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【創作大賞2024】レンタサイクルの彼女 (第一話)

【あらすじ】
 十七歳の夏。良一りょういちは、何一つ楽しくない高校生活を送っていた。そんな中、帰り道で絵を描く同級生の翔子しょうこと出会う。彼女も良一と同様の高校生活を送っていた。二人は必然的に惹かれ合った。しかし大学進学をきっかけにお互いの気持ちが少しずつすれ違っていく。二人の何気ない日常を描く。
 彼女はレンタサイクルで去っていく。



【二十四歳の冬】

 カレンダーをみて、床がもう冷たいのを感じた。彼女が家を出てから一週間は経つだろうか。

 晴天の霹靂へきれきだった。
 二人が別々の方向に進む選択のスイッチは僕が握っていると思っていた。でも彼女も同様に同じスイッチを持っていて、それを押したのだった。
 彼女とはなんとなく、このまま一生を添い遂げると思っていた。僕の人生はいつも上手くいかない。彼女は僕に不満を持っていたのだろう。まぁ、一緒に住んでいれば大なり小なり何かはあったと思う。
 ただ僕だって彼女に不満がなかったわけではない。

  • 牛乳パックの口を毎回逆から開けること

  • 自分で安物のラップを買っておいて「使いづらい」と文句いうこと

  • andymoriを知らないのに“すごい速さ”を踊る女子のショート動画を観ていること

  • M-1の準決勝を観ていないのに「和牛が落ちるのはおかしい」と意見していたこと

 挙げればキリがない。
 それでも、まだ彼女の車輪の音が耳に残っている。レンタサイクルの車輪の音。


【十七歳の夏】

 少し強い風が、山の上で無秩序に生えた木々を揺らす。この程度の風でも桶屋が儲かるのだろうか。頭の中で連立方程式をたてながら、そんなことを気にしながら歩いていた。
 僕は高校から家までの帰り道、できるだけ学校生活のことを考えないようにしている。
 音楽プレイヤーで聴いていた曲がサビにさしかかったことに気づいて、小道にちょこんとたたずむイスに座った。
 サビが終わったけれど、すぐそこの家に帰るには体力がありすぎている。そのまま二番のサビも聴くことにした。
 二番が終わったところで、目の前に同じ高校の制服をきた女子がいることに気がついた。オーバル型の眼鏡をかけている。髪は天然だと思われるゆるやかなウェーブがかかっていて肩より少しだけ長かった。僕の方をみて何か話しかけようとしている。
 イヤホンを外すと彼女の言葉を聞こえた。
「そこで、何かされますか」
「え、いや、特に」
 僕は“音楽のサビを聴いています”とは、とても言えなかった。
「あの、申し訳ないんですけど……。そこ、どいてくれませんか」
 イヤホンを外してしまったことに後悔した。こんなことであれば無視して三番まで聴けばよかった。
「あ、すみません。でも、何かここ使うんですか」
 場所を譲る正当な理由があるかだけが知りたくて、一応質問した。
「あ、いや私、ここでいつも絵を描いていて……。いや、あ、ていうか明日描けばいいですよね……。すみませんでした」
 そう言い残して彼女は、
――レンタサイクルで去っていった。


