自分がいま、ここにいるワケ
新しいことを始めようとしている。
昨日のnoteに書いたのだが、新しいことというのは社会や人々に寄与できる企画ということが大前提。
もちろん、自分ができること、やりたいことに合致している必要がある。
そうでなければ、身命を賭して取り組むことはできない。
サーバーやインターネット、パソコンの仕組みをもう一度しっかり理解しようと思い、以前挫折した情報処理技術者試験(基本)のテキストを読んでみた。
文系ド真ん中の僕は、数学が大変苦手である。
音響の世界へ憧れていた学生時代も、音響に数学が必要だということすら知らずにその道へ進み、言うまでもなく挫折した。
話を戻そう。
基本情報技術者のテキストを読んでも、2進数やコンピューターの回路の部分でもうすでに良くわからない。
良く分からないけど、コンピューターは2進数の論理演算に基づいた論理回路を組み合わせて、複雑な制御を可能としている。
ということは、なんとなく理解できた。
まあ、これでいいや。エンジニアになるわけではないし。本質が理解できていれば充分だ。
以前の僕だったら、分からない自分を責めて、ダメだしをしていた。分かる人間と比較をして自分が劣っていると言うことを証明しようとしていた。
なので、自分自身の奥底にいる小さな僕はだいぶ僕のことを信用していなかった。
そう、過去のオハナシ。
小さな僕はむちゃくちゃなことをさせたり、無茶なことをやらせた挙句に結果が出ないとものすごく貶して攻撃をする僕のことをかなり警戒していたし、嫌っていたのだと思う。
だって、自分自身を好きになれずに、嫌っていたから。
小さい僕だって、僕のことを好きになれずに嫌っていたんだと思う。
これだけいろいろなモノが存在している世の中において、すべてのことが理解できると思っていることが、どれだけ高慢なことか。
分からないことがあるということを分かっていない。
その時点で、もう理解していない。そのことについても分かっていない。そこに気がついていない。そこにいたらおそらくずっと気づかない。
だから、分からないことは分かる人に任せたらいい。
人には役割というものがある。
堅苦しくいうと「使命」と言えるかもしれない。自分の役割はなんなのか、与えられた使命はいったい何だろう。
僕は基本的にツラかった経験や嫌だった、忘れたい過去は自分の役割に気づくため、与えられた使命を思い出すために起こるのだと考えている。
痛みを知ると人に優しくできるでしょう。
それが、困っている人を助けることができる、きっかけになるのだと思う。自分のような思いや経験を他の人にさせたくない。
でも、多くの人を救えるかなんて分からない。
だから、一人でもいい。
一人をもし救うことができたなら、その後は一人でも多くの人の助けになるように行動していけば、人生の価値が見出せるかなと思っている。
救うというとすべてにおいて助けるみたいな感じに捉えられちゃうかもしれないけど、手を差し伸べることだったり、土壌を設けて人を受け入れることで、そのきっかけになれたら。
「土壌を設けて人を受け入れる」ということは、同じように悩んでいて、でも何かの役に立ちたいと思っている人と社会や人々のために一緒に働くことかな。
そのためには、仕事を作らなくてはならない。こういった気持ちがフツフツと湧き上がってきている。
自分が生まれてきた理由は、これなんじゃないかな。って、最近は確信が持てるようになってきた。
だから、今までうまくいかなかったんだ。「はやく気づけ」って小さい僕は教えてくれていたんだね。
やりますよ。5月からプロジェクト始動です。
それでは、今日はここまで。