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【創作大賞2024】レンタサイクルの彼女 (第四話)

【二十歳の秋】

 落ち葉が足元に積もっている。僕のチノパンと落ち葉の境界線がわからないほど馴染んでいる。
 僕は結局、どこのサークルにも入らなかったし、学科でも話せる人もいない。だからと言って成績もよくないし、バイトもしていない。
 彼女の予言はしっかり当たった。彼女はノストラダムスを超えた。ノストラダムスは二千年が来ることを予想できなかった。きっとノストラダムスは競馬も苦手だろう。大穴に大金をぶっこむタイプのはずだ。

 それでも僕にとって彼女の存在が唯一の光となっていた。彼女とは週に三回くらい会って、喫茶店で他愛のない話をする。

「ねぇ、良ちゃん。昨日の夜、テレビでやってた“世界かわいいアニマル映像百連発”観た? あれ本当に面白くてさ! 特番があると毎回観ちゃうんだよね」
 僕は口の中に含んでいた珈琲を吐き出しそうになった。あの類の番組、面白いと思って観てる人を初めてみた。
「いやいや、そういう話じゃなくてさ、もっと大学の話とか聞かせてよ」
「えー、本当に面白かったんだから。良ちゃんも好きだと思うな」
 このあいだの予言者と同一人物とは思えないくらい、僕への解像度が低かった。
「あと仮に私が大学の話をしても、良ちゃんは自分の大学の話をしてくれないじゃん」
 その通りだった。そもそも大学のことで話せるようなエピソードがない。朝一人で電車に乗って大学に向かう。毎日似たような講義を聞いて、それをノートにとる。たまにテストがあって、それに向けて勉強する。お昼は学食で一人で鳥マヨ丼を食べながらスマートフォンで漫画を読む。帰りも一人で電車に乗り、買う予定もない自己啓発本の広告を眺めながら家に帰る。そのルーティーンだ。
「もっと良ちゃんの大学の話が聞きたいのになぁ」
 そう言い残し彼女は、
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十一歳の春】

「ねぇ良ちゃん。私、今度、美術部で合宿があるんだよね」
 僕は美術部の合宿なんて必要なのか疑問に思った。大学のサークルの合宿なんてオールで酒を飲む口実だ。
「え、翔子ちゃんは参加するの?」
「え、するよ」
「それ、あんまり楽しくないんじゃない? 翔子ちゃん、カシスオレンジくらいしか飲めないでしょ」
「いや、良ちゃん、誤解してるかもしれないけど、そういうサークルじゃないし。あと私、最近、ビールも日本酒も飲めるんだから」
 僕の脳内にある彼女のアルコールメモが一年ぶりに更新された。僕はあの日からビールに挑戦していない。
「良ちゃん、ごめん、今日も飲み会があるから」
 そう言い残し、彼女は
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十一歳の秋】

「ねぇ良ちゃん。私、来年、美術部の部長になるの」
「え、すごいじゃん」
「まぁでもサークルで真面目に絵を描いているのは、私含めて三人くらいだからね。その中から選ばれた感じかな」
 彼女がサークルでそんな大役を任される活躍をしていることなんて、全く知らなかった。
「でも、翔子ちゃん。部長なんて勤まるの? なんか、人とかまとめるの苦手そうじゃん」
「良ちゃんよりは……いや、ごめん。なんでもない」
 そこまで言って取り下げるのは、もう最後まで言っているのと同じだ。
「あ、ごめん。後輩から悩みを相談したいって。私、行ってくる。ごめん良ちゃん」
 そう言い残し、彼女は
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十二歳の春】

「ねぇ良ちゃん。私、就職決まった。文具の商社なんだけど」
「え、すご。翔子ちゃん、就活ってどれくらいからしてた?」
 おめでとうよりも自分の一年後が不安になった。
「まぁ応募しはじめたのは最近だけど、就活説明会とかインターンとは去年の今ごろには結構行ってたかな。良ちゃんはもうどっかインターンとか行っている?」
「うん、まぁ最近ぼちぼちかな」
 僕は堂々と嘘をついた。何もしていない。“インターン”に関しては、それが何なのかすらわかっておらず、新しいポケモンだと思っていた。
「あ、ごめん、今、他の会社からも内定出ちゃった。ごめん、早いうちにお断りの連絡しなきゃだから、今日は帰るね」
 そう言い残し、彼女は
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十二歳の秋】

「ねぇ良ちゃん。私、車の免許とったよ」
 彼女は免許証を見せてきた。写真の彼女は眠そうにしていた。よく見ると条件のところに眼鏡着用以外の文字がなかったため、どうやらマニュアルでとったようだ。
「翔子ちゃん、車運転するの?」
「うん、まあ、将来のために一応持っておこうと思って」
「いやぁ、なんか翔子ちゃんの運転怖いな」
「大丈夫だよ。国が私を運転してもいいって認めてくれているんだから」
 僕には国から何か認めてもらっているのがあるだろうか。いや、国からじゃなくても誰かに認めてもらっているものなんてないかもしれない。
「ちょっとこのあと、車で部活のOBと出かけるから。あ、レンタカーの予約しなきゃ」
 そう言い残し、彼女は
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十二歳の冬】

「ねぇ良ちゃん。私、文具の商社の内定辞退しようと思うんだけど。どう思う?」
 彼女が意外な決断をしようとしていた。
「え。なんで」
「私、やっぱり絵を描くことを諦めきれない」
 僕はどう答えるのがいいのか慎重に考えた。ただどうしても彼女の内定辞退を嬉しく思ってしまう自分がいた。彼女が道を外せば外すほど、僕の立ち位置が相対的に上がる気がした。
「いいと思う。自分の人生一度きりだし」
 僕は胸の中の本音を隠しつつ、彼女の背中を押すいい彼氏を装った。
「良ちゃんって、本当に優しいんだね」
 僕は優しくなんてない。最低だ。
 僕と彼女の最低で最悪のすれ違いコントが始まった。

