一歩ずつ一歩ずつ少しだけでも前へ進んでいこう

今日はクライアントの作業に追われてブログの記事を更新できなかった。

利益を追求しようとすると、自分の将来に向けた作業まで手が回らない。最近のジレンマはこれだ。

やらなくてはいけないことは分かっているのだが、実績や目先の利益も追わなくてはという気持ちになる。

いっそのこと割り切ってしまえば楽だし、楽しいのかもしれない。

そういえば、「らく」も「たのしい」も同じ漢字(楽)で表現するんだね。

楽だと楽しいのか?

楽しいのが楽なのか?

それでも、今日できなかったことは明日やればいい。

これは考え方のひとつで、今日何もしなかったわけではないから、明日に期待しようという意味なのである。

そう、自分の都合のよい解釈なのだ。それでいいのだ。

5月に入って新しいことを始めると明言していた。少しづつそれに向けた動きはしているのだが、やはりスピードが遅い。

ひとりですべてやっているので、効率良く動かなくてはならない。

しかし、効率ばかり考えていても身体はひとつだし、その通りに動かないこともある。

座って作業していれば、足も痛くなってくるし、眠気もくる。もちろんお腹も空く。家の家事を妻と分担しているので、それもやらなくちゃいけない。

本も読みたいし、録画していたテレビ番組も観たい。

こんなにやりたいことがいっぱいで、なんだか欲張りなんじゃないかなと思う。そうだ、おそらく欲張りなんだよ僕は。

どうでも良い文章を書くのは、とても簡単。後で読み返したらとんでもない文章になっているかもしれない。

でもあえて読み返さないようにしようかな。でも、やっぱり気になって読み返して校正するんだろうな。

校正が趣味みたいなところがあるもんな。細かい男と言われても間違い探しが大好きなのだ。

この細かくて嫌味な性格は、校正という作業にとても役に立つ。

間違いを絶対に探してやると思っているから。そして、それを指摘して優位に立ちたいなんて若い頃は思っていた。

なんて嫌な奴なんだ。

編集者の仕事をしている時に、後輩の原稿をチェックする機会があったのを思い出した。

原稿を渡されると、すぐ誤字に気がついた。

後輩に「これしっかり確認したんよね?(博多弁)」と聞くと「はい」と答える。

僕は「間違いが光って見えるよ。」と後輩に言った。

なんとなく間違えているところが、僕には本当に光って見えるようだった。

打撃の神様、川上哲治が「ボールが止まって見えた」と名言を残している(本当は小鶴誠選手が言った言葉を報知新聞が川上哲治の言葉に仕立てたというエピソードもある)。

それなら僕は、『原稿の間違いが光って見えた』という明言を残してやろう。

早速『原稿の間違いが光って見えた』というワードでググってみたけど検索にひっかからなかった。

ふふふ。

校正の神様に僕はなる!…いや、目指すのはそこじゃない。


それでは、今日はここまで。

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