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しゃもじを知りませんか。

目立たないけど無くてはならないものが消えるって、結構重大だと思う。

昨日からしゃもじが見当たらない。
白いプラスチック製の、何の変哲もないしゃもじ。

おーい、どこにいったんだー。しゃもじ。

しゃもじとの出会いは3年前。

今の家での一人暮らしを始めて最初に買った炊飯器の外側に、申し訳無さそうにひっついていた。

計量カップは釜の中に大事にしまわれていたのに、
あなたは側面にテープでピッと、縁まで緩やかな背をこちらに向けて。

ただただ炊きたての白飯をほぐし、一途に茶碗によそうだけの役割でしかないあなたを失うと、事の重大さが後でわかってくる。

いつものように炊きあがった白米をすくおうと、手をかけた瞬間にいないのだから溜まったもんじゃない。

仕事でも言えるのだが、最低限の需要を満たすことができて、なおかつそれが収益の根源となるシステムが崩れると、たいへんよろしくない。

うちはメーカー頼みの専門問屋。各種メーカー宛に発注書のデータを掃き出し、送付する。

このデータを送らないと、当然商品がお客様の手元には届かないし、会社の売上も入らない。

今の発注システムを運用しているのは二人。
近頃の価格競争や需要低下の荒波に呑まれ、今のところ新しい人員を増やす予定はない。

社内マニュアル自体は存在するものの、実際に発注ができる人員は社内で二人だけという最低限の運用体制をとっている。

コスト抑制を歓迎する会社にとってはむしろ好都合。
しかし当の本人たちからすると、どちらかが病気や私用で休むとなると、残りの一人ですべて運用していかなければならないし、二人共休みたくても休めない。システム自体が止まるのであってはならないのだ。

もちろん事前に休みをいただく際は、調整して計画的に取るようにしている。

そういった側面からみると、しゃもじと同様、目立たない存在かもしれないが、居ないと困る存在である。

ものと比べる事がおこがましいが、日々の感謝は決して忘れてはいけないなあと、休日に思うのである。

さて、しゃもじの行方探しの続きだ。
なにかの拍子に捨てちゃったのかな…


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