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【創作大賞2024】レンタサイクルの彼女 (第二話)

【十九歳の夏】

 エアコンの風が参考書のページをめくる。
 青チャートを置くには狭すぎる机が並ぶ自習室にも少し慣れてきた。彼女は晴れて大学生となり、僕は予備校生となった。
 高校生のころと変わらず、友人と呼べるような人はできていないが予備校生という立場なので気にならなかった。そういう意味では“予備校生”という肩書きは最強である。
 今日は息抜きに彼女と会う。彼女は七月なのに師走のような忙しさのため、顔を合わせるのは一ヶ月ぶりだった。いつも喫茶店で軽く話をするくらいで、デートらしいデートはできないが、それでも僕は満足だった。
 今日は微分積分の章までこなしたかったが、集中が切れたので早めに自習を切り上げた。

 いつもの喫茶店で彼女を待つ。最近、眠気覚ましに飲んでいるからか、アイス珈琲が美味しく感じるようになってきた。
 グラスの氷を四回くらいかき混ぜたあたりでドアがカランコロンと鳴った。彼女のオーバル眼鏡が見えた。なかなか僕に気づかないので、彼女を呼んだ。
「あ、翔子ちゃん、こっちこっち」
 喉が閉じていて、これが今日初めて発した言葉だと気がついた。
「あぁ、良ちゃん、こっちにいたんだね! ごめんごめん!」
 彼女は僕のことを“良ちゃん”と呼ぶようになった。“大学生”と“予備校生”で立場が変わったからなのか。
「あのさ、眼鏡替えたら?」
「ごめんって! そんな怒らないでよ!」
彼女はいつも通りの笑顔で謝罪した。

 彼女は手荷物がとても多かった。

  • リュックサック

  • 大きいトートバッグ

  • プラスチックの筒

  • 中くらいのトートバッグ

  • 大きいトートバッグ(二個目)

「翔子ちゃん、荷物多くない?」
 僕は思わず言った。
「これは、レポートが入ってて、こっちは筆記用具が入っていて……」
 彼女がダラダラと説明を始めた。僕は一番気になっていたアイテムについて食い気味に聞いた。
「そのプラスチックの武器みたいなの何?」
「武器? あぁ、これ絵を入れるケース。折れないように丸めて入れるの」
 彼女は得意げに答えた。
「あれ、絵を描く授業あるんだっけ」
「ううん、学科では書けないから美術部に入った」
「そうなんだ。軽音学部より似合うよ」
 彼女との久々の会話は楽しい。でも前ほどは楽しく感じなかった。平等に歳をとっているはずなのに。今の僕は彼女の背中を見るのがやっとであった。
「翔子ちゃんこの後、夕飯でも食べに行かない? 奢るよ」
「ごめん。今日この後アルバイトだから。あ、てか、もう行かなくちゃ。ごめん、また話そう」
 タイミングを逃し、何のアルバイトをしているのかも聞けなかった。
 彼女は多すぎる荷物を一瞬で背負い、
ーーレンタサイクルで去っていた。


 エアコンの風がより一層強くなる。季節外れのカーディガンを羽織った。
 彼女と、次に会うのは一週間後。部活とアルバイトが忙しいとのことだった。そういえば何のアルバイトをしているのだろう。候補を考えた。

  • 居酒屋
    彼女は右手と左手にグラスを一個ずつしか持てず戦力にならないだろう。

  • ファミレス
    彼女は皿を毎日割ってしまうだろう。

  • コンビニ
    今のコンビニって取り扱うことが多い。彼女がガス代の支払いの処理できるのだろうか。

  • スーパー
    なんとなくしっくりくる。どこのスーパーかな。まいばすけっとか成城石井っぽい。

 僕は最終的に成城石井でファイナルアンサーした。エンジ色のエプロン姿の彼女を想像した。似合う。僕が知る彼女のどんな服よりも。
 彼女のゆっくりのレジ打ちを想像して、二人目に並ぶ客がイラつく姿まで浮かんだ。
 やっとレジ打ちが終わり、お会計で小銭を受け取ろうとして床にばら撒いてしまったあたりで、僕の参考書が床に落ちた。
 参考書を拾ってどこまで進んだか思い返す。今日は三問しか解いていなかった。筆箱からは消しゴムすら出していなかった。
 エアコンの冷たい風がカーディガンをも突き刺した。


