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#Day074 日々の生きづらさ〜「男性」というジェンダーと精神疾患〜

大学時代、あれだけ「ジェンダー」について学んだのに、どうしても「男性」という性的役割から抜け出しきれていないな〜と思う。

僕は躁鬱病(双極性障害)というメンタル疾患を理由に2023年の9月末に仕事を辞めて、現在は静養しつつ、精神障害者保健福祉手帳を取得して、「障害者雇用枠」で再就職をしようと動いているところだ。

しかし、どうしても「自分は『男性』なのに稼ぎ頭になれないのは情けないな…」と頭をよぎってしまうのだ。

妻も「ジェンダー」を深く学んでいたので、その点に関しては特段気にしていないでくれているが、妻の両親に伝えたらものすごく心配されるのではないかと不安になってしまう。(年明けに伝える予定)

当事者間で男女の役割を固定せずに過ごすというハードルはクリアできたとしても、互いの両親に、いわゆる「普通の夫婦」を届けることができないことに情けなく思ってしまうし、子どもを持つことも難しくなるだろう。

そうなると「結婚」という幸せなイベントを経て、両親や親族も幸せになってくれたのに、今度は「心配」を抱かせてしまうことになる。

つくづく、自分が「もっと健康だったらなぁ」と考え込んでしまう。

結局は妻と自分の当事者間が平和に暮らしていければ良いので、気にしすぎることもないのだけれど、それでもやっぱりまだ自分の病を受容しきれていないのかもしれない。

受容しきれていない理由として、躁鬱病の特徴である躁状態があると思っている。

躁状態とは、鬱状態とは真逆でハイテンションになったり、活動しすぎてしまったりする状態のことを指し、この状態が鬱と交互にやってくるので「治った!?」と勘違いしてしまうのだ。

そのせいもあって、体調が上下しながら不安定な状態で仕事していて、パフォーマンスにばらつきがあったり、休みがちになったりしてしまったりといった具合だった。

しかし、それでもやはり「男性だから」という理由で、仕事はそれなりに頑張って、収入もそこそこ高くありたいと思っていた。

それが(今すぐには)叶わないという現実を受け止め、「男女」に縛られない生活の在り方を自分の中で納得していかなければならない時がきたと思っている。

「障害者雇用枠」で働くということは、そういうことなのだろう。
特に男性は、(気にし過ぎかもしれないが)令和の今でさえも、大きな決断になるのではないかと感じている。

「普通」「健康」がいかに当たり前なものではないということが、仕事を辞めてから毎日実感するところである。

「普通」から脱却して、自分なりに幸せに生きていきたいと思い直している作業の只中にいる。

それでは、今回はこの辺で。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。