俺とTwitter~あの頃の自分に捧げるレクイエム~

 イーロンマスクかTwitterを購入し、Twitterがそろそろ死にそう(とみんなが言い始めて一ヶ月経つが)なので、過疎SNSになってマスクと我々の墓場になる前に、私がTwitter始めた時の思い出を書いておこうと思う。これはTwitter史を総括するものではなく、2010年代の個人の備忘録であり、あの頃の自分に捧げるレクイエムであり、イーロンマスクと俺と、フォロワーの墓の副葬品だ。
 

Twitterとの出会い


 時は2010年代半ば、企業のゆるいアカウントがTLを被い、 ニチアサ実況やクソコラジェネレーターが駆け巡っても ふぁぼや四角アイコンがなくなる程近代化されてない過去。私ははじめてのツイートをした。BHB社長はシモダ氏で、〇〇がよく使うハンドサインが流行り、ラピュタの時には鯖落ちし、ヨグまつは燃えていた。
 とはいえ、私は正確にはそれ以前からTwitterのことは認知していた。当時私はあるジャンルにハマっていた。そのジャンルは海外展開があり、しかし公式でローカライズなどはなかったので、有志の人がいわゆる紹介ブログなどを書いていた。俺はそういう海外展開をニコニコやアサメグラフを通して探していく中で、あるブログを書いている人が、普段主にTwitterで活動していることを知った。
 その人のツイートがめちゃくちゃに面白かったのだ。ブログでは公表していなかったがBL者、SIPPER、いわゆる腐女子だと思う。ジャンルのCP語りは熱意に溢れていて面白かったし、キャラを下着メーカーに例える、オタクの棚公開とかの企画もやっていた。
 当時の(今もそういう面はあるが)ネットはホモフォビックな空気が蔓延していて、BLは日陰にいるイメージが強かった。自分もそういう世界に身を置いていたわけだが、その人のCP語りで文化圏の外から「BL、おもろ」と思い、男子高校生だてらに家のPCでPIXIVでCP要素のある絵を漁ったりなんかしていたのだ。
 そんな自分にも転機が訪れる。我が家はスマホを持たせない方針だった。しかし、私は友達と連絡を取るのにどうしても必要だとねだり、iPadを買ってもらったのだ。自分が個人的に所有する初めてのデバイス! もちろんアカウントはPCからでも作れるが、家族共有のものを使うのは気が引ける。私は喜び勇んでTwitter公式アプリをダウンロードした。
 

私のジャンル活動:フォロワー獲得編


 Twitterを初めて最初に直面する問題は、どうやってフォロワーを獲得するかであった。ミクシィやFacebookはおろか、SNSというもの自体始めたての自分には人と交流する方法が全くわからなかった。
当時、フォロワーを獲得する方法は主に二つ。
①    絵を描く。あるいは小説を書く。
②    CP語りを虚空に向けてする。
 まあこの二つは今でも鉄板だと思うが、語れるほど知らず、また絵も描けないオタクだったのでそれすらもハードルが高い。しかも何かを供給できる面白いオタクほどフォローが返ってこない。何もわからなかった私は有名アカウントが何か情報を求めているときに「FF外から失礼します!」でなんか教えたがるクソリプを飛ばしまくった。哀れに思ったのか例のブロガーの方はフォロバしてくれた(私は快哉を叫んだ)が、当然これでうまくいくわけがない。
 最終的な解決法は③#○○クラスタ○○のフォロー祭り に参加することだった。当時はあらゆるクラスタでフォロワーが欲しい人が何かにつけてこういうのを企画してフォローを増やし、後日「フォローさせていただきました! よろしくお願いします!」とリプを飛ばす、ということをやっていた。今でもやっている部族はいるかもしれないが、正直フォロワーを数字でしか見ていない行為である。しかし相互の数は信用につながるので参加せざるを得なかった。
 あと自ジャンルとは全く関係ないが、ハロウィンの風習で各自自ジャンルのキャラになり切ったりする中、私は全然関係ない太宰治の物真似をして、ちょっとウケてフォロワーを増やした。
 