 冷たい風がより脅威を振るう。誰かクレームを入れないのだろうか。
 僕は成城石井でトチりまくる彼女を想像して安心していた。
 今日はあの日以来、彼女に会う。やっとアルバイト先の答え合わせができる。
 彼女と会う日は自習が捗らない。今日は参考書すら開かずに勉強した気になっていた。もう今日の自習は諦め、彼女との待ち合わせの喫茶店に向かった。

 アイス珈琲の氷が溶け切ったのと同じタイミングで喫茶店のドアが開いた。
 彼女はこの間の再放送のように僕に気づかずに横切っていった。
「あ、翔子ちゃんこっちこっち」
「あぁごめん。早いね。良ちゃん、まだ予備校で自習しているかと思った」
 僕は少し頬を引きつった。彼女の話題にすり替えるために、さっそくアルバイトのことを聞いた。
「最近どう? 成城石井のアルバイトは?」
「え、成城石井? 違うよ私、写真屋だよ」
 似合うけど予想していない答えだった。
「写真屋って、何をするの?」
「お客さんが撮ってきた写真のデータとかフィルムを現像して写真にする感じかな。何種類かの薬剤が入った機械を操作するの。色味調整とかも私がやってるんだよ。すごくない?」
「へぇ、すごいかも」
 彼女の説明を聞いても全く画が浮かばなかった。これからはトチりまくる彼女を想像することができなくなった。
「でも翔子ちゃん、写真好きだったっけ?」
「いや写真は好きでも嫌いでもないけど、家から近いから」
 コンビニバイトの志望動機みたいだった。

 写真屋の質問もこれ以上膨らませられなかったので大学の話題をふった。
「翔子ちゃん、大学ってどう?」
「楽しいよ。高校までは全然楽しくなかったけど。ようやく自分の居場所を見つけた気がする」
 彼女は予想通りの回答を返してきた。でも僕が欲しかった答えではなかった。彼女の目は、オーバル眼鏡ごしでも輝いているのがわかった。
 彼女の目の中の輝きの一つ一つが黒目の中に映し出されている。レポートに追われる時間。お昼休みに友人とスイパラに行く時間。部活でみんなで絵を褒め合う時間。アルバイト先で常連さんのウンチクを聞く時間。たくさんの時間が輝きに溢れていた。
 でもその輝きの中に僕はいなかった。
 僕は彼女に提案した。
「翔子ちゃん、あのさ。僕が大学生になるまで、会うのやめようか」
 「え」
 「いや、予備校生だしさ、勉強に集中しないといけないからさ」
 「うん、そうだよね。良ちゃんの勉強の邪魔になっちゃいけないもんね」
 もうひとラリーくらい期待していたが、彼女はあっさりと容認した。
 勉強に集中したいというは嘘ではない。でもそれ以上に充実している彼女を見たくなかった。野暮ったくてドジな彼女が好きだったのかもしれない。
 バイトがないはずなのに、先週と変わらない時間にお別れをすると彼女は、
ーーレンタサイクルで去っていった。



【十九歳の秋】

 エアコンが暖かい風に変わった。
 彼女と会わなくなって数ヶ月が経った。僕の模試の結果は良くなった。彼女と会わなくなって正解だった。
 予備校でも目立つ存在ではない僕に、クラス担任が声をかけてきた。
「良一くん、最近頑張ってるな。この調子でいけば、ワンランクかツーランク上の大学も見えてくるんじゃないか」
「え、あ、ありがとうございます。いや、でも、たまたまだと思います。すぐ成績戻ると思います」
 褒められ慣れていないので必要以上の謙遜をしてしまった。でも褒められたのは素直に嬉しかった。大人に褒められたのはいつぶりだろう。
 記憶を小学三年生まで遡る必要があった。

