人生100年時代、教師を辞めても大丈夫?:①発症した2023年7月の様子
この記事を選んでいただき ありがとうございます。
30年ほど小学校の教員として勤務してきた経験から
子育てのヒントになることや旅のことなどを投稿しています。
よかったら のぞいてみてください。
それでは本題に入ります。
2024年3月末で 退職します。
そしてフリーランスを 目指しています。
そこで #転職体験記 を 綴ってみたいとおもいます。
昨年7月中旬に 急に職場に行けなくなりました。
詳しくはこちらからどうぞ(見なくても読み進めることはできます)
行けなくなった原因を 今振り返ってみると
教務主任としての仕事と 4年以上の9クラスの理科を担当していたが ある担任の先生が病休になったため 担任業務の一部を担当することになった。
放課後は 高齢の両親の 送り迎えなどがあり 残業ができないため 朝5時半に起床し 職場へ向かう生活を送っていた。
心臓の病をもつ父親の状況により 時間に関係なく対応が必要だったり 不安定になる母親の ケアが必要だった。
自宅から かなり離れた場所の 大学に進学していた一人娘が 大学のシステムに合わず 休学することになり その対応も必要だった。
このような状況でした。
しかし 専業主婦である妻が 状況を理解し 献身的に支えてくれました。
職場にいる間 両親や娘の対応は 全部 妻が行なってくれました。
不満を言うこともなく 対応してくれていました。
本当にありがたかったです。
しかし 申し訳なくも おもっていました。
ただ 週末のドライブを楽しみに その日その日を乗り切っていました。
乗り切れる原動力は 10数年前からの
こんな おもいがあったから・・・
「55歳の歳に 退職したい。」
「ちがう 仕事にも挑戦したい。」
「場所を移動しながらでもできる仕事をしたい。」
その夢が叶ったら
両親や娘の対応もできる。
妻の負担も 少しは減らせる。
以前から 妻にも話し 理解も得ていました。
最後の年 なんとか乗り切れるとおもっていました。
でも ダメでした。
行けませんでした。
職場に連絡し 行けないことを告げました。
のちに 所属長と 電話で話しました。
動悸が止まらない。
声が震える。
「行かなければいけないのに 行けない。」
「仕事を投げ出して 申し訳ない。」
「でも行けない。」
所属長が 状況を察してくれました。
「あなたの体が一番だから。職場はみんなで なんとかするから。」と
とりあえず有給休暇で 1週間休養することとなりました。
その後の所属長とのやりとりは メールで行うことになりました。
メールが来るたびに 動悸が止まらなくなる。
メールを打つ手が 震えて止まらない。
途中で投げ出してきたので 申し訳なく 必死に対応しました。
病休で休んだ職員のクラスの 教材費を預かっていたため
銀行口座振り込みを行ないました。
そのクラスの 夏休みの保護者面談の 日程調整表を送ったりもしました。
その他にも 何度もメールが来て 対応しました。
1学期の終業式終了後 保護者面談が可能かとのメールが来ました。
状況が変わらず 職場に行くことができないため断りました。
7月末に 心療内科を受診しました。
行けなくなってすぐに 受診予約をしましたが この日になりました。
適応障害と診断を受けました。
12月までの休養を勧められました。
医師にこれまでの状況を話せたことで 少し すっきりしました。
行けないことが よくない 申し訳ないと おもっていましたが
「行ってはいけない。ゆっくり休むべき。」と言われて 安心しました。
職場に伝え 診断書がいるとのことで 再度受診し
診断書を郵送することとなりました。
今回は ここまでです。
今回振り返ってみて 半月の出来事とは思えない
自分にとっては衝撃的な 時間が流れました。
次回は 次の月からのことについて 綴ってみたいとおもいます。
次の月は こちら
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