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渡せなかったガーゼのハンカチが教えてくれた、備えの作法。

※この記事は、栃木県南・茨城県西エリアのコミュニケーションマガジン「地域カタログASSPA Vol.69春号」に、地域のメモリアル・ストーリーとして終活をテーマに掲載された文章を加筆修正したものです。

大切な記録・温かな記憶・備えの作法

「ガーゼのハンカチを買ってきておくれ」

「うん、わかった。ガーゼのハンカチね、今度持って来るね」

92歳で亡くなった祖母と交わした最後の会話だった。

ソメイヨシノより少し遅く咲き始める小山市の花「思川桜」が、まだわずかに咲いていた4月の半ば過ぎ。早朝にかかってきた母からの電話にかすかな胸騒ぎを覚えながらも出ると「ばあちゃん、亡くなった」と震える母の声。返す言葉が見つからないまま、思った。

ガーゼのハンカチ、まだ渡していない、と。

せっかくだから可愛いハンカチをと思い、桜の花の刺繍が入ったガーゼのハンカチを買っていた。リビングのテーブルに置いたまま、近いうちに届けに行こうと思っていた矢先のことだった。

祖母が入院していた新小山市民病院は移転後の開院まもない時期で、真新しい清潔なエントランスを抜け、病室へ何度か足を運んでいた。周辺の道路や雑木林もきれいに整備され、散歩をする人やベンチに腰掛けておしゃべりをする人たちの姿もあった。窓際にある祖母のベッドから一緒に外を眺めるのが好きだった。ガーゼのハンカチを頼まれた頃には体調が安定して、退院が決まり、数日後に自宅へ戻ることができた。

入院でしばらく美容室に行けなかったので、祖母の家から歩いて5分ほどのところにある行きつけのお店へ母に連れられて髪を切りに行ったという。祖母は美容室のことを「髪結いさん」と呼んでいた。大正生まれの祖母にとっては、美容室というのは「髪を結ってもらうところ」というイメージだったのだろう。つかの間の、自宅での穏やかな日々を過ごしたのち、また急に具合が悪くなり緊急入院して、そのまま眠るようにして逝ったのだった。

綺麗な遺影は遺族の心も癒す

ご近所の「髪結いさん」は、私が仕事で編集に携わるフリーペーパー「地域カタログ」を置いてくださっている設置店で、長年お世話になっていた。

ある時、私の祖母と知らないスタッフさんが、地域カタログの最新号を「よかったらどうぞ」と祖母に差し出してくれたことがあったらしい。すかさず祖母は「持ってるからいいよ」と言って、他のお客さんに渡して欲しいと言ってくれたそうだ。90歳になろうかというご婦人が地域のフリーペーパーを持っているというものスタッフさんは驚いたことだろう。それ以上に、孫が作っている雑誌がいろんな人に届くようにと心を向けてくれていた祖母のことを、いまも、思い出さない日はない。

渡せなかったガーゼのハンカチを、寒がりな祖母のために毛糸の帽子とともに、棺に納めた。夫を早くに亡くし、女手ひとつで3人の子どもを育ててきた女性。やすらかに眠るその顔は、かすかに微笑んでいるようにも見えて、凛として、美しかった。

祖母の長男である私の叔父が事前に相談していた葬儀会社の方々が、臨終の時からお通夜、葬儀に至るまで、本当に丁寧に支えてくれた。ご近所の「髪結いさん」でヘアカットしてもらった直後に撮った写真が、そのまま遺影になっていた。叔父も、母も、お通夜や葬儀の準備、参列してくださる方々への気遣いで、よく「悲しみに浸る間もなく」という言われ方をするが、まさにそうした状況だったと思う。私自身は何を担うこともなく、孫という立場で、ただひたすらに祖母を思い続けていられたのは、周りの人たちがいてくれたからに、他ならない。

40歳から始める「終活」とは?

祖母を亡くしてから2年が経ち、40歳になった頃、最後の思い出を忘れないようにこうして書くことを決め、改めて思った。もし、私が突如として喪主の立場になったら? まず最初にどこに連絡をして、何をすればよいのだろう。考えてみると、不安だらけだ。大切な人を見送るために、後悔なんてしたくない。葬儀のこと、お墓のこと、あらかじめ考えたり、専門の人たちに相談しておうことは、とても尊いことなのだと感じた。知っておくことで、身近な人に何かあったときに手を差し伸べることができるかもしれない。

「終活」とは、自分がどういう最後を迎えたいかというプランを描くことだけではなく、お世話になった人、守りたい人、感謝を伝えたい人のことを「考えながら生きる」ことなのだと、強く思う。

手渡すことは叶わなかったガーゼのハンカチは、祖母が私に教えてくれた、人の心への寄り添い方なのかもしれない。お揃いにしたくて2枚買っていたハンカチ。もう一枚を握りしめながら、毎朝「ありがとう」と心の中で語りかけ、手を合わせる。


「大切な記録、温かな記憶、備えの作法」

誰もが手に取ることのできる、地域のコミュニケーションマガジンから、ほんの少しでも終活について「考えるきっかけ」を生み出せたら。そんな願いで書き綴った。

江口雅枝

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