 その日、図工で風景画の授業があった。とりあえず家の近くの山の絵を描いた。よく晴れていて、陽の光が緑色に見えた。僕はそれを正直に絵に収めた。すると授業終わりに図工の先生に呼び出された。
「良一くん、君の絵はすごいね」
「え、いや、僕、下手な方だと思うんですけど」
「いやいや、すごくいいよ。確かに良一くんより写実的に描ける生徒はたくさんいると思う。でも私も教師生活していて二十年くらいだけど、太陽を緑に描く生徒は初めてだな」
 人生で初めて褒められた僕は、どんな顔をしたらいいかわからなかった。
「ありがとうございます」
 僕はなるべく得意げにならないように、シンプルなお礼を伝えた。
 その後、絵は市のコンクールに応募されることになった。結果、銀賞となり僕は表彰された。

 次の年、図工の先生が変わった。僕は昨年の成功体験の元、図工の時間だけはのびのびとしていた。今回も得意な風景画の授業。授業終わりに去年と同じシチュエーションで先生に呼び出された。
「良一、お前ふざけているのか」
 第一声から想定外だった。
「え、いや、なんでですか」
「絵の色、ふざけているだろ。太陽は赤。山は緑。こんな赤ん坊でもわかること言わせるなよ」
「いや、ふざけてないです。そう見えたんです」
「屁理屈ばかり言いやがって。じゃあ、お前にはいい成績はつけられないな」
 その日から僕の絵は矯正され、ただの下手くそな絵と成り下がった。それ以来、大人から何も褒められることがなくなった。
 僕の煌めきは蛍の光のように一瞬だった。
 大学に合格すれば、また銀賞以上の名誉がもらえるだろうか。
 小学三年生以来、また光る日を待ち続けてている。


【十九歳の冬】

 寒空の下だが電車の中は暑かった。去年、彼女と行った大学の合格発表へ向かう。彼女も「一緒に行こうか」と言ってくれたが、僕は断った。
 車内でダッフルコートを脱ごうとしたときに、内ポケットにまだ去年の受験票が入っていたことに気がついた。縁起が悪いと思ったが、そこまで気にならないくらいテストの手ごたえがあった。
 電車から降り寒空に放り出された。
 会場に着くと去年の景色がフラッシュバックして、うっすら緊張した。
 去年、注意されたのか、今年は十時ちょうどに番号が発表された。
 たくさんの数字が並ぶ。大勢の人が数字を見つめる。
 数字を順番に追うと、僕の番号はすぐに見つかった。
 ホッとしたの同時に、僕は胸が苦しくなった。
 別の大学からも合格が出ていたからだ。

 最後の全国模試の後、予備校のクラス担任との個別面談があった。
「良一くん、ここだけ受けるのはもったいないよ。全然もっと上いけるよ」
「本当ですか。いや、でも」
「絶対、その方が君の将来のためになるから」
 僕はクラス担任に勧められるがまま、いくつか名門と呼ばれる大学を受けた。
 すると僕は、地元の名門大学にあっさり合格してしまった。

 僕は最後まで迷っていた。彼女と同じ大学に進む道と名門大学に進む道。
 僕は結局、クラス担任の熱意にうたれ名門大学に進む道を選んだ。
 クラス担任のせいにしたけれど、自分の意思は最初から名門大学で、ただ背中を押してもらっただけなのかもしれない。本当は埋まることのない彼女との学年の差を、大学の偏差値の差で縮めようとした。
 ダッフルコートの中にある去年の受験票は、文字が読めないくらいクシャクシャになっていた。



第一話
第三話
第四話
第五話
第六話/最終回

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