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20210309


『ハイドラ』は面白すぎて二日で読み切ってしまった。
今は小川洋子『完璧な病室』を読んでいる。読みながら、病院の描写がなんとも言えず、好きだなあと思い、自分と病院の記憶がじわじわとにじみ出してきた。病院は、なんだか親しい。親しかった。最近は滅多に行くことはないけれど、子供の頃はよく通ったし入院もした。父の、友達の、大叔母の、夫の祖母の、見舞いで行くこともあった。
けれど一番に思い出すのは、夫の入院と手術のことだ。

普通の人はおそらく使えないだろう、大きなエレベーターを使った。ベッドがそのまま入るし、その周りに何人もいるのに狭く感じないような、銀色の、大きくてひやりとした四角い箱だった。手術着は、薄いピンク色。若い主治医は、じゃ、行ってきますね、みたいな軽さで夫を連れて行った。
それから一人で病室へ戻り、持ってきていた本を読んだ。堀井和子だったと思う。難しくない本が読みたかった。
お迎え行きましょうか、と看護師さんがやってきて、手術室へ向かう。二重扉の間に椅子があり、そこに座って待つよう言われる。ガラスの向こうで、主治医の姿が見えた。主治医は、受付のようなところの女性と軽く小突いて、こちらへやったきた。そんな、そんな余裕私にはないんですが!と噴火しそうになったけれど、その姿で手術が成功したこともわかる。安心したらいいのか、怒ったらいいのか、よくわからなかった。
けれど運ばれてきた夫は全然大丈夫ではなさそうで、また、大きなエレベーターに乗って戻った。途中、よだれが止まらないらしく、ティッシュありますか?ときかれ、慌てて小さな手提げの中からティッシュを取り出し渡した。破れかけた、赤い、手縫いのティッシュケース。病室に戻ると、ちょっと整えますから奥さんは外で待っておいてくださいね、と言われ、廊下の奥の、洗面台の前で待つ。左は大きなガラス窓。外はもう、暗くなっていた。
お待たせしましたー、と呼ばれ病室へ入ると、機械に繋がれた夫がいた。か細い声で「この管はどこに繋がってる?」ときく。多分、体の感覚がまだ戻ってきていないのだろう。よれよれとくたびれ、ひと回り縮んでしまったように見えた。どんなに小さな手術でも、体を切っていじっているわけだから、それは、大変なことだろう。ぴっぴっ、と点滅する赤いランプが警告音のようで胸がひりひりし、でも何の問題もないと言われているし、面会時間はもう過ぎていて、私は帰らなくてはならない。
病院を出て、駅までは一本道だ。長い、一本道。初めてここから帰った時はわからなかったけれど、手前の階段ではなく、信号を渡った先の階段を降りれば、ホームが近い。大阪の駅は出入り口が多いから、最初は地下にもぐってもいつまでもホームにたどり着けなかった。地理や方向感覚の弱い自分が、たったひとりでそのことを学び、信号を渡った先の階段をとぼとぼと降りて改札にイコカをかざして電車に乗り途中で一度乗り換えまたイコカをかざして階段をのぼり夜道を歩いてまた階段をのぼり鍵を開け誰もいない家に帰るなんて、驚きだ。義父から電話が入っていたので、帰宅してかけ直す。「無事に終わったんですが、すごくしんどそうでした」と言うと「でも自分で手術するって言ったんだからね」と少し笑っていた。という話を翌日夫にすると、ほろ、と涙を流していた。

約二週間だった。胸が痛いというので近所の病院に向かわせ、もう少し大きいところで検査するように言われたから今から行ってくると電話があり、そのままその病院へ入院し、さらに大きな病院に転院し、手術し、退院。それが二週間の話。しかもそれは、結婚式の二ヶ月前の話。


中公文庫のカバーの下のこの鳥、懐かしいなあ。とっても久しぶりに見た気がする。

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