私のジャンル活動:ふぁぼ稼ぎ編


 当時の私は今よりもどん欲にふぁぼを、通知を欲しがっていたように思う。なんせ承認欲求に飢えた10代だ。本来ふぁぼりつはジャンル活動の過程であり目標ではないが、当時はそれが欲しかった。コレクターの人は貴重なグッズを持っていたり、あるいは自作したり、絵の描けるオタクは絵を上げたりしていた。絵>萌え語り>小説の時代である。
 最終的に自分がとった行動は二つである。一つはむちゃくちゃ絡みまくること当時はまだ「ほかてら~」「ほかあり~」が通用していた時代である。特に自分と同じ10代のフォロワーは他者とのつながりを求めていたので、朝は真っ先にiPadを開けて通学電車でフォロワーにあいさつしまくっていた。後に最寄り駅が同じ学校の後輩に聞くと、そんな自分の姿はかなり目立っていたらしい。
 もう一つが無断転載である。正確には、無断転載の無断転載である。まとめサイトが盛んでニコニコ動画が猛威を振るっていた時代で、みんなリテラシーが低かった。件の海外コンテンツも、自ジャンル民の大半がニコニコに転載されていた言語版を、有志のつけたコメント字幕で見ていたような時代である。私は海外コミックの試し読みのスクショを雑に翻訳して「あの人気CPが公式でこんな感じに!」「あのキャラが背景に登場!」とか、ニコニコに転載されたふたばチャンネルのコラ画像をさらにスクショして5~200ふぁぼをもらっていた。一番伸びたやつはネットリテラシーが高くて英語できる界隈の重鎮に批判され、普通にブロックされた。
 

私のジャンル活動:初めてのオフ会


 活動を始めて半年くらい経った時に、運よく大規模なイベントが開催された。最初はリアルの知り合いと行く予定だったが、知り合いが飛行機の日付を間違えたので、初日を一人で行くことになった。実は私にとって始めての一人旅だった。
 開始前から待機列で一人待つことになり。心細さを感じながら「列クソ長い、今コンビニらへん」とかツイートしていると、近くにフォロワー数人がいて一緒に回ることになった。自分と同じHNで活動している人で、「アイコンが〇〇の方」とお互いに呼ばれていて勝手に親近感がわいていたが、実際にあうと全然似てなくてウケてしまった。これが始めてリアルであったネットの人だった。
 元々会う約束もしてなかったので彼らとは途中で別れたのだが、どうやら他のフォロワーたちが大規模にオフ会するらしいということを聞いて、そんなに仲良くはなかったが自分も参加したくなった。そこで、参加する予定で服装をネットに上げているフォロワーを探し出し、話しかけて参加させてもらった。向こうは“ほかてらほかあり“くらいでしか絡んだことがない人だったのにいきなり話しかけられて相当な恐怖だったと思う。
 そうして大規模オフ会に侵入することができたが、その場にいた相互の大体が古参の大物、かつ誰でもフォロバする感じの人で、もう仲良い人同士でつるんでいた。結局私はその場で同じようにぼっちになっている人同士で仲良くなり、後日相互になった記憶がある。ネットで相互になった人よりも、リアルで会ってから相互になった人の方が仲良くなるのは割とわるあるだと思う。
 余談だが、イベント開催に際して古参のヤバい人が「界隈の誰が何日に来るのか」をリスト化して公開する暴挙に出てクソほど叩かれていた。その人は今でもジャンルにいる。
 

私のジャンル活動:フォロワーとの思い出編


始めてかわしたリプ


 Twitterを始めた直後しばらくは、他人と交流するのが怖くてフォロバ直後の挨拶以外誰ともリプライを交わしたことがなかった。学校のネットリテラシーの授業で「インターネットは怖いところだ」という印象が強かったのもある。とはいえ、「誰かと交流したい」という気持ちも十分にあった。そのため「人のツイートに送るリプライを書いては送らずに下書きに保存する」という気持ち悪い行為を何度も繰り返していた。
 ある日、フォロワーの一人が確かおやつに食べるプリンの写真を上げたとき、私は何か面白いことを言いたい……というつもりで何か書いた。全く覚えてないがむちゃくちゃしょうもない内容だったと思う。そしていつものように送らずに削除しようとしたが、間違って送信してしまった。本当にクソリプといえるようなあまりにもしょうもない内容だったので「うわ、やってもた」と内心思ったのだが、直後に相手がすさまじい瞬発力でクソリプに対応したコラ画像を作って送ってきたのを今でも覚えている。
年や地域が近いのもあって、その人とは一番仲良くなった(と、私の側は思っている)。前述のイベントとは別でオフ会もした。今は音信不通だが、その時の画像は自分の写真フォルダの先頭に残っている。
 

誰も読んでないと思われた二次創作シリーズにネタバレTOSがあった


 いつものようにPixivで自ジャンの創作を漁っているときに、シリーズものの二次創作を見つけた。そんなに閲覧数が飛び抜けてはいなかったのだが、自ジャンの中ではかなり面白いシリーズものだったので追いかけることにした。
 正直TLでは誰も追いかけてない(作者もTwitterに力を入れている感じではなかった)が、誰か読んでいる人はいないかと思ってパブサをかけると、有志と思しき人のネタバレTOS垢を見つけた。諸君は知っているだろうか。TLにネタバレ感想を流さないよう、そのアカウント宛にリプライを送る形で感想を呟く文化である。誰が気にするんだ……と思いながらTOSで感想を呟くと、すぐに他の人から反応が来てたまげた記憶がある。なるほどTOS垢は砂漠で彷徨う人が同じオアシスに辿り着くように、他の読者を発見する一種のアンテナとしても機能していたのである。その時相互になった人(なぜか凛々しい顔のうんこのアイコンだった)はかなりその後も良くしてくれた記憶がある。
 

