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「荒地の家族」感想

小説に出てくる街並みや東北の訛りが、リアルで物語というより、坂井祐二という人の記録、記憶を読んでいるようで、風景が、とても浮かびやすかった。その街を歩いては、小説の一行がのぼってくる。
全体を通して読みすすめるにあたって、人が生きるということが、ひしひしと伝わってきた。
「災厄」は、人生のうちのひとつなんだけれど3月を迎えるたびに、それはけして、通り過ぎることのできない記憶が残ってしまった。
「元の生活に戻りたい」という「元」とはいつの時点か。これは、私も思っていたこと。
「元」とはいつなのだろうか。
自分の心のなかに、刻んできた風景に戻りたいのだ。辛いことや苦しいことがあっても、自分なりの日常、ささやかな日常に。
毎年、干し柿を家で作っていた方が、今年はどうですか。という質問に仮設住宅で言葉をつまらせ、涙を浮かべていた。
そんなことを思い出した。
景色は、変わってしまっても自分の持つ見てきた景色は、時に元気づけてくれる。戻ることができなくても、励ましてくれることさえある。
そういう風景をみんなそれぞれ必ず持っている。
明夫が持ってきた箱から溢れんばかりのさくらんぼに、明夫の思いが溢れていた。明夫を亡くした祐二は、さくらんぼを見るたびに、きっと思い出すだろう。
死を引き受けるということは、なかなか難しい。けれども、生きてゆくことが、引き受けるということになるかもしれないと思った。
人は、みんな一生懸命、日常を生きている。そんなふうに感じた。
物語に出てくる、鳥や、昆虫たちの豊かな表現に生命を思った。自然の描写が凪いでいるようにも思えた。まるで人から海を守っているように見える防潮堤が、どこまでも走っているのには、その先もつづいてゆく歴史を思わせた。
最後まで、読んでいただいたき、ありがとうございます。

追伸。著者が書いた亘理の海は、世界中の海と繋がっている。海外の人にも読んでもらえたらいいなぁと思います。



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