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せつない

人生の中で少しでも関わってきた人たちに、たまに思いを馳せたりする。

今度美味しい馬肉のお店に連れて行ってくれると約束したのに結局連れて行ってくれなかったバイト先の社員さん、元気かな。

私がモップをかけたばかりのところを社員さんが通って見事にすってんころりんして、レジ締めしたあとの持ってたお札が宙に舞ったあと、社員さんの上にパラパラ散ったこと、今でも覚えてる。本当に漫画みたいで面白かったな、ずっと笑ってた。

全然話したことがないのにいきなりTwitterのDMで告白してきた高校の同級生の男の子、今はどこの大学に通ってるんだろう。

告白は断ったけど、バレンタインデーにとても大きい容器に入った手作りのお菓子をくれた。それがガトーショコラなのか生チョコなのかわからなかった。食べてみたら中身が生みたいだったんだけど、こういうものなのか火が通っていないのかわからなくて、お姉ちゃんと笑ってた。「美味しかった?」と聞かれたから勿論「美味しかった」と答えたけど。懐かしいな。

高校生の頃付き合っていた男の子は今は何してるのかな。

バレエをしていた、顔立ちが整った男の子。バレーボールじゃなくて踊る方のバレエ。後夜祭で体育館のステージで踊っているのを見た。綺麗だった。大学には進学せずポルトガルに留学した。


誕生日にメッセージが来て「まだビールを美味しいと思えない」「今度会うときまでに飲めるようになって、一緒にビールで乾杯しよう」なんて話をした。でも今はもう連絡を取ってない。元気かな。

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友達と関係を継続するっていうのは、とても難しいことだなと常々思う。関係が終わるのは、嫌いになったとか喧嘩したとか、そんな理由があるものばかりじゃない。

今までなんの気もなくしていたどうでもいい会話も、距離が離れてしまえば段々と減る。お互いに関係を続けようという気持ちがなければ成立しないものだなって、大学生になって実感した。

友達って難しい。最近よく考える。私は友達が好きだけど、友達に対する疑問も友達といるときの自分に対する疑問も、普段生活していて後を絶たない。

人によるとは思うけど、基本的に人は自分の話を聞いて欲しいものだと思ってる。でも皆が話したい話したいとなっても、関係は成立しない。だから、持ちつ持たれつというか、誰かが我慢して、その我慢した誰かはまた誰かに話して。そんなことの繰り返しなのかな、なんて考える。

そういう風に成り立っているなら、私の話を聞いてくれる人はいるから、私もたまには我慢して聞こうと思う。愚痴でもね。疲れて帰ってきて早々に親から聞く愚痴はいつになっても慣れないけど、仕方ない、多分。「学生と社会人では辛さが違う」なんて言われてしまったけど、そうかな。そうなのかな。辛さなんて比べられないものじゃないのかな。

私は人と話しているときに内容から関連付けて「あ、そういえば」と話が派生してしまうから、話題がずれてしまいがち。何を話していたか忘れてしまうことも多い。でもそんな風に話せる人がいるって、幸せなことだなと思う。

私は悲観的になりすぎる。自分が周りの人間に恵まれてると思ったことはない。どうしたって好きになれない、苦手な人ばかり。でも少なくとも好きな人たちはちゃんと私の側にいて、私はなんとかやっていけてる。

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大学で一番仲良くしてる女の子がいた。仲良くしていた、はずなんだけど。

「性格が正反対だからこそ一緒にいて楽しいね」なんて話して、なんの話をしていても、いつも最後は人生について話してた。そんな友達。

その友達が、私と付き合っていた男の子と付き合ってから、関係が変わった。どちらからともなく連絡を取らなくなり、そうやって段々と離れていった。

第三者からしたらたったそれだけのことで、なんて思うのかもしれないけど、"たったそれだけのこと"と割り切れない自分がいる。割り切れる感情ばかりで生きてないし、生きてこなかった。

ただ、やっぱりどうしても、たまに切なくなる。その子と過ごした思い出が頭を過ぎる。切ないって、こういう感情なんだろうな。

時間が解決してくれる、なんて悩んでいるときに言われたことがあるけど、実際のところどうなんだろう。でも今は、とりあえず時間が過ぎていくのをただ待つしかないと思う。

それでまたいつか、話すことができたらいいなと思う。またいつか。

"せつない、というのは、かなしい、とは全然ちがう感情だ。もっとわりきれない、納得できない感情でたる。もっと苦痛にみちた、もっと耐えられない、もっと心をねじ切られそうな。"
江國香織

#日記 #コラム #エッセイ

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