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#31 インターネットは、区別して線引きしないと

 女子高生の間で、語尾に「ンゴ」をつけることが流行っていると知った時は衝撃を受けた。TVで若い女の子たちが「~~ンゴ!」と言ったり、LINEの会話で使っているところを見て、マジかよ......と若干引いたことを覚えている。なぜ、「ンゴ」が流行りだしたのかはわからない。そもそもこの言葉は、2ちゃんねるのなんJで使われていた言葉であり、言うなれば、キラキラとした青春を送るうら若き乙女たちとは真逆の人間が使っていた言葉なのである。

 このように、ネットスラング発祥の言葉が世間に浸透することが、近年増えてきている気がする。スマートフォン一つで膨大な量の情報を得ることが可能になったことも背景にあるのだとは思うが、ネットスラングから入った者からすると、少しであるが違和感が残ってしまう。まあ、若者からすれば、その言葉にある背景や語源、意味といった内側についてはどうでもよくて、響きや語感といった外殻のみが要素として考えられて採用されているだけだとは思うが。

 ネットスラングやアングラの文化や言葉が、世間に認知、浸透され始めた昨今ではあるが、勘違いしてはいけないことがある。それは、そこの住人たちまでも受け入れられるわけではないということだ。

 教室の隅、もしくは自室のPC前がメインステージだった者たちが創り出した文化であっても、その創造者が受け入れられるというわけではない。社会から異質だと思われていることを、長年の人生から自覚している住人達に限って、そんな勘違いは無いとは思うが、もしかしたら、万が一にでもといった一縷の望みに賭けるようなことはしてはいけない。自戒の念である。

 同時に、あまり2ちゃんとかをわかっていない人達も、そこを覗いてはいけないと思う。世間とアングラの境界線が曖昧になっている今だからこそ、そこにはハッキリとした線引きをした方が良い。嘘や罵詈雑言に溢れた世界観が、TwitterなどのSNSへ徐々に侵入し始め、耐性の無い人たちが傷ついてしまうことが増えていることは、なんとなくではあるがみんな気づいているとは思う。

 どんな理由であれ、差別することは絶対にダメだが、区別することは大事なことだ。自分を守るため、争いの種を生まないために。一番良いことは、別の世界に首をつっこまないことだが、いつの時代も物好きな人間はいる。どうしても知りたいのなら、ある程度のことが起きても動じない、憤慨も泣きもしないことを覚悟しなくてはいけない。覚悟もせずに傷つきました、エ~ンエンエンと泣くのはお門違いだ。

 市民権を得ないまま、規模だけは大きくなってしまったネットスラング、アングラの世界に規制を設けようという動きがあるが、規制したところで形を変えてその内容は残り続けるだろうから、どうせ無意味だ。住む世界が違うと割り切って、お互い不用意な接触は避けながら生きるべきだ。情報にしろ、生息圏にしろ、区別して線引きをする。先手打って自己防衛を強化して、そこまでやって初めてインターネットは楽しめる。

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