#Day069 日々の生きづらさ〜躁鬱は自転車操業〜
躁鬱病、もとい双極性障害はまさに自転車操業だと思っている。
どういうことかと言うと、気分がハイになり異様に活発になる躁状態と、それとは真逆にに気分が沈み込み、何も手がつかなくなる鬱状態を繰り返す。
特に、僕の場合はそのサイクルがかなり短めで、1日ごとだったり、数日ごとだったりする。
なので、いつも自分に振り回されている。
ある日、かなり集中して仕事や趣味に没頭できたとしても、翌日には急に何もしたくなくなり、気分もネガティブになり、最悪は仕事を休んでしまうこともある。
その日その日の自分の状態に合わせて毎日を過ごさないといけない。
かかりつけ医は「躁でも鬱でも常に60%くらいの力を意識して過ごしてください」と言われているが、正直、鬱の時は60%どころか20%も出せるか分からない。
なので、本当に「その日暮らし」と言った感覚だ。
躁の時に120%を出していると、その揺り戻しで大きな鬱が来ることはすでに自分の経験として把握しているので、その時できるかぎり60%を維持して、やってくる鬱を軽いものにしようと努力する。
それでもたまに、重ための鬱がどうしてもやってきて、20%の自分と向き合うことになる。
そんな状態では、本当に何もできない。
たまに、仕事を休まず出勤するが、かなり騙し騙し働いている感じで、ついにはこの前、上司に相談して仕事の締め切りを延ばしてもらった。
個人的には禁じ手を使ってしまったな、と思い反省している。
今までは休むことはあっても、なんとか締め切りのうちに仕事を終わらせるように頑張ってきたが、ついにその余裕がなくなってきたのだ。
これも自転車操業のガタが来ている証なのかもしれない。
一瞬「辞める」という選択肢も頭をよぎるが、辞めたところで次の会社でまた自転車操業をするだけだし、そもそも休職を3回している自分はなかなか次の仕事にありつけない。
それなら、今の会社でもうしばらくは自転車操業で、なんとか粘るのが最善策なのだと思う。
毎朝、毎朝、その日の調子にに振り回されながら「今日はこのくらいならできるな」と考え生きている。
「体調ガチャ」といった感覚だ。
毎晩眠る前に、「明日はどんな自分で起きるのだろうか」と考える。
上がりすぎても下がりすぎてもいけないのだけれど、結局いつもそのどちらかになってしまう。
振れ幅の大きい自分に適応して、上手くペース配分しながら自転車を漕いでいくしかないのだ。
さて、明日は躁か鬱か、それともフラットか。
自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。