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#Day004 日々の生きづらさ〜「男性」であることの辛さ〜

「男性」であることに息苦しさを覚えることがあります。

様々な物事の先頭に立つような主体性、リーダーシップを求められているように感じたり、「受動態」というよりは「能動態」というような…。

伝わるでしょうか。

例えば、性犯罪は「男性がするもの」という強固なイメージがあると思いますが、実際には「男性」というだけで「加害者」と断定するのは間違っていると思うことあります。

満員電車に乗る時なんかは、自分が「加害者」と誤解されないかヒヤヒヤしながら乗ることがあります。

男性が受けるセクハラや、女性から受ける性被害は実際にはあるはずなのに、あたかも存在しないかのようにされてしまっているのは、何だかモヤモヤしてしまいます。

性犯罪のような負の側面以外でも、あらゆる場面で「男性」というだけで主体性や決断を求められると思います。

その責任感からか、自殺者数は男性の方がかなり多いようです。
「1人で責任を負い、決断する」という生き方を強いられているので、誰にも相談できず、苦しみを抱えたまま死を選ぶことになるのです。

これは大きな問題だな、と思います。

僕はここまで深刻には生きづらさを感じてはいませんが、それでも「男性」であることに少し「窮屈さ」を感じたりするので、たまに「世の中から性別なんてなくなってしまえ〜!」と思ったりします。

性別がなければ、ジェンダー的なイメージがなければ、気軽にスイーツも食べに行けるし、レディースの服も(入れば)着ることができるし、「女子会」のようなこともできるのに…と思うことがあります。

あくまでも「女性」になりたいわけではなく、「ジェンダーの偏見」がなくなればもっと気楽にいろんなことが楽しめたり、活躍したい人が活躍できる社会になるのではないかなと思っているという感じです。

「女性」としての生きづらさは、人から聞いたり、本で読んで想像することしかできませんが、「男性」としての生きづらさは身をもって体験しているので、大きな気づきや思いがあったタイミングでnoteにまとめたいと思います。

とりあえず、「男性」辞めたい。
今度から性別記入欄、「その他」にしようかな。

自分のことを「Xジェンダー」とはあまり思ったことはないのですが、もしかしたら少し近い位置にいるのかもしれないです。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。