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#Day075 日々の生きづらさ〜逆学歴コンプレックス〜

僕は早稲田大学を卒業しました。

これだけ聞くと世間的には「頭良いんだね」とか「すごいじゃん!」という評価になるらしい。

加えて僕は東大をあと7点のところで落ちました。

このエピソードも付け加えると、余計に過大評価される。

そう、"過大"なのである。

確かに高校までの"勉強"は人並み以上にできたかもしれないし、それなりに努力もしてきた。

しかし、大学では成績も毎年右肩下がりに悪くなっていったし、新卒入社した会社の研修では自分だけ電話対応ができなくて場が凍った。

2社目でも、特に優秀な働きができたわけではなく、むしろフィードバックの回数は他の同僚よりも多かったので、余計にガッカリされたことと思う。

直接的に「君は早稲田卒なんだからさ〜」とは言われなかったが、間接的に「能力はあるから〜」とフォローされることが多かった。

それが能力がないことの裏返しのように聞こえて辛かった。

一応"高学歴"に相当する大学を出ているので、最低限のレベルでは仕事もできるだろうと思っていた。

が、そんなことはなかったのである。

この「逆学歴コンプレックス」は主に自分で自分に課してしまっていると思う。

せっかく良い大学に入れて、卒業まで通わせてもらったのだからそれに見合った、みんなに誇れるような仕事をしなければ、と。

その"みんな"なんてものは実態のない、自分の頭の中のイメージにすぎないのに、その"みんな"に求められる自分にならなければと思ってしまうのだ。

そこに、「早稲田大学」という変なプライドがこびりついている。

今も、仕事を辞めて自分のメンタル疾患を受け入れて障害者雇用で仕事を探そうと切り替えているのに、「せっかくの早稲田卒」という意識を剥がしきれていない。

つくづく日本人は肩書きが好きだなと思う。

同じ悩みを抱える先輩も、「早稲田なのに〇〇の仕事するの?」「早稲田なのに割り算もできないの?」などと言われて苦しんだことがあるらしい。

僕は大企業でバリバリ活躍する早稲田卒の人たちほどのバイタリティもないし、そもそもメンタル疾患で同じスタートラインにすら立てていない。

それならいっそ、こんな肩書きなかったほうが自由に生きることができたのではないか、とも思う。

けれど、やっぱりどこか企業に応募する時にはステータスになってしまうので武器として使うしかない。

学内にあまり良い思い出もなく、とりあえず受かったので奨学金で買った肩書きとして使うことにしてるが、本当に自分のスキルが肩書きに見合っていないので易易と「早稲田卒」と書くのがはばかられる。

だって、Excelで四則計算ができるかも怪しいんですもん…。
飲食のバイトも1日で辞めてるし…。

それでは、今回はこの辺で。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。