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鹿踊(ししおど)りの香り

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。
私は目をつむる、
  かなしい酔ひだ。
もう不用になつたストーヴが
  白つぽく銹(さ)びてゐる。
朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

〈1934年12月10日発行 中原中也著
『山羊の歌』 宿酔より〉

深夜まで歌舞伎町でナンパをした後、山手線のホームで俺は缶チューハイを片手に呆けていた。
正しくは「ナンパをした後」ではなく「坊主を引いた後」であったからだ。
山手線に揺られながら、暗い車窓に映る自分の疲れた顔をつまみにしばらく思いに耽っているとふと、歌舞伎町でホストをしていた時の事を思い出した。

浴びるほど酒を飲み朦朧とした意識の中、女の子との予定をバックれられた俺は仕方なしに始発まで客を探しにナンパをした。その時も坊主だった。
明け方の山手線のホームで電車を待っていると点字ブロックの上に吐瀉物と一緒に眠る女性が居たが誰もが見て見ぬふりをする。
意識を確認しようと手を差し伸べた自分の手が、まるで女性にこれから乱暴をしようとしているように見え、なるほどこれが東京か、皆が助けない訳だと感じ俺も胸を揉むにとどめておいた。
冬の朝、明け方の暗い空に疲れた俺の顔が映る。
情けないなぁ、と思いつつ車内で眠ると昼の10時を過ぎていた。
山手線を何周したのだろうか?

不快感に目を覚ますとズボンがやけに温かく、湿気を帯びている。
27歳の俺は山手線でオネショをしたのだ。
27歳だ。
地元宮城ではもう小さい子供のオネショを処分してもいい年齢である。
成人後のオネショバージンと鶴見までの終電を同時に大崎で失った。
慌てて電車を乗り継ぐも蒲田までしか帰る事ができず、そこから先の二駅分は電車は使えない。
タクシーもなく、ネットカフェも埋まっていた蒲田を脱出する手段は「徒歩」。
俺は2月の夜の冷たい風に吹かれながら濡れたズボンで歩いて帰ることにした。

地図のアプリを見ながら、迷子になりながら冷たいズボンを感じる。
さっきまで温かかったのに今は冷たい。
吐瀉物と共に眠っていた彼女もこんなにひもじい気持ちになったのだろうか?
女友達と一緒にパーティし過ぎたのか、はたまた男友達(?)と居酒屋をはさんでホテルまでは面倒を見られたがセックスをした後は放っておかれたのか…少なからずあの吐瀉物のラーメンを見る限りラーメンを作ったコックの温もりは届いていないだろう。
蒲田の隣駅、川崎を目指すまでの間寂しさから俺はSNSに50件程投稿をした。
その全てに反応した男の名を「からすまる」と言う。
道中コンビニで酒を買いながら歩を進め、SNSに投稿をし、からすまるがリアクションをする。
千のからすが
バスケットボールする。

「臨場感あって面白いです!」

オネショバージンと終電、二つを失い俺は一人友を得た。

ようやっと川崎に着いた俺は疲労に耐えられず遂に鶴見に帰ることができず川崎のネットカフェに泊まる事にした。
紫色の空に鈍い朝日のグラデーションが広がる中、川崎は銀柳街の風に焼肉の香りを感じる。
小学生の頃、鹿踊(ししおど)りという伝統芸能を習っており、ステージの打ち上げは決まって「くんぺる」という地元の焼肉屋だった。
鹿踊りの香りを感じながらかなしい酔いに苛まれる。
ネットカフェにはストーブは無かった。

千のからすが
バスケットボールする。

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