神絵師と相互になった


 とまあ私はこんな感じでジャンル活動をしていたのだが、前述のように提供できるコンテンツもなく、なんかしゃべってたまに無断転載でなんか言うだけの人で存在感はめちゃくちゃ低かったと記憶している。しかもその時私生活がうまくいってなくて、きわめて思春期の学生らしい荒れ方をよくしていたので、ジャンルのちゃんとした人にはけっこうブロックされていた。今考えれば仕方ないと思うのだが、当時は誰からブロックされて誰からフォローされてないかめちゃくちゃ気にしていたし、それが理由で荒れてもいた。
 そんな自分だが、唯一自慢できることがあった。一つは例のブロガーの人と相互だったこと。もう一つは、公式の仕事をするくらいの神絵師と相互になっていたことだ。神絵師がフォロワー数が少なかったころ、その人の推しCPが気になると呟いただけでなぜかフォローが返ってきた。その後特に絡むことはなく、神絵師がフォロー数を伸ばして公式のイラストを描くのを自分は眺めていただけだが、個人的に自慢だった。アカウントを削除するのを最近までためらっていたのもそれが理由だった。
ちなみにそのCPは公式で翻訳されたことがないキャラのみで構成されていたので、内実を知ったのはジャンル活動をしなくなったつい最近のことである。
 

私のジャンル活動:バイト辞める編


 そうしてジャンル活動をしながら私は高校を卒業した。大学には受かっていたので、私は卒業〜入学までの数ヶ月をアルバイトなどして過ごそうと思っていた。そんな時に(頼んでもないのに)親が近所の個人経営の居酒屋でのホール募集を見つけて勝手に応募していた。世の中勝手に応募していいのはアイドル事務所だけである。とはいえ親の面子と時給の高さがあったので、私はそこに通うことになった。それが私の人生における最大の過ちの一つだった。
 離婚調停中のモラハラ気質店主が常連相手に酒飲みながら一人で切り盛りしている、密室のような居酒屋に、働いた経験もない要領の悪い学生がアルバイトしたときに、いい事なんか起こるわけがない。俺はオーダーをミスしては怒鳴られ、皿を落としては髪の毛を掴まれ、料理の提供の仕方を間違えて客の見てないところで毎日胸ぐら掴まれてぶん殴られていた。店主は一人でバイトも一人なのでやりたい放題である。しかもこっちは社会経験が薄いので、そういう世界なのかと思って唇を噛んで我慢していた。別シフトで入っていた高校生が飛んだ時に、店長が家まで行って脅しをかけていたこともあり、辞めたいなんて親にも店長にもとても言い出せないような状況だった。さらに悪いことに相談できる友達もみな勉強や自動車教習で忙しくしていた。
 そんな時に助けてくれたのがフォロワーだった自分がバイトの愚痴を呟くと、「流石にやばすぎる、そんなバイト先は普通じゃない、やめた方がいい」とみんなが説得してくれた。文字通りフォロワー皆、名前が被っている人も、オフ会で会った人も、始めてリプした人も、宗教談義をした人も、それ以外の親しい人もほぼ全員である。ようやくバイト先が異常なことに気づき(そもそもそのレベルだった)辞める時の切り出し方、いざという時の録音やどこに訴えたらいいのか、その他色々なことを教わったし、何より店長が怖くて何も言い出せない自分に勇気をくれたのは、フォロワーだった。
 結局二ヶ月ほど働いたのち、アルバイト先を辞めることになった(本当は店長に脅されたりいろいろあったが)。最後に制服を返してTwitterで皆に報告した時、例の自分がTwitterをするきっかけになったブロガーの人も、普段絡んではいないのにファボをくれたのが嬉しくて、それが心に残っている。
 あと親に説明するときに、フォロワーの話をした際に「凛々しいうんこのアイコンの人」とTOSの人を説明し、ややウケした。
 