 昨日よりも山の木々が揺れている。でも、桶屋のことよりオーバル眼鏡の彼女のことが気にかかった。いつもは必ず耳につけているイヤホンはポケットの中でからまったままだ。
 もし彼女が小道のイスにいたら、絵を描くことを邪魔してしまったことを謝ったほうがいいのだろうか。いや、謝ると余計に彼女に罪悪感を与えてしまうかもしれない。
 そうこう考えているうちに昨日のイスが見えてきた。
 数メートル先に絵を描いている彼女の姿が見えた。眼鏡の度があっていないのか、かけたり外したりを繰り返している。裸眼の状態の彼女の目は想像よりもキリッとしていた。出来杉くんみたいだった。
 声をかけないと不自然な距離まで近づいたため、とりあえず話しかけた。
「あの、その、絵、上手ですね」
 謝る謝らないの二択を忘れ、ただただ話しかけてしまった。二択は彼女に話しかけるために生み出した免罪符だったことに気づき、顔が赤くなった。
「え、あ、ありがとうございます」
 彼女が微笑んでくれたことにホッとした。
 言葉が先に出てしまったが、彼女の絵は本当に上手だった。油絵なのにぼんやりした印象を感じないほど写実的に細かい書き込みがされている。それと同時に、色づかいが独特で幻想的な空気が漂う。特に光の表現が印象的だった。
「美術部なんですか」
「いや、前まで美術部には入っていましたが、今はもう辞めていて」
 気まずくなりそうな空気を感じ、すぐに話題を逸らした。
「ここから見える山を描いているんですか」
「はい、私、ここから見える景色が好きで。上手く説明できませんけど、自然って感じがすごくよくて」
「僕、家近くなんですけど、木が整ってないだけで、そんないいものと思ったことないですけどね。そもそも埼玉県ってだいたい景色一緒じゃないですか」
 言い終わってすぐに発言を後悔した。でも彼女は笑っていた。
「あの、もしよろしければ、またここに寄ってくれませんか。ここ私オススメの絶景スポットなんで」
「え、あ、まぁ」
 返事の最適解を探していると、
「あ、いや、忙しいですよね。すみません」
 そう言い残して彼女は、
――レンタサイクルで去っていった。


 今日は山の木々が揺れていない。桶屋は赤字で倒産した。でも、そんなことはどうでもよかった。
 帰宅部の僕は忙しいわけがないので、いつもの小道へと向かった。ただ暇だと思われるのは嫌なので、高校から配布された英単語帳を読むフリをして歩いた。
「来てくれたんですね」
 僕が気がつく前に彼女の声がした。
「まぁ、家から近いので」
 僕は家からの距離を強調して答えた。
 彼女は僕の手元を見て明らかに嬉しそうにした。
「え、二年生? 学年一緒なんだ!」
 彼女の突然のタメ口に鼓動のペースが上がった。
「あ、いや、英単語帳、一緒だと思って!」
 彼女は嬉しそうな表情を続けたまま、カバンから同じ英単語帳を取り出した。付箋がたくさん貼られており、かなり使い古されている。対照的に僕の英単語帳は、メルカリで新品と偽って売れそうなくらい綺麗だった。
 早まる鼓動を落ち着かせるように努めながら、会話を続けた。
「文系クラスなの?」
 さりげなく僕もタメ口にしてみた。
「そう。私、文系。数学とか苦手だから」
「あ、そうなんだ。僕、理系。数学は数式覚えればいいだけで楽だからね」
 彼女は僕のタメ口もすんなり受け入れ、会話を続けた。
「あの、名前はなんて言うの?」
「あ、えっと。僕、良一りょういち
 慣れない異性との会話に、本当に名前だけを返してしまった。
「苗字言わないんだ。良一くん面白いね。私は翔子しょうこ
 彼女も名前だけを返してきた。しおらしくみえた彼女にも意地悪な一面があるようだ。
「良一くん、明日も来てくれるかな」
 彼女がナチュラルにタモリみたいなことを聞いてきた。“いいとも”とは返せなかったが、明日も行くことを約束した。
 約束の後、彼女は、
――レンタサイクルで去っていった。


 山の木々が揺れるが桶屋はもうない。僕はいつもどおり小道へ向かった。
「あ、約束通り来てくれた!」
 いつも彼女の方から僕に気づいてくれる。
「いや、翔子ちゃんの絵の進捗が知りたくて」
 本当は彼女の絵の進捗なんてどうでもいい。
 彼女は無邪気に微笑みながら、僕に聞いた。
「いつも一人で歩いてくるけど、良一くん、友達とかいないの?」
 不意の問いに時間が止まった。僕が一番聞かれたくないことだった。
「いや……まぁ……帰る方向が違うけど……クラスには……」
 口から出まかせに返答したが、動揺で目が泳いだ。
「いいなぁ。私、友達一人もいないんだよね。もう二学期なのにね。ウケるよね」
 彼女も僕と同じだった。でも今は嘘を訂正しないことにした。あと“ウケる”って言葉が彼女には似合ってなかった。
 僕が次の話題を探そうとしたら、彼女が思い切ったように話を切り出した。
「良一くん。もし、よかったらだけど……お付き合いとかしてもらえないかな……」
 発言と同時に風が止み、僕は体温調節の方法を忘れた。
「私、あの、友達いないからさ。なんていうか、高校に入って、全然楽しくなくて。だから、こうやって話している時間が楽しくて。だから、その、この時間がずっと続けばいいなぁなんて。いやでも、そうだよね。ダメだよね。普通にね」
 彼女が急に早口になった。途中スキャットマン・ジョンかと思った。
「あ、はい、うん。そういうことなら」
 額が濡れたことで体温の調整方法の一つが“汗”だということを思い出した。僕は汗を拭きながら承諾した。
 彼女は正式に“彼女”になった。
 お互いの連絡先を交換したあと、彼女は、
――レンタサイクルで去っていった。


