制度上規定として行うことになっているのは確認しました。では、中身はどうでしょうか。そこで、 中学校での道徳の授業(特別の教科道徳)では、どんな内容を取り上げ指導することになっているか見ていきます。

3つ目の質問

シト 
道徳は以下の4つを大まかな分類とし、それに関係する内容を取り上げて指導することになっています(前のと今の学習指導要領解説の変更点を組み合わせたもの)。
A 主として自分自身に関わること {(自主、自律、自由と責任)、(節度、節制)、(向上心、個性の伸長)、(希望と勇気、克己 と強い意志)、(真理の探究、創造)}
(ア)「自主,自律,自由と責任」について,主体的に判断する態度を一層重視し, 従前の 1 − (3) の「自主的に考え,誠実に実行して」を「自主的に考え,判 断し,誠実に実行して」に改めた。
(イ)「節度,節制」について,自分の安全に気を付け,調和のある生活をする ことを一層重視し,従前の 1 − (1) の「調和のある生活」を「安全で調和の ある生活」に改めた。
(ウ)「希望と勇気,克己と強い意志」について,目標に向かって不屈の精神をもっ て努力することができるようにするため,従前の 1 − (2) の「より高い目標 を目指し」を「より高い目標を設定し」へ「,着実にやり抜く強い意志をもつ」 を「困難や失敗を乗り越えて着実にやり遂げること」に改めた。
(エ)「真理の探究,創造」について,探究心を養うことを重視して,従前の 1 − (4) の「理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていく」を「探究し て新しいものを生み出そうと努めること」に改めた。
B 主として人との関わりに関すること {(思いやり、感謝)、(礼儀)、(友情、信頼)、(相互理解、寛容)}
(ア)「思いやり,感謝」について,より体系的・系統的に指導ができるよう, 従前の2 − (2) 及び 2 − (6) を統合した。
(イ)「友情,信頼」について,より体系的・系統的に指導ができるよう,従前の2 − (3) 及び 2 − (4) を統合した。
(ウ)「相互理解,寛容」について,自分の考えをもって他の立場や考えを受け入れることを重視して,「自分の考えや意見を相手に伝えるとともに」を加えた。
C 主として集団や社会との関わりに関すること {(遵法精神、公徳心)、(公正、公平、社会礼儀)、(社会参画、公共の精神)、(勤労)、(家 族愛、家族生活の充実)、(より良い学校生活、集団生活の充実)、(郷土の伝統と文化の尊重、 郷土を愛する態度)、(我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度)、(国際理解、国際貢献)
(ア)「遵法精神,公徳心」について,主体性をもって法やきまりを守ることを 一層重視し,従前の 4 − (1) の「遵守するとともに」を「進んで守るとともに, そのよりよい在り方について考え」に,「社会の秩序と規律を高めるように 努める」を「規律ある安定した社会の実現に努めること」に改めた。
(イ)「勤労」について,勤労の貴さや意義の理解を一層重視し,従前の 4 − (5) の「奉仕の精神をもって,公共の福祉と社会の発展に努める」を「将来の生 き方について考えを深め,勤労を通じて社会に貢献すること」に改めた。
(ウ)「よりよい学校生活,集団生活の充実」について,より体系的・系統的に 指導ができるよう,従前の 4 − (4) 及び 4 − (7) を統合するとともに,集団に おける役割遂行を重視して,「集団の中での自分」を追加した。
(エ)「郷土の伝統と文化の尊重,郷土を愛する態度」について,郷土への帰属 意識を再考して,従前の 4 − (8) に「郷土の伝統と文化を大切にし」及び「進んで」を加えた。
(オ)「我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度」について,日本人としての帰属意識を再考するとともに,新しい文化の創造と社会の発展に貢献し得 る能力を一層重視して,従前の 4 − (9) に「国家及び社会の形成者として」 を加えた。
(カ)「国際理解,国際貢献」について,多様な文化を尊重し,国際親善に努めることを重視して,従前の 4 − (10) に「他国を尊重し」及び「発展に寄与」 を加えた。
D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること {(生命の尊さ)、(自然愛護)、(感動、畏敬の念)、(よりよく生きる喜び)}
(ア)「生命の尊さ」について,生命のかけがえのなさについて理解を深められ るようにするため,従前の 3 − (1) に,「その連続性や有限性なども含めて理 解し」を加えた。
(イ)「自然愛護」及び「感動,畏敬の念」について,より体系的・系統的に指 導ができるよう,従前の 3 − (2) を分割するとともに「自然の崇高さを知り, 自然環境を大切にすることの意義を理解」を加えた。
(ウ)「よりよく生きる喜び」について,人間の気高く生きようとする心をしっかりと把握した上で喜びを見いだすことができるよう,従前の 3 − (3) の「強 さや気高さがあることを信じて」を「強さや気高く生きようとする心がある ことを理解し」に改めた。
これは、中学校学習指導要領解説 道徳編 p4~7に載っています。
では、今回の質問です。
この内容を見てどう思ったのかなどといった感想を書いてください。