“良一→翔子が道を外したと思い喜んでいる”
“翔子→良一が背中を押してくれてと思い喜んでいる”

 絶対に必要のないテロップが脳内の画面に表示された。

「内定辞退の連絡するから、今日はじゃあね。良ちゃん、ありがとう」
 そう言い残し、彼女は
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十三歳の春】

 僕は就職活動の波に乗り遅れていた。彼女は去年のこの時期に文具の商社から内定をもらっているのに、僕は書類審査から面接にすら進めていない。そして彼女は、その内定を自分の夢のために辞退までしている。僕は受信ボックスに企業からの御祈りメールが届くたびに彼女の顔が浮かぶようになっていた。
 そんな中、今日も彼女と喫茶店に会うことになった。
 喫茶店には今日も僕が先にいる。しばらくしていつものようにドアがカランコロンと鳴った。
「ごめん、良ちゃん。待った?」
「いや、まぁ」
「どう? 内定でた?」
「いや、まだだけど」
「大丈夫だよ。良ちゃんはきっといいところから内定もらえるよ。良ちゃんの努力を私は知ってるから」
 彼女の無責任で軽すぎる言葉に僕は爆発した。
「あのさぁ。翔子ちゃんに僕の何がわかるんだよ」
「え……」
「内定すぐにもらったからって偉そうにしやがって。なんだよ、辞退してんじゃん。僕と状況一緒じゃん。それなのに何のアドバイスができるんだよ」
「ごめん」
 彼女はとても悲しそうな顔をした。ウェリントン越しの目の中を覗くと涙が溜まっているのがわかった。そこから一回も僕と目が合わなくなった。
 僕はようやく体の温度が落ち着いた。
「いや、翔子ちゃん、ごめん。言いすぎた」
「いや、謝らないで。私、今日は帰るね。お会計しておくから」
 そう言い残し彼女は
ーーレンタサイクルで去っていった。


【二十三歳の秋】

 あれから彼女と会っていない。本当に必要な連絡事項だけを取り合うだけになっていた。お互いに会うとなると気まずいのだと思う。
 彼女に普通に会うためにも早く内定を貰わないと。焦ってはいるが負け癖がつき、落ち込まないようになってしまった。
 いつも通り一人でキャンパスの研究室で作業をしていた。すると教授が声をかけてきた。
「良一くん、まだ内定出てないよね。もし良かったら、知り合いの役員がいる会社を受けてもらえないか。そんなに大きくない文具の商社なんだけどさ」
 文具の商社。いや、世の中にはそんな会社たくさんあるだろう。
「なんか、去年いい人採用したんだけど、内定辞退されちゃったみたいなんだよね。今年も人が集まらないみたいで。そしてさ、私のところで誰かいい人いないかって相談が来てさ」
 多分、彼女が辞退した会社だ。でも、受けることにした。僕のプライドはシルバニアファミリーのコップくらい小さくなっていた。


【二十三歳の冬】

 凍える風も落ち着きそうな気配を感じる。僕は教授から紹介をもらった文具の商社から、すんなり内定をもらった。
 経緯はどうあれ、これで彼女と顔を合わせられる気がする。彼女にとても会いたかった。
 彼女に送ったLINEは二時間後に既読がついた。彼女も僕に会いたいと言ってくれた。

 いつもの喫茶店に着くと彼女が先に席に座っていた。僕の方が後に着くのは初めてだったと思う。
「翔子ちゃん、もういたんだね。待った?」
「ううん、私も今来たところ」
 久々だからか、会話が弾まない。
「あ、そう。ようやく内定でた」
「えー、良ちゃん! おめでとう! いや、私、前回、無神経なこと言っちゃったから聞けなくて。本当に嬉しいよ」
「ごめん翔子ちゃん。気をつかわせちゃってたんだね」
「ううん。全然」
 僕は少し間が空いて、彼女が話を切り出した。
「せっかく良ちゃんが内定出たんだし、今度デート行こうよ。動物園とか」
 デート。思えば僕らは、会えば喫茶店でお茶をするくらいで、客観的にみてデートと呼ばれるようなことはしていなかった。それまでの僕らはただ“付き合っている”というだけだったのかもしれない。
「良ちゃん、上野動物園とかどう? 私、パンダが観たいんだよね」
「あぁ、いいじゃん。行こうか」
 来週末に僕らは交際六年になって初めて、デートに行くことになった。

「パンダあんまり見えなかった! あんなの一瞬じゃん! 写真もちゃんと撮れなかった!」
 デートの帰り道、彼女はぶつくさ文句を言っていた。
「日曜日で人が多いから仕方がないよ」
「エミューしか撮れなかった! 家帰ってエミューの絵を描くしかないじゃん!」
「エミューだって全然いいじゃん」
 僕は彼女をなだめたあと、今日、彼女に相談したかったことを切り出した。
「あのさ……」
「何、良ちゃん。急にそんなかしこまって」
「来月からさ。一緒に住まない?」
「え」
「配属が東京なんだけどさ。翔子ちゃんも東京で絵を描かない?」
「え……、うん。東京に住む。東京でエミューの絵を描く」
「ありがとう。てか、なんだよ。エミュー好きなんじゃん」
 彼女は笑いながらも、目に涙が溜まっているように見えた。

 彼女はエミューの悪口と新居のプランを交互に言い、
ーーレンタサイクルで去っていった。



第一話
第二話
第三話
第五話
第六話/最終回

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