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2011.3.11人生分岐点

東日本大震災の前にリストラで職場を失い、関東に住み続ける理由がなくなった。

では、なぜ今でも関東に住み続けているのか。

それを説明するためには、私の生い立ちについて少し触れる必要がある。

私は、福岡市西区で生まれた。母親の実家が福岡なのでいわゆる里帰り出産というもの。

その頃、両親は東京の自由が丘に住んでいた。生まれたばかりの私もそこに住んだそうだが、当然ながら全く覚えていない。

その後、千葉県の市川市へ引っ越して幼稚園卒園までを過ごして千葉市へ引っ越す。中学2年の頃に父親の仕事の都合で福岡へ引っ越すことになった。

私は千葉の友人と一緒に過ごしていくものと思っていたので、引っ越すことが決まった時はその現実を受け入れることができなかった。

家族が九州へ先に移動して1週間くらい友人の家を転々として、福岡への移動を先延ばしにする無駄な抵抗をしていた。

福岡市の中学校に転校した時「大人になったら千葉(東京)へ出て働く」。そう決めていた。

実は、もうひとつ関東で働くことにこだわっている理由がある。それは、父も叔父も東京に敗れて九州へ帰った過去があったことを知った。俗に言う「都落ち」をしているのだ。

だから私は、関東に残って大成功とまではいかずとも成し遂げたいという気持ちがあるのだ。父と叔父のリベンジをしたいという気持ちである。

話を戻します。

失業保険を受給するべく、ハローワークへ手続きへ行った日のこと。職業訓練というものがあることを職員さんから案内してもらった。

職業訓練の詳しい説明は割愛するが、学びながら失業保険を受注することができるシステムだ。いくつかのコースの中から「Webクリエーター養成6ヶ月コース」に興味を持った。

ちょうど締め切り2日前くらいだったと思う。即決しないと応募に間に合わない。とりあえず書類を揃えて申し込みをすることに。

倍率は7倍という。もし落選したら福岡へ帰ろう。そう決めていた。

結果は当選。まだ関東、東京でがんばれ。そう言われているような気がした。

それから、紆余曲折いろいろなことがあったが、今もまだ関東に残って仕事をしている。

しかも、第二のふるさとである千葉を中心に。

力不足で思うようにならないことばかりだけど、なんとか日々を過ごすことができていることに感謝。

2011年3月11日を境に人生が多く変わった人はたくさんいると思います。私の経験なんて、たいしたことありません。

でも、自分にとっては大きな分岐点だったと思うのです。選択肢ひとつ違っていたら今の自分はなかったことでしょう。

3日にわたって連載のようなカタチで書きました。読んでくださった方、ありがとうございます。

最近、自分の存在が儚いものであるような気がして胸の奥がシュンとうずく日々です。

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それでは、今回はここまで。

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