実力や能力を推し量る指標と楽しむ工夫
自分に負荷をかけようとして、あれやこれやと新しいことを始めている現状があるのだが、キャパシティのギリギリにきている感じがする。
キャパシティという言葉は、受容力として理解していたが、もうひとつ「物事を受け入れる能力」というの意味も含んでいることを改めて認識した。
おそらく「ちょっと頑張ればできる」くらいの課題を自分に与えていると、小さな成功体験を重ねることができるようになる。
そして、挑戦することが楽しくなっていく。
やはり、新しいことを始めるにあたって、楽しくなければ続かない。
もし、何かを始めたいと思っているのに、続かないのであれば楽しくないからではないだろうか。
楽しくないのに、義務感であったり頭で考えている「やったほうがいいだろう」という理屈は大抵持続しない。
本当にやりたいのであれば、「それはしてはいけない」と言われても、やりたくてどうしようもない衝動にかられているはずだろう。
楽しくする工夫
また、やろうと決めたことが続かない場合、楽しくする工夫が足りないこともよくあるケースだ。
僕らは学校教育の中で、宿題とか決められた時間割の授業、運動会などのイベントやクラブ活動など、自由に選択することができない状況を強いられて育ってきた。
なので、知らぬうちに自分にも「やらなくてはいけないから、とりあえずやれ」みたいなことをさせていないだろうか。
別に楽しくする工夫に限られた話ではないが、何にしても工夫は必要である。
お金があればやる。
時間があればやる。
じゃあ、お金がないなりにどうしたらいいのか。
時間がないなりにどうしたらいいのか。
制限をつける人とは、基本的に付き合いたくはない。理屈じゃないんだよ。やりたいということに関しては。
寝食忘れるくらいに没頭するくらいになるんじゃないのかな。
寝ずにやれ。メシ食わずにやれ。
と言っているわけではない。自らそうなっていくものではないの?と
提起しているだけだよ。
本当にやりたいなら考えるでしょう。
条件つけて後回しにしてたら、あっという間にまたお正月が来ます。
僕は基本的にバカだから、バカなりにどうしたらいいのか工夫をするしかない。
工夫できないなら、敗者の人生を甘んじて受け入れるしかないだろう。
どうせ、何もしなくても負けるんだから、何かした方がいい。何かに挑戦した結果が負けなら僕の人生は負ける人生なんだよ。
負けにも価値がある。負ける役割があるから勝者が生まれる。それだって実は役に立っているんだよ。
無価値なものは基本的には存在しないのだから。
それでは、今日はここまで。
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