3つ目への返答

ほうむたろう
自分用に整理しました。
文科省が設定している道徳とは何かがよくわからなかったので、教育指導要領にあたってみた。
小学校 第1章 総則
第1 教育課程編成の一般方針
 2 (第二段落) 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,自己の生き方を考え,主体的な判断の下に行動し,自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする。
道徳教育の目標は道徳性を養うことである。
道徳性とは
・自己の生き方を考え
・主体的な判断のもとに行動し
・自立した人間として
・他者と共によりよく生きるための基盤
道徳性を4つの視点から分類整理し、内容項目を示す
①主として自分自身のに関すること
②主として他の人とかかわりに関すること
③主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
④主として集団や社会とのかかわりに関すること
これを内容として指導することになっている。ようです。
私の感想としては、総論賛成、、、になりそうな如何にも官僚が作りそうな文面だと感じました。いわゆる法的文書のリテラシーがないと読みにくい「霞ヶ関文学」がここにもあったとついついニヤけてしまいました。
行政分野では各階層、責任者に対して裁量権の委譲が文書を通じてなされます。教育行政は余程の手続的落ち度や重度に信教の自由や思想良心の自由にかかわることがなければ、憲法判例上も現場(主に学校長)に裁量権が認められています。
これを道徳教育の指導要領に当てはめて考えてみるに、現場がある程度自由に素材をえらんで何を児童生徒に伝えようと法的には裁量権が認められるでしょう。
裁量があるというのは、現場の創意工夫に期待するところ大、という体のいいものになりがちな部分もあると思います。
とはいえ、およそ100pにわたる「解説」という名の付属書面もついており、公教育の均質性の担保のためとはいえ、枠組みが与えられているのもまた事実です。
道徳教育について行政がどんな文書を準備して臨んでいるかを確認するいい機会になりました。
富野ガンダムと堀井雄二クエストと黄金期ジャンプとスクウェアに少年期教育を施され、町内会(祭りを通して、裏とか表とかの大人と混ざる)が機能していたころを体験した身としては、学校で道徳とか言われても何も覚えていないです。
シト(上への送信)
官僚の文章に関する話は面白くわかりやすかったです。
ガンダムをまともに見たことがないので、初代ガンダムからじっくり見ていこうと思います(ちょうどアマゾンプライムにあるので)。
町内会の経験はすごく学びになりそうだなと思いました。そういうものは僕はあまり経験してませんが、ベトナムでいろんな大人と混ざったりしたことが学びになったのは経験しました。コロナのせいでもありますが、そういう場がどんどんなくなっているのは道徳という面でも問題なんだろうなと思いました。

最後に

教育を扱っていくうえで道徳は省くことは出来ません。理由は文科省が非常に大事だと言っているからです。それにもかかわらず、WSにもあったように記憶にあまりない場合や、あったとしても特定のもの(今回で言う同和問題)だけだというのは非常に問題だなと思います。

今回、同じ年齢層だけではなく様々な年齢層からの意見を聞けたのは非常に面白かったです。このような機会は滅多にないのでこれからも存分に活用して、WSを進めていきたいと思います。

また次のWSで会いましょう。

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