苦手を克服するくらいなら長所を伸ばそう
向上心があることは良いことだけど、日本人は短所を克服することだけに焦点をあてがちではないかと思う。
悪いところは直します。性格の欠点を直します。ということを軽く考えていないだろうか。
短所は基本的に直らない。というか、「直す」という概念が的外れではなかろうか。
少し考えてみて欲しい。
まず、短所を根絶することは難しいと思う。
それは、長所と短所がセットになり、あなたという人間が形成されているという考え方であるから。
無理に短所を修正しようとすると、バランスが崩れて長所に影響を及ぼしてしまう。
人も例に洩れずに表裏一体であるので、片方の短所に修正の手を入れるとなると、バランスを取ろうとして一方の長所にも変化があるのではないかという持論だ。
それならば、短所は開き直ってそのままで良いのか。という訳ではない。
長所で短所を補うという考え方
もちろん、それなら長所を伸ばせば短所にだって影響があるはずじゃないか。とお思いになるだろう。
それが、狙いである。
マイナスである短所に焦点を合わせて、修正をしようとするとマイナスの影響が長所にも作用されてしまうのではないかということだ。
それでは、プラスである長所を重点的に伸ばす、幅を広げることによってプラスの影響を短所に及ぼすことができるのではないだろうか。
長所は場面によって、短所として捉えられてしまうこともある。
例えば、「正義感が強い」ことが長所であるとする。
大勢の場で意見をぶつけて、ひとつの判断を採らねばならない場面では、正義感が強い人が意見を押し通そうとすると、「頑固」や「自己中心的」となってしまう。
一方の短所においても、場面によって長所としてその一面を見せることもある。
「人の悪口ばかり言う」ということを欠点だとするならば、それは「欠点を指摘することができる目」を持っている。
と置き換えることができるではないだろうか。
「ビビリ屋さん」は「リスクヘッジができ、大きな失敗を避けること」ができる能力となり、「おせっかいさん」は「他人に与える満足度を追求している」。
というように、それぞれを一長一短で使い分けることができるため、長所や短所として区別する必要はないのである。
短所を克服しようとして、辛い思いをしているのであれば長所を伸ばしてみよう。
長所を伸ばすことで、あなたが疎ましく思っている短所もきっと愛することができるだろう。
これが、自分自身そのものを愛するということに繋がる第一歩であるから。
それでは、今日はここまで。