終焉〜または私は如何にしてジャンル活動を止め、ヲチスレを憎むようになったのか〜


 自分が大学に入る頃、公式から海外展開の邦訳が出ることが発表された。今まで個々人がちまちま翻訳しながら紹介などしていたジャンルにとって一大事件だった。実はその際に、オタクたちが中心になり公式や版元にプレゼンして邦訳に繋がったらしく、その中には例のブロガーの人がいたらしい。私は快哉を叫んで予約購入しアンケートを出した。
 しかしそのブロガーの人は、自分が大学に入る前後からから急速に自ジャンルの話も、他ジャンルの話もあまりしなくなり、徐々にツイート数が落ちていっていた。私生活が忙しいことや、ストレスになることがあるようで、心配だった。しかし自分も新生活で忙しくなり、邦訳やグッズは購入していたが徐々にツイート数が減っていた。
 そんなある日、私が自ジャンルの情報を漁っていると、見慣れない2ch(現5ch)のスレッドを発見した。〉〉1に「踊り子には手を触れないでください(笑)」と書かれたそのスレを、私は不用意にそれをクリックし、すぐに後悔した。
 そこには自分のフォロワーを含めた、自ジャンルの人ほぼ全員の個人情報、醜聞、誹謗中傷、諍い、悪口のありとあらゆる全てが書き込まれていた。古参からフォロワー100人に満たない人までほぼ全てである。それはあのインターネット底の底、痰壺の中のさらなる悪意のドブであるところのヲチスレであった。私は、特にジャンル活動らしき書き込みもせず、界隈の人間関係の中傷に明け暮れるスレ民に酷く恐怖した。その中で叩かれている人の中に、例のブロガーの人もいた。何やらブログの中の小さな誤訳が、ジャンル内で広まっているということに、スレ民は異常な悪意をぶつけていた。   さらに悪いことに、Twitter上にもヲチスレの用語を使っている、スレ民と思しき垢を発見した。何が「踊り子に手を触れないでください(笑)」だ。
 ヲチスレをその後覗くことはなかったが、自ジャンルで活動している際にもスレ民の書き込みが頭をよぎり、私は徐々にネットで活動することをやめ、アカウントを動かさなくなっていった。もちろん原因はそれだけではなく、リア垢の方が閉じたコミュニティで活発であり、しょうもないことでも気軽にいいねを貰えたのでそちらの方に移動していったというのが大きい。この頃流行っていたブラック企業垢の一つ、東京ちんこ倶楽部の圧倒的成長💪😤構文を大学の閉じコミュで流行らせたことがきっかけで、私はリア垢にこもるようになった。BHBにイケてるしヤバい男長島が入社し、自ジャンルの公式垢が軽率な言動でむちゃくちゃ燃え、copywritingbotの悪質性が周知され、ヨグまつが燃えていた頃だった。
  あと、大学の同期にアカウントが見つかり、むちゃくちゃ本名でリプライが来たのも大きい。それくらいにはネットリテラシーが発展途中の時代だった。

ツイート・ランナー2023


 あれから月日が経った。リア垢も各々私生活が忙しくなって呟きが極端に減り、私は今のアカウントで特にジャンルやいいねRTの数を気にすることなく活動している。なるべく界隈を作って連むこと自体から遠ざかるようにしている。あの頃のフォロワーも、たまにTLや検索に引っかかることはあれど、仲が良かった人はほとんど見かけない。各々が私生活やジャンル移動をしているようだ。この間、例のブロガーの人が今どうしているか調べたが、アカウントもブログも消えていて消息はなかった。
 イーロンマスクが買収した2023年の今、企業アカウントの存在は当たり前であり、年末とラピュタの鯖落ちもなくなった。 BHB社長はイケてるしヤバい男長島になり、ヨグまつは燃え続けて燃え尽きた。あれだけいたブラック企業アルファツイッタラーもいなくなった。人口の多様化、クラスタの分化でが進み、ツイッタラーの仲間意識なるものも過去のものになって久しい。
 それでも、あの頃のTwitterの空気感や熱意、フォロワー達のオタク一体感を、私はまだ忘れられないでいる。彼らは今どこで何をしているだろうか。
 最後に、オタクらしく映画『ブレード・ランナー』の、クソ改変でこの思い出を結ぼうと思う。
 「おまえたち丸アイコンには信じられないようなものを私は見てきた。人権意識が低すぎて燃える自ジャンルの企業公式アカウント。オタクの熱意が動かした、ジャンル史に瞬く公式展開、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」


自分は普段腐女子という言葉は使わないように心がけていますが(あんまりよくないので)、当時感を出すためにあえて使ってます。神絵師も嫌いな言葉ですが(人は神ではないので)使っているのも同じ理由です。
あとこれだけはTwitterがなくなってからも言えることですが、みなさん実害を被らない限りヲチスレは検索で見つかっても覗かないほうがいいです。あんまり精神の健康によくないので。ジャンル活動して人間関係に疲れてスレ民になる人も、まったく共感はしないですが理解はできます、と予防線を貼っておきます。



文章など書きます。