【十八歳の夏】

 僕らが付き合ってから一年がすぎた。
「すみません。コーラとアイス珈琲を一つずつで」
 僕たちは受験勉強をするため、放課後に喫茶店で集まるようになった。彼女は元々、東京にある美術大学を目指していたが、僕と同じ大学に進むために家から通いやすい埼玉県内の一般大学を目指した。というか僕がさりげなく促した。
 今日は模試の結果が返ってきた。
「お、二人ともA判定。一緒に入るサークルとか考えておこうか」
「私、思いきって軽音楽サークルとか入りたいな。ギターとかやろうかな」
「翔子ちゃん、ギターのイメージ全然ないわ。フルートとかが似合いそうじゃない」
「えー、どういう意味、それ」
 オープンキャンパスでもらった大学の冊子を読みながら、周りにはノイズでしかないであろう声量で会話を続けた。
「にっが! 何これ」
 僕の口の中で想定外の苦味が広がり、彼女のアイス珈琲を間違えて飲んでしまったことに気がついた。
「あ、そっちが私が頼んだやつだよ」
「まじか。まあまあ飲んじゃった」
「えー! じゃあ良一くんのコーラを同じくらいちょうだいよ」
「嫌だよ、コーラは僕が頼んだんだから」
「なにそれ、ケチ」
 高校生とは思えないほどの膨れ顔をした彼女は、
――レンタサイクルで去っていった。


【十八歳の冬】

 雪が降っていないだけよかった。
「大丈夫かな。二人とも受かっているかな」
 大学の合格発表に向かう電車で彼女は何度も言った。僕は平然を装っていたが、彼女以上に緊張していた。テストが思ったより解けなかったから。それでも例年の合格ラインには到達しているとは思っていたが、数学の三角関数のところで大きくつまずいた感覚があった。
 会場に着くと僕らと同じ境遇の人が同じ会場に大勢いた。高校のクラスメイト達とは違う雰囲気の人が多い。少しだけ気持ちが和んだ。
 予定されていた十時よりも数分フライング気味に合格番号が公開された。
「あ、あった! よかった」
 彼女は番号を早々に見つけた。直前の模試でA判定だったくせに泣いて喜んでいる。
 僕は番号を見つけることができなかった。
「大丈夫。良一くんの番号もきっとあるから、もう一回探してみなよ」
彼女が何を言おうと僕の番号はない。すでに五回は繰り返し探している。僕の前後の番号は載っているので間違いない。彼女の無責任の優しさが僕を何回もリングの上にあげてはボコボコにタコ殴りする。

 帰りの電車は彼女は何も喋らなかった。逆に僕は彼女との会話の間を埋めるように、いつもより喋った。
「まぁ長い人生、こういうこともあるよな。正直、受かってなかったと最初から思っていたんだよね。数学の三角関数のとこと、あと英語のリスニングのとこ、あんまり自信なかったし、まぁ、こんなもんだよね」
 今度は僕がスキャットマン・ジョンみたいになっていた。
 それでも彼女はずっと黙っていた。
 側からは、僕と彼女の合否の結果が逆に見えているだろう。
 電車の揺れる音と僕のピーパッパパラッポだけが車内に響いた。
 電車から降りると、彼女は「またね」とだけ言い、
――レンタサイクルで去っていった。



第二話
第三話
第四話
第五話
第六話/最終回

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